渡辺製菓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。125.30.114.33 (会話) による 2016年3月31日 (木) 08:54個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎沿革)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

渡邊製菓株式會社
Watanabe Seika K.K.
種類 株式会社
市場情報 上場廃止、合併消滅
略称 渡辺
本社所在地 日本の旗 日本
名古屋市
設立 大正年間
業種 食料品
事業内容 菓子粉末飲料の製造販売
代表者 野原新太郎
関係する人物 野原義禮
榎本健一
金井元彦
特記事項:略歴

1920年代 創業
1952年10月10日 新規上場
1955年8月10日 銀行取引停止により上場廃止
1956年11月 東京工場の土地建物を取得した昭和産業株式会社東京渡辺製菓株式会社を設立

1972年 カネボウハリス株式会社に吸収合併、消滅
テンプレートを表示

渡邊製菓株式會社(わたなべせいか-)は、かつて存在した日本の製菓会社である。粉末飲料渡辺のジュースの素」で一世を風靡したが、会社整理後、カネボウハリス株式会社(現クラシエフーズ株式会社)に吸収合併され、消滅した。

沿革

大正年間には、名古屋市ですでに創業していた。1923年(大正12年)頃、国産ゼリーを開発した鈴木菊次郎商店(現杉本屋製菓株式会社)と特約を結び、同商店の製造するゼリー菓子を名古屋で販売していた[1]1932年(昭和7年)、転業した鈴木菊次郎から、ゼリー製造機械を譲渡され、「チウインガム」(チューインガム)の製造販売を開始した。

1945年(昭和20年)8月15日第二次世界大戦が終結、翌1946年(昭和21年)、社長の野原新太郎が、1932年(昭和7年)に庄内公園に移築されていた「龍影閣」を自宅敷地内に移築する。この「龍影閣」は、1878年(明治11年)9月に、名古屋区門前町(現在の名古屋市中区大須3丁目)に建てられた名古屋博物館品評所であったが、同年、同建物の2階が明治天皇の休憩所になったことから、「龍影閣」と呼ばれた。これを野原は、大切に修復する[2]。同1946年(昭和21年)、元青森県知事でのちに参議院議員となる金井元彦が入社、常務取締役に就任している[3]

1949年(昭和24年)頃、同社の労働組合「渡辺製菓株式会社労働組合」が、労働文芸誌『労働の泉』を編集・発行した。

1952年(昭和27年)10月10日東京証券取引所に新規上場するが、1955年(昭和30年)8月10日、銀行取引停止により上場廃止、会社整理の状態に入る。同年、渡辺製菓は510人の人員削減案を発表した[4]。渡辺製菓の資産である東京工場の土地建物を昭和産業株式会社が取得、1956年(昭和31年)11月に昭和産業75%、渡辺製菓25%出資の「東京渡辺製菓株式会社」(のちの株式会社コビト)を設立している。

1958年(昭和33年)、「渡辺のジュースの素」の発売を開始した。定価は1袋5円、無果汁であった。テレビCFに榎本健一を起用した。このころの商品として「渡辺ミルクキャラメル」、林家三平をテレビCFに起用した「渡辺のしるこの素」、浪越徳治郎をテレビCFに起用した「渡辺 だし一番」などがある。

1967年(昭和42年)11月14日、野原は第1回「食品産業功労賞」を受賞している。1968年(昭和43年)、野原は「龍影閣」を熱田神宮に寄贈・移築した[2]。同時に、明治天皇らの遺品・遺墨107点の骨董のコレクション(野原コレクション)を同神宮に寄贈した[2]

1969年(昭和44年)、日本国内での人工甘味料チクロ」の使用が禁止される。このことは、「渡辺のジュースの素」といった商品の販売に影響を与えた。

1971年(昭和46年)2月、渡辺製菓が保有する株式会社コビト(旧・東京渡辺製菓、1965年10月改称)の25%の全株式を昭和産業に譲渡し、完全に手放す[5]。コビトは、1988年(昭和63年)6月に昭和産業に吸収されて、消滅した[5]

1972年(昭和47年)、カネボウハリス株式会社に吸収合併され、「渡辺製菓株式会社」は消滅した。カネボウハリスは、1964年(昭和39年)にカネボウ株式会社(現在のクラシエホールディングス株式会社)がハリス株式会社を買収して設立した会社である。同社は渡辺製菓の粉末飲料のノウハウを利用して、初のカップ入り汁粉である「カネボウカップしるこ」を発売、テレビCFに水前寺清子を起用した。その後、カネボウへの吸収合併などを経て、2007年(平成19年)にクラシエフーズとなって現在に至る。

提供番組・映画

関連事項

  1. ^ 杉本屋製菓公式サイト内の記事「鈴木菊次郎氏」の記述を参照。
  2. ^ a b c 愛知県公式サイト内の記事「龍影閣」の記述を参照。
  3. ^ 『参議員要覧』(国会参議院事務局、1971年)の記述を参照。
  4. ^ 中央勞働學園・社会文化研究所・桂労働関係研究所『勞働年鑑』(中央勞働學園、1956年)p.67の記述を参照。
  5. ^ a b 「まぼろしチャンネル」サイト内の「まぼろし第二小学校」、串間努執筆の記事『第6回「コビトのチューブチョコはパチンコ景品のリサイクル」の巻』(2003年4月1日)の記述を参照。