源平盛衰記

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源平盛衰記』(げんぺいせいすいき/げんぺいじょうすいき)は、軍記物語の『平家物語』の異本のひとつ。48巻。著者不明。読み本系統に分類される(詳しくは『平家物語』を参照)。

概要[編集]

二条院応保年間(1161年 - 1162年)から、安徳天皇寿永年間(1182年 - 1183年)までの20年余りの源氏平家の盛衰興亡を百数十項目にわたって詳しく叙述する。

軍記物語の代表作の一つとされる。『平家物語』を元に増補改修されており、源氏側の加筆、本筋から外れた挿話が多い。その冗長さと加筆から生じる矛盾などを含んでおり、文学的価値は『平家物語』に及ばないとされるが、「語り物」として流布した『平家物語』に対し、「読ませる事」に力点を置かれた盛衰記は「読み物」としての様々な説話の豊富さから、後世の文芸へ与えた影響は大きく、さまざまな国民伝説の宝庫である。

現在、『平家物語』と比べて入手困難であるが、江戸時代水戸藩の水戸彰考館編纂による『参考源平盛衰記』を底本とした『新定源平盛衰記』(全6巻)が新人物往来社より1988年から1991年に刊行されている(現在は絶版)。三弥井書店からは全8巻の予定で1991年から『源平盛衰記』が現在6巻まで発売されている。2005年に注釈無しの現代語訳『完訳源平盛衰記』が勉誠出版より全8巻で発売されている。

補説[編集]

『平家物語』と『源平盛衰記』の先後関係の問題は、そう単純ではなく研究者間で大きく異なるので、主な主張を列挙する。

まず林羅山葉室時長が『源平盛衰記』を作り、行長が12巻本『平家物語』を作ったとした。これはのちの冨倉徳次郎に先行して、読み本系・語り本系の二元論を『徒然草野槌』で説いたものである。ほかにも江戸期には土肥経平近藤芳樹が二本の先後を論じている。

成立年代については諸説あり定まっていないが、概ね鎌倉時代中期から南北朝期にかけてだと考えられている。

近代に入り、まず山田孝雄は『源平盛衰記』が後(『平家物語考』1911年)、藤岡作太郎は『源平盛衰記』が先(『鎌倉室町時代文学史』1935年)であると、異なる研究成果を発表した。また1963年山下宏明は「原平家」から語り本系・読み本系が派生したものであり、旧延慶本・『源平盛衰記』・南都本屋代本を同列に扱い、山下が考える「原平家」により近い『源平闘諍録四部合戦状本の影響下に『源平盛衰記』を置いた(『源平闘諍録と研究』)。

また、冨倉徳次郎以来『盛衰記』を読み本系に分類するのが一般的であるが、渥美かをるは「冨倉徳次郎氏(の分類は)はっきりしていない」(『日本文学の争点』1969年)と述べている。渥美かをる自身も同書で「なんらかの抑揚を持った口語りの台本、特に中国の講史の影響を受けた口語りであろうと考える」と述べるように、少数ながらも語り本系の要素があるとする研究者もいる。

どちらが正しいというのではなく、どちらの説に賛成する研究者が現段階では多いかということにすぎない。

落語・講談としての源平盛衰記[編集]

落語や講談のネタとしても同名のものがあるが、筋のようなものは存在せず、実際には「漫談」「地噺」と呼ばれるものに近い。古典の『源平盛衰記』との関連性はあまり深くはなく、落語全集の類でも話の題名が「源平」「平家物語」などと記されているほどである。

「祇園精舎の鐘の声~」のくだりをひとくさり述べたあと、『平家物語』の粗筋を断片的に話し、それに関係しているかしていないか微妙なギャグやジョーク、小噺(時事ネタなど、現代の話でも全くかまわない)を連発、一段落ついたところでまた『平家物語』に戻る、という構成がとられる。小噺で笑いを取るほうが重要で、極端に言えば『平家物語』は数々の小噺をつなぎ止める接着剤の役割にすぎない。

藤井宗哲は「高座に余りかかることはなく、別の言い方をすれば時事落語で、内容は演者によって大きく変わる。いわば落語家のセンスによって変化する落語である。落語界では、(『源平盛衰記』のような)地ばなしを行う噺家は軽視されているが、この話は江戸初期の落語草創期の形態を残すものだと考えられる。演じている落語家は立派である」[1]と述べている。

落語家の7代目林家正蔵初代林家三平10代目桂文治立川談志らの得意ネタとなっていた。元々は「源平盛衰記」といえば7代目林家正蔵の十八番であり、これを東宝名人会で聞き覚えていた息子の初代三平が後輩の柳家小ゑん(後の談志)に伝授した。これにより、「源平」は多くの落語家に演じられるようになった。演者ごとのストーリーの例を大まかに記すが、実際には筋はないので、口演ごとに異なっていた。特に談志のものは初代三平から教わった「源平」に吉川英治の『新・平家物語』のエッセンスを加えたものである[2]

  • 林家三平版…平家物語冒頭→平家追討令下る→義仲入京→義経頼朝黄瀬川対面→義仲討ち死に→オイルショックの小噺→扇の的→交通事故にまつわる小噺→壇ノ浦合戦[3]
  • 立川談志版…マクラ(歴史上の人物の評価の変遷について)→平家物語冒頭→平清盛と常盤御前→袈裟御前と文覚→平家追討令下る→義仲入京→義経頼朝黄瀬川対面→義仲討ち死に→扇の的→ソビエト崩壊についての小噺→壇ノ浦の戦い

なお、談志が演じた『源平盛衰記』にはサゲがなく、『平家物語』の冒頭部分を最後に再び語るが、元の三平や文治が演じた『源平盛衰記』には地口落ちのサゲが存在する。

派生の噺として、那須与一屋島の戦いでの扇の的の下りを詳しく話す春風亭小朝の『扇の的』という演目がある。この噺の場合、サゲは初代林家三平が演じるサゲと同じである。

上方落語では『袈裟御前』という演目の落語があり、その名の通り袈裟御前(および彼女との逸話のある文覚)に焦点を当てた形となっているが、挿話の方に重点が置かれる地噺という点では『源平』と同じである。笑福亭鶴光が得意としている。

脚注[編集]

  1. ^ 落語協会・編『古典落語9 武家・仇討ち話』(1974年)所載の解説
  2. ^ バンブームック 落語CDムック立川談志1 談志「芝浜・源平盛衰記」2010年・竹書房
  3. ^ 落語協会・編『古典落語9 武家・仇討ち話』所載の「初代林家三平 源平」に依った

関連項目[編集]

外部リンク[編集]