清武弘嗣

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清武 弘嗣
ロンドンオリンピックでの清武弘嗣(2012年)
名前
愛称 キヨ、ヒロシ
カタカナ キヨタケ ヒロシ
ラテン文字 KIYOTAKE Hiroshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-11-12) 1989年11月12日(34歳)
出身地 大分県大分市
身長 172cm
体重 66kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 セレッソ大阪
ポジション MF(OMF)/ FW
背番号 13
利き足 右足
ユース
2002-2003 カティオーラFC(大分市立原川中学校
2004 大分トリニータU-15(大分市立原川中学校)
2005-2007 大分トリニータU-18(大分東明高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2009 日本の旗 大分トリニータ 31 (4)
2010-2012 日本の旗 セレッソ大阪 66 (13)
2012-2014 ドイツの旗 1.FCニュルンベルク 64 (7)
2014-2016 ドイツの旗 ハノーファー96 53 (10)
2016-2017 スペインの旗 セビージャFC 4 (1)
2017- 日本の旗 セレッソ大阪 154 (23)
代表歴2
2009  日本 U-20 5 (1)
2011-2012  日本 U-23 11 (2)
2011-2017[1] 日本の旗 日本 43 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月5日現在。
2. 2017年3月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

清武 弘嗣(きよたけ ひろし、1989年11月12日 - )は、大分県大分市出身のプロサッカー選手Jリーグセレッソ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー(攻撃的ミッドフィールダー)、フォワード。元日本代表

近年のサッカーでは希少なファンタジスタタイプ。

プロサッカー選手でおこしやす京都ACに所属する清武功暉は実弟[2]

来歴[編集]

クラブ[編集]

大分トリニータ[編集]

3兄弟の次男として生まれる。小学生時代は父親が監督を務める大分市立明治北小学校サッカークラブでプレーし、大分トリニータのU-15、U-18チームを経て2008年にトップチームに昇格。1年目からスーパーサブとして出場機会を得て、第20節清水エスパルス戦では、1-2の状況から同点ゴールを決め、これが自身のプロ初得点となった。2009年は、主力選手の怪我人続出もあってレギュラーに定着。チームが低迷する中、23試合に出場して3得点を挙げた。

セレッソ大阪[編集]

2010年、大分のJ2降格、財政難に伴い高橋大輔上本大海と共にセレッソ大阪に完全移籍。シーズン序盤は相次ぐ怪我のため出場機会は少なかったが、W杯中断明けからは家長昭博乾貴士とともに3シャドーを形成し、ドイツに移籍した香川真司の穴を埋める存在としてレギュラーに定着した。

2012年、香川真司の移籍後欠番となっていたC大阪のエースナンバー背番号8を継承。5月16日7月1日付けでドイツ・ブンデスリーガ1.FCニュルンベルクへの完全移籍が発表された[3]

ニュルンベルク[編集]

ニュルンベルクでは開幕戦からスタメンに抜擢されると、9月15日ボルシアMG戦では1得点を挙げた他2アシストの成績を残した。この得点はニュルンベルク移籍後初の得点であった[4]。シーズン通してレギュラーとして起用されリーグ4位となる10アシストを記録した。

2013-14シーズンもニュルンベルクのレギュラーとしてプレーしたが、チームは開幕から不振が続き2部降格となってしまった。3得点7アシストで終えた[5]

ハノーファー[編集]

2014年7月25日、ハノーファー96への完全移籍が発表された。2014年10月25日、リーグ戦第9節のボルシア・ドルトムント戦で移籍後初得点となる直接FKをきめ、ブンデスリーガ公式のMOMに選出された。2015年3月7日には強豪バイエルン・ミュンヘンを相手に先制点を決め、累計4ゴール目となった。5月23日、チームの1部残留をかけた最終節SCフライブルク戦では先制点を決め、チームの1部残留を勝ち取った[6]

2015-16シーズンからハノーファーの背番号10を身につけることを発表された[7]。6月11日、日本代表合宿にて右足中足骨を骨折していた事が発表され長期離脱[8]。9月12日、第4節のボルシア・ドルトムント戦で怪我から復帰し[9]、復帰後は3得点4アシストと好調をキープしていたが、11月の代表戦で再び負傷してしまった。2016年2月20日、第22節FCアウクスブルク戦で復帰を果たしたが、チームの調子は上がらず第31節のインゴルシュタット戦で引き分け、チームの2部降格が決定した[10]。ホーム最終節となったホッフェンハイム戦では決勝ゴールを決め、チームの勝利に貢献[11]。5得点6アシストを記録[5]

