獄門島

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金田一耕助 > 獄門島
獄門島
著者 横溝正史
発行日 1971年3月30日
ジャンル 小説
日本の旗 日本
言語 日本語
ページ数 353
コード ISBN 4041304032
ISBN 978-4041304037(文庫本)
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獄門島』(ごくもんとう)は、横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一つ。1947年(昭和22年)1月から1948年(昭和23年)10月までの計17回、雑誌『宝石』に掲載された。俳句を用いた見立て殺人を描く。

本作を原作とした映画2作品・テレビドラマ4作品が、2014年3月現在までに制作されている。

ストーリー

終戦から1年経った昭和21年9月下旬。金田一耕助は、引き揚げ船内でマラリアで死んだ戦友・鬼頭千万太(きとう ちまた)の死を知らせるため、千万太の故郷・瀬戸内海に浮かぶ、獄門島へと船で向かっていた。金田一は、千万太が息絶える前に残したある言葉が気に掛かっていた。

「俺が生きて帰らなければ、3人の妹たちが殺される…」

千万太は金田一が戦前、本陣殺人事件を解決した探偵であることを知っていて、来るべき事件のために自分の故郷に赴くように頼んだのだ。同じ船には、戦争に供出されていた千光寺の釣鐘が島に無事に戻り、千万太のいとこである一(ひとし)の戦地での無事の情報も聞かれた。

獄門島は封建的な因習の残る孤島で、島の網元である鬼頭家は、本鬼頭(ほんきとう)と分鬼頭(わけきとう)に分かれ対立していた。千万太は本鬼頭の本家、一は分家であった。

本鬼頭家には、美しいがいまだ幼子のような千万太の異母妹3人と、同じく美しくしっかりした一の妹の早苗がいたが、当主である千万太の父は発狂して座敷牢に入っていたため、千光寺の和尚・了念、村長の荒木、医者の幸庵が後見人となっていた。

金田一が千万太の死を告げた後、正式な公報も入ったので千万太の葬儀が行われた。その夜、3姉妹の三女の花子が行方不明となった。了念和尚の指示で捜索が行われたが見つからない。捜索に協力していた金田一は寺へ戻る途中、先を行く和尚の提灯の火を追って歩いていたところ、先に境内に入った和尚があわてて金田一を呼びつける。寺の庭では花子が足を帯で縛られ梅の古木から逆さまにぶら下げられて死んでいた。金田一は和尚が念仏を唱える中「きちがいじゃが仕方がない」とつぶやくのを耳にし、和尚は発狂した千万太の父を犯人と思っているようだが、それなら「きちがいだから」であるべきはずで、なぜ「きちがいじゃが」なのかといぶかる。

次の日、金田一は逗留させてもらっている千光寺で、千万太と一の祖父で本鬼頭の先代・嘉右衛門の書いた3句の俳句屏風を目にする。「むざんやな 冑(かぶと)の下の きりぎりす」「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」の2句は読めたが、残りの1句が判読できなかった。

千万太の言ったとおり残る2人の姉妹も危ないことを悟った金田一だが、不審人物として駐在所の牢に入れられてしまい、その間に次の殺人が起こってしまう。今度は3姉妹の次女の雪枝が首を絞められて釣鐘の中に押し込まれていたのであった。牢に入れられていてアリバイがあるため釈放された金田一は現場に赴き、そこで和尚が「むざんやな」の句をつぶやくのを聞く。金田一は釣鐘をてこの原理で持ち上げる方法を実演してみせた後、復員兵の海賊が島に潜入したとのことで県警本部からやって来た磯川警部と再会する。

花子が殺された日、何者かが屋敷や寺に侵入した形跡があり、それが海賊かつ殺人犯人ではないかと目されたため山狩りが行われることとなり、金田一も参加する。そこで床屋から、3姉妹の母のお小夜は「道成寺」が得意な旅役者だったのを与三松が見初めて後妻にしたのだが、先代の嘉右衛門と折り合いが悪く狂死。その後、与三松もおかしくなったため座敷牢に入れられたのだということを聞きとる。その直後に発見された復員兵は何者かに頭を殴られて死ぬ。早苗はその男が兄の一かもしれぬと思って助けるようなことをしていたのだが別人であった。同じ夜、通夜をしている本鬼頭家では、祈祷所で3姉妹の長女の月代が白拍子姿となり母から伝授されたという祈祷を行っていたが、家の者が確かめに行くと首を絞められて殺されており、そこには萩の花が蒔かれていた。

