渡瀬憲明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。松茸 (会話 | 投稿記録) による 2016年1月3日 (日) 12:44個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎エピソード)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

渡瀬憲明
わたせ のりあき
生年月日 1925年10月8日
出生地 熊本県八代市
没年月日 (1998-08-01) 1998年8月1日(72歳没)
出身校 明治大学
前職 衆議院議員秘書
所属政党 自由民主党
称号 勲三等旭日中綬章

選挙区 熊本県第2区
当選回数 2回
在任期間 1990年2月19日 - 1996年9月27日
テンプレートを表示

渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 1998年8月1日)は、日本の政治家衆議院議員熊本県八代市出身。旧制八代中学明治大学法学部卒業。

来歴・人物

坂田道太の秘書を経て政界入り。1990年第39回衆議院議員総選挙に坂田の後継者として旧熊本2区から自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に岡田克也佐田玄一郎藤井裕久鈴木俊一亀井久興中谷元森英介福田康夫石原伸晃河村建夫小林興起塩谷立古屋圭司細田博之松岡利勝小坂憲次山本拓赤城徳彦簗瀬進など)。2期務め、河本派に所属した。この間、防衛政務次官、衆議院文教委員会理事、衆議院安全保障委員会委員、衆議院厚生委員会委員、石炭対策特別委員会委員などの要職を歴任。

小選挙区制導入後初の総選挙となった1996年第41回衆議院議員総選挙では熊本5区から出馬するも、新進党公認の矢上雅義に敗れて議席を失った(なお矢上は新進党分裂後に自民党に入党し、渡瀬の事実上の後継者となった)。

1998年8月1日、72歳で死去。勲三等旭日中綬章を受章した。

エピソード

  • 1996年の総選挙で小選挙区で落選。比例区でも24位と次点に終わった。その2年後、国政復帰を果たせぬまま渡瀬は死去した。翌年に比例区で当選した東家嘉幸が議員辞職。この時点で渡瀬が生きていれば繰り上げ当選になっていた(渡瀬より下位の林田彪が繰り上げ当選)。
  • 内閣総理大臣在職中の森喜朗が、当時まだ存命中だった坂田道太のことを取り上げ、「亡くなられた坂田さん……」と発言。のちに撤回したが、その際、坂田と渡瀬を混同して取り間違えた、と弁明した。