セビージャ[編集]

ハノーファーが降格した事により、清武に複数のクラブから関心が寄せられたが、移籍金が800万ユーロ(約10億円)と設定されていたため移籍が困難とされた[12]。しかし、ハノーファーが2億円の減額に応じたため[13]、2016年6月10日にリーガ・エスパニョーラセビージャFCへの完全移籍が発表された[14]。背番号は「14」。2016年8月9日、デビュー戦となったUEFAスーパーカップレアル・マドリード戦では先発出場し、延長戦の末120分間フル出場するも2-3で敗れた。8月20日、リーガ・エスパニョーラ開幕戦のRCDエスパニョール戦では4-1-3-2の右サイドハーフで先発し、1得点1アシストの活躍でデビュー戦を飾った。11月2日、UEFAチャンピオンズリーグ第4節のディナモ・ザグレブ戦で後半にガンソと変わってCL初出場を果たした。しかしシーズン通して出場することは出来ず、更にアルゼンチン人ワルテル・モントーヤの加入が濃厚となり、EU圏外選手枠の3名から押し出され戦力外通告を受けた。

セレッソ大阪復帰[編集]

2017年1月28日、『マルカ』は清武の移籍先として古巣のセレッソ大阪の他にFC東京ヴィッセル神戸サガン鳥栖の名前が挙がっていると報じ[15]2月1日にC大阪が完全移籍での獲得を発表した[16]。第3節北海道コンサドーレ札幌戦で初先発。第9節の川崎フロンターレ戦では移籍後初得点を決めた。

その後3年間に渡り怪我に悩まされた。ロシアワールドカップ落選後、『仕切り直し』と考えていた初戦で肉離れを起こし引退を考えた。小さい頃から『ケガする選手は計算できないし、使いづらい』と言われており、本当にそのような選手になってしまったと話している。しかし、父親や内田篤人の言葉を受けて現役続行を決めた[17]

2020年、怪我無くシーズンを戦い終えた。 ボールの位置によって選手全員がスライドするポジショナルプレーを志向したロティーナ監督の下では、個人突破が必要とされない戦術の中、勝負所で個人技を引き出す事に成功し、第12節ベガルタ仙台戦では、相手ディフェンダー陣の意表を突くノールックシュートでゴールを決めた[18]。第16節横浜F・マリノス戦ではループ気味のミドルシュートを決めた[19]。他にも、9月、11月の月間ベストゴールに選出されるなど鮮烈なゴールを決めた[20]。攻撃の組み立てや、スルーパスで相手のファウルを誘うなど司令塔としても活躍した[20]。キャリアハイの8ゴールを記録し、8ゴール8アシストの成績で終えた[5]。12月31日,2023年シーズンまでの複数年契約を掴んだ[21]

2022年、小菊昭雄監督の下で、左サイドハーフではなくトップ下で起用された。リズムを作るだけでなく、第16節終了時点で、総アシスト数は2にすぎないが、ゴールにつながる決定的なパスも数多く、活躍した[22]。しかし、第18節 清水エスパルス戦で相手と交錯した際に負傷し、左足リスフラン靭帯損傷で離脱した[23]。その間、チームはフォーメーションを4-2-3-1から4-4-2に変更、ハイプレスを思考するサッカーに変更して勝ちを重ねていた、復帰後はハイプレスを求められるサッカーの適応に苦しみ、2トップの一角やボランチで起用されたが、本人は「浮いていた」「自分がポンって入れられて、何か違う」と思っていた[24]。シーズン最終のフレンドリーマッチ・ツエーゲン金沢戦ではボランチで先発起用、前半3分で先制点をアシスト、27分にはハーフウェイラインから相手ゴールキーパーを飛び越えるロングシュートで得点を決め、鋭い縦パスを通して起点になりつづける大車輪の活躍をみせた[25]。左足リスフラン靭帯損傷の影響については「今でも痛い。疲労が溜まっていたり芝が硬かったら、次の日、寝起きから痛い」と述べており[24]

2023年は開幕戦1週間前の2月11日に左ハムストリング筋を損傷した。完治期間は不明であり、4月においても復帰できるかわからないと本人は言う[26]

2024年、4月17日のリーグカップのいわてグルージャ盛岡戦で久々に公式戦ベンチ入りした[27]