謎を追求する金田一は、雪枝が殺された日、雪枝が押し込められていた場所と違う場所に釣鐘を見たという話を聞く。さらに月代がこもった祈祷所を先代が「一つ家」と呼んでいたことを聞かされる。金田一はそれで月代の死が「一つ家に」の句の見立てであると知り、読めなかった屏風の句が「鶯(うぐいす)の身を逆(さかさま)に初音かな」であること、そして3姉妹はすべて屏風の句の見立てで殺されたことを知る。金田一は獄門島の人間は気がちがっていると興奮しだすが、その瞬間ある重大な謎が解ける。

金田一はこの事件に先代の影が濃いことから、分鬼頭の当主・儀兵衛に話を聞く。そこで嘉右衛門が見立て遊びを好んだこと、孫息子を2人とも戦争にとられ、忌み嫌っていたお小夜の血が残っている本鬼頭の将来を憂い、島の3長老的な和尚、医者の幸庵、村長に何かを託したこと、また彼らも嘉右衛門に同情的だったこと、さらに彼らが以前から金田一を知っていたことなどを聞き取る。

金田一は磯川警部立会いのもと和尚に面談し、そこで一連の殺人事件の真相を語る。花子(と復員兵)は和尚、雪枝は村長、月代は幸庵に殺されたのであり、殺人方法も含めすべては死んだ嘉右衛門の差し金によるものであった。出征した千万太が死亡すれば、気の狂った与三松とその子供である3姉妹が本鬼頭を継ぐことになるが、嘉右衛門は3姉妹の誰が跡を継いでも本鬼頭の家はつぶれてしまうことを心配し、また3姉妹の母親であるお小夜に対する憎悪も手伝って、千万太が死に一が帰ったときには一に本鬼頭の家を継がせたいと考えた[1]。和尚は、そのために邪魔になる3姉妹の殺害を、嘉右衛門が死の直前に自分たち3人に依頼したこと、その実行条件は千万太が死に一が帰ったときであったこと、「むざんやな」に使う釣鐘が戦時物資として供出させられているため嘉右衛門が指定する殺人方法は成立しないと安易に考えていたところに、釣鐘が帰ってきたので実行したことなどを語る。金田一はすべてが明らかになった後、前夜に村長が島から逃亡したことと幸庵も面談の前に発狂したことを知らせ、さらに一の生存が嘘(復員詐欺)であったことを告げたため、和尚はその場でショック死する。金田一は残された早苗に「一緒に東京に行かないか」と思いを伝えるが、早苗は本鬼頭を継ぐ意志を固めていたため断られ、ひとり島を去る。

登場人物

  • 金田一耕助(きんだいち こうすけ) - 私立探偵
  • 磯川常次郎(いそかわ つねじろう) - 岡山県警察部の警部
  • 清水(しみず) - 獄門島駐在巡査
  • 鬼頭嘉右衛門(きとう かえもん) - 本鬼頭家先代、故人
  • 鬼頭与三松(きとう よさまつ) - 本鬼頭家当主、精神病を患い座敷牢にいる
  • お小夜(おさよ) - 与三松の妾、女役者、故人
  • 鬼頭千万太(きとう ちまた) - 与三松の息子
  • 鬼頭月代(きとう つきよ) - 与三松の長女、お小夜の娘で千万太の腹違いの妹
  • 鬼頭雪枝(きとう ゆきえ) - 与三松の次女、お小夜の娘で千万太の腹違いの妹
  • 鬼頭花子(きとう はなこ) - 与三松の三女、お小夜の娘で千万太の腹違いの妹
  • 鬼頭一(きとう ひとし) - 千万太のいとこ、本鬼頭分家
  • 鬼頭早苗(きとう さなえ) - 一の妹、本鬼頭分家
  • お勝(おかつ) - 嘉右衛門の妾
  • 鬼頭儀兵衛(きとう ぎへえ) - 分鬼頭当主
  • 鬼頭志保(きとう しほ) - 儀兵衛の妻
  • 鵜飼章三(うかい しょうぞう) - 分鬼頭居候、復員軍人
  • 荒木真喜平(あらき まきへい) - 獄門島村長
  • 了然(りょうねん) - 千光寺和尚
  • 了沢(りょうたく) - 千光寺典座
  • 村瀬幸庵(むらせ こうあん) - 漢方
  • 竹蔵(たけぞう) - 潮つくり
  • 清公(せいこう) - 床屋

