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(かん)は、中国の河川名、地域名(郡名・国名)、王朝名、地名(中国全土をさす)、民族名である。

漢水・漢江

「漢」という文字は「水の流れていない川」をあらわす形声文字である(音は「乾」に通ず)。長江の支流で現在の陝西省南部、秦嶺山脈の南麓に源を発し、湖北省に注いで武漢(漢口)に注ぐ漢江(漢水)をさす。現在でも支流では冬期に断流することがある。また中国では、天上のあまのがわを「銀河」または「天漢」といっていた(漢の音「乾」に天の意味があることから)。

漢中(郡名・国名)

戦国時代、この地を支配したは漢江の上流域に漢中郡を置いた(「〜中」は河川流域の盆地をいう命名法)。秦が滅ぼされると、咸陽攻略の功労者劉邦が漢中・巴・蜀の地に王として封ぜられ、漢王(「漢中王」の意)を名乗った。劉邦は漢中とその奥地、巴蜀で力を蓄え、項羽との戦いに勝利して、秦についで中国の再統一を果たすと、秦に引き続いて漢中郡を設置した。

漢王朝(朝代・朝号)

中国を統一した劉邦は、皇帝として即位するにあたって旧来の国号であったをそのまま統一王朝の国号として用いた。この劉邦が開いた前漢と、いったん滅亡したのち劉秀によって再興された後漢の漢王朝は、あわせて400年の長きに渡った。漢王朝の歴史の詳細については、前漢後漢をそれぞれ参照。

漢朝歴代皇帝

※代数は前後を合わす。また太字以外の皇帝は歴代に含めない場合もある。

名前 在位
1 太祖高帝 紀元前206年 - 紀元前195年
2 恵帝 紀元前195年 - 紀元前188年
3 少帝恭 紀元前188年 - 紀元前184年
4 少帝弘 紀元前184年 - 紀元前180年
5 太宗文帝 紀元前180年 - 紀元前157年
6 景帝 紀元前157年 - 紀元前141年
7 世宗武帝 紀元前141年 - 紀元前87年
8 昭帝 紀元前87年 - 紀元前74年
9 海昏侯 紀元前74年
10 中宗宣帝 紀元前74年 - 紀元前49年
11 高宗元帝 紀元前49年 - 紀元前33年
12 統宗成帝 紀元前33年 - 紀元前7年
13 哀帝 紀元前7年 - 紀元前1年
14 元宗平帝 紀元前1年 - 5年
15 劉嬰 5年 - 8年25年
武順王 23年 - 25年
16 世祖光武帝 25年 - 57年
17 顕宗明帝 57年 - 75年
18 粛宗章帝 75年 - 88年
19 穆宗和帝 88年 - 105年
20 殤帝 105年 - 106年
21 恭宗安帝 106年 - 125年
22 少帝懿 125年
23 敬宗順帝 125年 - 144年
24 冲帝 144年 - 145年
25 質帝 145年 - 146年
26 威宗桓帝 146年 - 167年
27 度宗霊帝 167年 - 189年
28 懐王 189年
29 献帝 189年 - 220年

中国の地を意味する「漢」

「漢土」の語は、古写経本や僧侶の書簡などにみえ、これよりかつての日本では中国の地を指す名詞として用いられていたとされる。同様な言葉に「秦」「唐(もろこし)」がある。(南北朝期からモンゴル時代にかけて、華北(黄河流域)と華中(長江流域)を区別し、前者のみをさす用法もあった)

民族名・文化名としての「漢」

民族としての「漢民族」、エスニックグループとしての「漢人」「漢族」、そして漢字漢語漢風などの特定文化をさす「漢」は漢王朝の名に由来している。(漢王朝の時代に古代中国文化が完成したため、崇拝をこめて漢王朝が回顧されることが中国では一般的である)(南北朝期からモンゴル時代にかけて、華北(黄河流域)住民と華中(長江流域)住民を区別し、前者のみをさす用法もあった)

漢を国号とした諸国

漢の国号は皇帝であった劉氏の姓と密接に結びつき、これ以後も劉姓の王朝によってたびたび使われた。

脚註

  1. ^ 三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』(東方書店2002年2月)、p60