日本代表[編集]

2011年8月10日に札幌ドームで行われた韓国戦で前半36分に岡崎慎司に代わりA代表デビューを果たし、2アシストを挙げ、日本代表の勝利に貢献した[28]。9月2日のW杯3次予選の北朝鮮戦では吉田麻也の決勝点をアシストした。また、U-22日本代表として出場したロンドンオリンピック・ アジア地区最終予選では、9月21日の対マレーシア戦(鳥栖スタジアム)で全得点に絡み、日本代表のオリンピック出場獲得に貢献した。この年、Jリーグベストイレブンにも選出された。

2012年8月に開催されたロンドンオリンピックではグループリーグ第2戦モロッコ戦で永井謙佑の決勝点をアシストした[29]。全ての試合に出場するも、チームは4位に終わりメダルには届かなかった。

2012年11月14日、2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選オマーン戦で代表初得点を決めた。

2014年5月12日にW杯ブラジル大会の日本代表メンバーに選出された[30]。出場機会は第3戦コロンビア戦のみで、後半終了間際の8分のみであった。12月、AFCアジアカップ2015に臨む日本代表にワールドカップ以来の復帰。大会を通して先発出場する事はなく、チームは準々決勝で敗れた。

2018 FIFAワールドカップ予選では、香川真司に代わってトップ下で先発出場する試合も増えており、最終予選第5戦のサウジアラビア戦では先制ゴールを決めるなどと活躍した。しかしその後は所属先のセビージャで出場出来ていないことなどもあって、第7戦イラク戦のメンバーから落選すると、以降は代表に選出されず本大会のメンバーからも外れた。

人物[編集]

  • 2024年、強度といったフィジカルや肉弾戦が重要視される近年のサッカーについては「Jリーグでも似たようなチームが増えてきましたよね。個性的なチームが少なくなっているというのは、個人的には感じています。もちろん、世界的に見ても強度が高くて、縦に速いサッカーっていうのが主流になってきているなかで、そこに対応しなければいけないっていうのはあります。だけど、ちょっと前のサッカーのように、意図を持ってボールをつなぎながら、アイデアやテクニックを駆使して相手を攻略していくというサッカーのほうが楽しかったなとは思います」と話した[31]
  • サッカーセンスに溢れており、ゲームメイク力、多彩に蹴り分ける高精度のパスを持つ[32]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 大分 28 J1 8 1 3 0 1 0 12 1
2009 23 3 6 1 2 0 31 4
2010 C大阪 13 25 4 1 0 3 0 29 4
2011 25 7 0 0 3 1 28 8
2012 8 16 2 3 1 - 19 3
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2012-13 ニュルンベルク 13 ブンデス1部 31 4 - 1 0 32 4
2013-14 33 3 - 1 0 34 3
2014-15 ハノーファー 28 32 5 - 1 0 33 5
2015-16 10 21 5 - 1 0 22 5
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
2016-17 セビージャ 14 プリメーラ 4 1 3 0 - 7 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2017 C大阪 46 J1 18 6 4 0 4 0 24 6
2018 10 20 4 2 0 1 1 23 5
2019 27 1 1 0 0 0 27 1
2020 33 8 4 1 - 37 9
2021 32 2 2 0 5 2 39 4
2022 24 2 9 1 1 0 34 3
2023 13 2 0 0 0 1 0 3 0
通算 日本 J1 253 40 35 4 21 4 309 48
ドイツ ブンデス1部 117 17 - 4 0 121 17
スペイン プリメーラ 4 1 3 0 - 7 1
総通算 374 58 38 4 25 4 437 66

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2011 C大阪 13 9 4
UEFAUEFA CL
2016-17 セビージャ 14 2 0
AFCACL
2018 C大阪 10 1 0
2021 C大阪 10 5 0
通算 AFC 15 4
通算 UEFA 2 0

その他の国際公式戦

日本代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 43試合 5得点 (2011年 - 2017年)[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2011 5 0
2012 7 1
2013 11 0
2014 3 0
2015 7 0
2016 9 4
2017 1 0
通算 43 5

出場[編集]

