燕山荘

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株式会社燕山荘
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
390-0874
長野県松本市大手2−3−10
法人番号 7100001015030 ウィキデータを編集
事業内容 山小屋経営
旅行業務
代表者 赤沼健至
外部リンク 株式会社燕山荘
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燕山荘の位置(日本内)
燕山荘
燕山荘の位置図
春の燕山荘
春の燕山荘
燕岳と燕山荘
燕岳と燕山荘
燕山荘周辺のコマクサ
燕山荘周辺のコマクサ
燕山荘周辺のライチョウ
燕山荘周辺のライチョウ

燕山荘(えんざんそう)は、長野県安曇野市燕岳の頂上稜線と表銀座の合戦尾根との交点のピーク(標高2,712m)にある山小屋中部山岳国立公園内にあり、北アルプスの山小屋の中で有数の歴史があり、多くの登山者に愛用されている。

概要

2010年平成22年)7月現在、株式会社燕山荘の三代目のオーナーの赤沼健至が経営しており、井村克彦が支配人を務めている。オーナーは、アルプホルンを演奏して、宿泊者を楽しませたり、表銀座などの登山教室を行っている。小屋の前からは、すぐ北側に白い花崗岩の奇石と緑色のハイマツが合い舞った燕岳を望むことができる。また小屋の南側に回り込むと、松本方面の風景と槍ヶ岳を中心とした北アルプスを一望することができる。山荘の周辺の花崗岩の砂利の斜面には、高山植物の女王のコマクサが群生している[1]。また、山荘周辺のハイマツ帯には、ライチョウが生息している。株式会社燕山荘は、表銀座の登山道上にある燕山荘の他、有明荘合戦小屋大天荘ヒュッテ大槍の山小屋の運営も行っている[2]

沿革

  • 1921年大正10年)7月15日に「燕の小屋」と呼ばれた山小屋(収容人数50人、24、白塗りの建屋)を登山家の赤沼千尋が開業した[3]
  • 1922年(大正11年)に、猟師小林喜作殺生小屋を開業し、この小屋を経由する槍ヶ岳への当時最短ルート(表銀座)の喜作新道が開かれた。
  • 1928年昭和3年)に、現在の名称の「燕山荘」に改名。
  • 1937年(昭和12年)、大倉喜八郎の資金援助によって本館が完成し、帝国ホテルが運営に加わる。現在の2階の建物で、収容人数200人でガス灯の照明が設置された。
  • 第二次世界大戦前後は登山者が激減したが、小屋は客がいなくても営業されていた。
  • 1945年(昭和20年)に、帝国ホテルが経営から撤退。再度赤沼の単独経営になる。
  • 1956年(昭和31年)に、第一別館が完成。プロパンガス燃料を導入。下部の谷から水を汲み上げるためのポンプ設置。
  • 1958年(昭和33年)に、第二別館が完成。公衆電話設置。
  • 1964年(昭和39年)に、国民宿舎の有明荘付近から合戦小屋まで、荷揚げ用のケーブルを設置。
  • 1973年(昭和48年)に、新館が完成。

現在の燕山荘

営業期間

(2010年7月現在)

  • 4月24日 - 11月23日、12月23日 - 1月9日(平成22年度)

収容人数

主な施設

主なイベント

事務所

株式会社燕山荘の松本事務所の所在地は、長野県松本市大手2-3-10。

周辺の山

燕山荘からの展望

燕山荘は飛騨山脈(北アルプス)の常念山脈の主稜線上にある。

燕岳 餓鬼岳 有明山 大天井岳 槍ヶ岳

脚注

  1. ^ 『ヤマケイ アルペンガイド 上高地・槍・穂高』 山と溪谷社ISBN 978-4-635-01351-2
  2. ^ 北アルプス表銀座の山小屋/燕山荘グループの会社案内”. 国土地理院. 2014年7月21日閲覧。
  3. ^ 『北アルプス山小屋物語』 東京新聞出版局、ISBN 4-8083-0374-4、P79
  4. ^ 燕山荘のホームページ

関連書籍・雑誌

関連項目

外部リンク