本鬼頭系図

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千万太
 
<本家>
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
与三松
 
 
月代
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
雪枝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お小夜
 
 
花子
 
嘉右衛門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<分家>
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
早苗
 

概要

横溝正史による解説

『獄門島』は『本陣殺人事件』に引き続いて雑誌『宝石』に連載されたもので、「金田一耕助シリーズ」ものとしては2番目の作にあたる。横溝正史が第1回に筆を染めたのは昭和21年10月で、最終篇を脱稿したのは昭和23年8月と、足かけ3年、1年と10か月の長期連載となっていて、横溝は「むろん、私としては初めての経験であった」と振り返っている。

横溝が島を舞台に小説を書きたいと思いだしたのは戦争中のことで、昭和20年の春に両親の出身地である岡山県へ疎開したのも、瀬戸内海の島が近いというのがひとつの理由であった。しかし「元来出不精で乗り物恐怖症」のため、疎開中にどの島にも足を運ぶことはなかった。にもかかわらず本作で小島の封建的な風習、風物を描けたのは、疎開先の部落に、かつて瀬戸内海の島で青年学校の教師をしていた人がいたからだと語っている。

横溝は大体の構想がまとまったところで友人にそれを聞いてもらう習慣だったが、疎開先ではもっぱら夫人に話していた。この『獄門島』でもそうしたところ、夫人がある意外な人物を「これが犯人なのね」として指さした。横溝は「そんなの馬鹿にされる」と怒ったものの、「今までなかったから面白いのではないか」と考え改め、それで『獄門島』の犯人が出来上がったという。

篇中の「釣鐘の力学」のトリックについては海野十三、曹洞宗の知識については千光寺の末永和尚に教示を仰いでいる[2]

横溝には神戸二中時代に西田徳重という探偵小説マニアの友達がいたが、中学卒業後の秋に早世してしまった。横溝はその縁で兄の西田政治と文通するようになっていた[3]。横溝は8月15日の日本敗戦後、疎開先ですることがなく、「本格探偵小説の鬼であった」といい、小さなトリックを、つぎからつぎへと思いついては悦に入っていた。さきの西田兄弟はそろって本格探偵小説ファンで、兄の政治は「GIが売り払っていった古本が、古本屋に山のようにある」と、ポケット・ブックを疎開先にあとからあとから送ってくれた。横溝の本格熱はますます加熱し、「西田政治さんの送ってくれた本の中にアガサ・クリスチーの『そして誰もいなくなりました』があった。これがのちの私の『獄門島』になった。」と語っている。戦後の長編第1作[4]として横溝は『本陣殺人事件』を執筆するが、これは試験的作品であり、「したがって私がはじめから自信をもって着手した、本格探偵小説は第2作の『獄門島』以降ということになるのであろう」としている[5]

有名な「きちがいじゃが仕方がない」については、エラリー・クイーンの『Yの悲劇』におけるサブトリックである「なぜ凶器がマンドリンだったのか」の真相に感心し、メイン・トリック以外にああいう細かいトリックを散りばめると効果的だと思ったため考案したと横溝は述べている[6]

作品解説

本作は金田一耕助が復員してすぐという設定になっており、作品世界としては時間的に「百日紅の下にて」の直後ということになるが、執筆は『本陣殺人事件』の次である。作者は、欧米探偵小説の童謡殺人事件、特にヴァン・ダインが『僧正殺人事件』で描いたマザーグースに基づく連続殺人事件のようなものを書きたい、と考えていたが、二番煎じと批判されると諦めていたところ、アガサ・クリスティーが『そして誰もいなくなった』で同じようなことをやっているので、自分もやってみようと思い立ったと述べている[7]。俳句を用いたのは、それに代わる童謡が日本では見つからないからであったが[7]、それでも、童謡殺人を書きたいという思いは捨てきれず、それが『悪魔の手毬唄』につながったという[8]

作品全体に敗戦直後の混乱が描かれるのも1つの特徴で、復員詐欺、ラジオ番組の「復員だより」、「カムカムの時間」などと言った話題があちこちにみられる。

また、事件の内容は、歌舞伎『京鹿子娘道成寺』とも関係性が深く、3人娘の母親であるお小夜(既に故人)が『娘道成寺』を得意とする旅役者だったことが語られる他、第1被害者・花子は『娘道成寺』に登場する白拍子の名前であり、第2被害者・雪枝は『娘道成寺』の主要テーマである釣鐘の中で発見され、最後の被害者・月代は白拍子のような装束で殺害されており、さらに、被害者の死因は総じて日本手ぬぐいによる絞殺であるが、これも『娘道成寺』での小道具の1つである手ぬぐいと符合する。

この作品のヒロイン鬼頭早苗は、金田一耕助が生涯愛した女性の1人として知られる。金田一は獄門島を離れる際、早苗に「島を出て一緒に東京へ行きませんか」とプロポーズとも取れる言葉を掛けている。しかし、早苗は「島で生まれたものは島で死ぬ。それがさだめられた掟なのです。もうこれきりお眼にかかりません。」と島に残る決意を固めており、金田一は振られてしまうという結果に終わっている[9]

発表当初より高い評価を受けた本作は、後の本格推理派作家などに大きな影響を与えている。また戦後たびたび行われたミステリーランキングの国内部門では圧倒的にベスト1の回数が多い。横溝自身も週刊誌のアンケートで自作から1つとして本作を挙げている。

なお、金田一耕助の登場は前作『本陣殺人事件』の1回だけの予定であったが、『本陣』の連載中に『宝石』の編集長・城昌幸から「次の作品を書け」との依頼があり、新しい探偵を考えるのが面倒という理由で金田一を再登板させることになった[10]

本作に先立って執筆された短編「ペルシャ猫を抱く女」は、後に金田一登場の短編「支那扇の女」に改稿され、さらに長編化されるが、早苗や了然という登場人物名は、本作へと引き継がれたことを中島河太郎は指摘している。

作中に用いられた俳句

  • 鶯の身をさかさまに初音かな (宝井其角
  • むざんやな冑の下のきりぎりす(松尾芭蕉
  • 一つ家に遊女も寝たり萩と月 (松尾芭蕉)

作品の評価

『夜光怪人』版「獄門島」

ジュブナイル『夜光怪人』でも、目的地であるとなりの島への経由地点として、獄門島は終盤のページに登場(ただし読みは「ごくもんじま」)。瀬戸内海の島という地理関係、その昔海賊が跋扈していた地という設定も『獄門島』に準じたもので、島の駐在である清水巡査も再登場する。

この作品は、探偵役として『蝶々殺人事件』などで活躍する由利麟太郎が登場する作品だったが、ソノラマ文庫版および角川文庫版、角川スニーカー文庫版では山村正夫の手により、その部分が金田一耕助に書き換えられている。そのため、清水巡査が金田一のことを知らないという描写がなされており、また金田一の描写もろくに推理をせずピストルを発砲するなど、通常の金田一作品とは大きくかけ離れている。

由利シリーズのジュブナイル作品は、1作ごとに世界観がリセットされるため、この作品も特に『獄門島』との整合性を考慮して執筆されてはいない。

映画

この事件の謎を解くのに極めて重要な鍵として、俳句用語である「季違い」と、「気違い」の聞き間違いというものがあるが、最近のテレビ放送においては過度の自主規制が行われているため、下記の1977年版の映画が後年テレビ放送された際、「キチガイ」という音声が消されたり「ピー音」がかぶせられたりするなど、原作未読の視聴者にとってはなぜ金田一が謎を解けたのか、わけの分からない展開となってしまっている(DVDなどではオリジナルのまま収録されている)。

なお、2007年5月1日NHK-BS2衛星映画劇場」で市川崑監督作品(映画1977年度版)が放送された際には、上記のような音声処理はまったく行われず、本編終了後、現代からすれば不適切な用語・表現などが含まれるが、作品のオリジナリティーを尊重してそのまま放送した旨の断りが表示された。

「獄門島」の所在地の設定は、笠岡諸島最南端ということ、作中に登場する定期便の航路(笠岡から出発して真鍋島の次に停泊する島)など、六島と共通する点が見られ、1977年の映画化の際には六島でロケ撮影が行なわれたが、1990年のドラマ化の際には真鍋島でロケ撮影が行われた。

1949年版

獄門島』は1949年11月20日に、『獄門島 解明篇』は1949年12月5日に公開された。東横映画、監督は松田定次、脚本は比佐芳武、主演は片岡千恵蔵

  • この作品では、「獄門島」の読み仮名は「ごくもんじま」となっている。

1977年版

1977年8月27日に公開された。東宝、監督は市川崑、脚本は久里子亭日高真也+市川崑)、主演は石坂浩二

※下記に記載されているように、映画公開の直前にテレビ版で同作品の放送があり、ネタバレを回避するために、[要出典]この作品では、犯人を原作とは別の人物に変更している。それにあわせて予告編では横溝正史本人による「金田一さん、私も映画の中の犯人を知らないんですよ」という語りがある。また、映画館でも入り口に、「テレビとは犯人が違います」という看板が立てられて宣伝されていた。

テレビドラマ

前述のとおり最近のテレビ放送においては過度の自主規制が行われているため、近年の映像化作品では、謎解きの部分を変更することで「気違い」という言葉を出さなくとも話が成立するようにされている。

1977年版

横溝正史シリーズI・獄門島』は、TBS系列1977年7月30日から8月20日まで毎週土曜日22:00 - 22:55に放送された。全4回。

毎日放送製作。

キャスト
スタッフ
その他
  • この作品では「きちがいじゃが仕方がない」を「きがかわっているが仕方がない」という言い回しにして禁止用語を回避している。
  • 磯川警部が清水巡査に、「『蝶々殺人事件』を解決した」と金田一を紹介している。
  • 豪華監督陣をそろえた同シリーズで斎藤光正監督は比較的地味な存在であったが(劇場映画のキャリアは最も少ない)、常識外の長回しを用いたり緩急自在の演出を披露。角川春樹はこれに感嘆して自身がプロデュースした東映映画悪魔が来りて笛を吹く』に斎藤を起用した(『キネマ旬報』1979年5月上旬号インタビュー)。以後、斎藤は角川映画の常連となる。

1990年版

横溝正史シリーズ・獄門島』は、フジテレビ系列2時間ドラマ男と女のミステリー」(金曜日21:03 - 23:22)で1990年9月28日に放送された。

キャスト
スタッフ
その他
  • 上記の理由で、「“き”が違っている」の部分の「気」ではなく「樹(いちじくの木)」と表現している。
  • この作品では、金田一と月代の淡いロマンスが描かれている。
  • この作品では、月代・雪枝が誘い出される手紙の差出人に鵜飼ではなく、金田一の名前が使われている。

1997年版

名探偵・金田一耕助シリーズ・獄門島』は、TBS系列2時間ドラマ月曜ドラマスペシャル」(毎週月曜日21:00 - 22:54)で1997年5月5日に放送された。

キャスト
スタッフ

2003年版

金田一耕助ファイルII 獄門島』は、テレビ東京系列BSジャパン共同制作の2時間ドラマ女と愛とミステリー」(毎週水曜日20:54 - 22:48)で2003年10月26日に放送された。

キャスト
スタッフ
その他
  • 「きちがい」の件が丸々省略されている。
  • 月代・雪枝・花子は年子ではなく三つ子になっている。
  • 鬼頭一(ひとし)は早苗の兄ではなく弟になっている。
  • 島に逃げ込んだ海賊は、東京から逃げてきた殺人犯になっている。

漫画化

本作はささやななえいけうち誠一JET長尾文子により、4作品の漫画化が行われている。

関連イベント

参考文献

  • 中島河太郎 (1971)、「解説」(角川文庫、横溝正史『獄門島』)
  • 中島河太郎 (1977)、「解説」(角川文庫、横溝正史『ペルシャ猫を抱く女』)
  • 大坪直行 (1971)、「解説」(角川文庫、横溝正史『悪魔の手毬唄』)

脚注

  1. ^ 千万太が死亡がすれば、月代・雪枝・花子の順で与三松の法定家督相続人となる。ただし、民法旧規定985条1項「前條ノ規定ニ依リテ家督相續人タル者ナキトキハ親族會ハ被相續人ノ親族、家族、分家ノ戸主又ハ本家若クハ分家ノ家族中ヨリ家督相續人ヲ選定ス」により、3姉妹全員が死ねば分家の一を家督相続人とすることができる。
  2. ^ 『獄門島』あとがき(昭和23年9月)
  3. ^ 『一杯亭綺言』(『小説推理』、昭和49年8月)
  4. ^ 作者の戦後最初に発表した作品は、1945年10月に『講談雑誌』に掲載された朝顔金太捕物聞書帳の「孟宗竹」だが、執筆時期は戦中であったと見られる。戦後に書かれた作品でもっとも発表が早かったのは『講談雑誌』1946年2月号に掲載された『人形佐七捕物文庫』の短編「銀の簪」だったが、横溝自身の記憶によれば戦後最初に執筆したのは探偵小説「神楽太夫」(『週刊河北』1946年3月)で、1945年の秋には脱稿していたという(『金田一耕助のモノローグ』ほか)。ただし、いずれの作品も単発掲載で連載長篇ではなく、戦後の長篇第1作は『本陣殺人事件』である。
  5. ^ 『本格探偵小説への転機』「本陣殺人事件」の前後(『問題小説』、昭和48年8月)
  6. ^ 『横溝正史読本』(小林信彦編・角川文庫)参照。
  7. ^ a b c 真説 金田一耕助』(横溝正史著・角川文庫、1979年)を参照。
  8. ^ 『悪魔の手毬唄』(横溝正史著・角川文庫旧版、1971年)の大坪直行による巻末解説、および『横溝正史読本』(小林信彦編・角川文庫、2008年改版)参照。
  9. ^ 同じ網元を題材とした『悪霊島』で、金田一と磯川警部とのやりとりの中で獄門島の名前が出て、金田一が早苗のその後を案じるくだりがある。
  10. ^ 宝島社『別冊宝島 僕たちの好きな金田一耕助』 金田一耕助登場全77作品 完全解説「3.獄門島」参照。
  11. ^ このときの受賞作は 坂口安吾の『不連続殺人事件』で、ほかにも高木彬光の『刺青殺人事件』がノミネートされるなど、傑作と評価される作品が揃っていた(1949年 第2回 日本推理作家協会賞 長編部門 日本推理作家協会公式サイト参照)。
  12. ^ 1位から5位までの作品は、1.本作品、2.『本陣殺人事件』、3.『犬神家の一族』、4.『悪魔の手毬唄』、5.『八つ墓村』。
  13. ^ 1985年版では、他の横溝作品は『本陣殺人事件』が7位、『悪魔の手毬唄』が42位、『八つ墓村』が44位、『蝶々殺人事件』が69位に選出されている。
  14. ^ 2012年版では、『本陣殺人事件』が10位、『犬神家の一族』が39位、『八つ墓村』が57位、『悪魔の手毬唄』が75位に選出されている。

関連項目

外部リンク