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2011年8月10日 日本の旗 札幌 札幌ドーム 大韓民国の旗 韓国 ○3-0 アルベルト・ザッケローニ キリンチャレンジカップ2011
2. 2011年9月2日 日本の旗 さいたま 埼玉スタジアム2002 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 ○1-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
3. 2011年9月6日 ウズベキスタンの旗 タシュケント パフタコール・マルカジイ・スタジアム ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン △1-1
4. 2011年11月11日 タジキスタンの旗 ドゥシャンベ ドゥシャンベ・セントラル・スタジアム タジキスタンの旗 タジキスタン ○4-0
5. 2011年11月15日 朝鮮民主主義人民共和国の旗 平壌 金日成競技場 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 ●0-1
6. 2012年6月3日 日本の旗 さいたま 埼玉スタジアム2002 オマーンの旗 オマーン ○3-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
7. 2012年6月12日 オーストラリアの旗 ブリスベン ブリスベン・スタジアム オーストラリアの旗 オーストラリア △1-1
8. 2012年9月6日 日本の旗 新潟 東北電力ビッグスワンスタジアム アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 ○1-0 キリンチャレンジカップ2012
9. 2012年9月11日 日本の旗 さいたま 埼玉スタジアム2002 イラクの旗 イラク ○1-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
10. 2012年10月12日 フランスの旗 サン=ドニ スタッド・ド・フランス フランスの旗 フランス ○1-0 国際親善試合
11. 2012年10月16日 ポーランドの旗 ヴロツワフ ヴロツワフ市立競技場 ブラジルの旗 ブラジル ●0-4
12. 2012年11月14日 オマーンの旗 オマーン スルタン・カーブース・スポーツコンプレックス オマーンの旗 オマーン ○2-1 2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
13. 2013年2月6日 日本の旗 神戸 ホームズスタジアム神戸 ラトビアの旗 ラトビア ○3-0 キリンチャレンジカップ2013
14. 2013年3月26日 サウジアラビアの旗 ブライダ キングアブドゥラースポーツシティスタジアム ヨルダンの旗 ヨルダン ●1-2 2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
15. 2013年5月30日 日本の旗 豊田 豊田スタジアム ブルガリアの旗 ブルガリア ●0-2 キリンチャレンジカップ2013
16. 2013年6月4日 日本の旗 さいたま 埼玉スタジアム2002 オーストラリアの旗 オーストラリア △1-1 2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
17. 2013年6月11日 カタールの旗 ドーハ グランド・ハマド・スタジアム イラクの旗 イラク ○1-0
18. 2013年6月15日 ブラジルの旗 ブラジリア エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア ブラジルの旗 ブラジル ●0-3 FIFAコンフェデレーションズカップ2013
19. 2013年9月6日 日本の旗 大阪 長居陸上競技場 グアテマラの旗 グアテマラ ○3-0 キリンチャレンジカップ2013
20. 2013年9月10日 日本の旗 横浜 横浜国際総合競技場 ガーナの旗 ガーナ ○3-1
21. 2013年10月11日 セルビアの旗 ノヴィ・サド スタディオン・カラジョルジェ セルビアの旗 セルビア ●0-2 国際親善試合
22. 2013年11月16日 ベルギーの旗 ヘンク クリスタル・アレナ オランダの旗 オランダ △2-2
23. 2013年11月19日 ベルギーの旗 ブリュッセル ボードワン国王スタジアム ベルギーの旗 ベルギー ○3-2
24. 2014年3月5日 日本の旗 新宿 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ニュージーランドの旗 ニュージーランド ○4-2 キリンチャレンジカップ2014
25. 2014年5月27日 日本の旗 さいたま 埼玉スタジアム2002 キプロスの旗 キプロス ○1-0
26. 2014年6月24日 ブラジルの旗 クイアバ パンタナルアリーナ コロンビアの旗 コロンビア ●1-4 2014 FIFAワールドカップ
27. 2015年1月12日 オーストラリアの旗 ニューカッスル ニューカッスル国際スポーツセンター パレスチナの旗 パレスチナ ○4-0 ハビエル・アギーレ AFCアジアカップ2015
28. 2015年1月16日 オーストラリアの旗 ブリスベン ブリスベン・スタジアム イラクの旗 イラク ○1-0
29. 2015年1月20日 オーストラリアの旗 メルボルン メルボルン・レクタンギュラー・スタジアム ヨルダンの旗 ヨルダン ○2-0
30. 2015年3月27日 日本の旗 大分 大分スポーツ公園総合競技場 チュニジアの旗 チュニジア ○2-0 ヴァイッド・ハリルホジッチ キリンチャレンジカップ2015
31. 2015年10月8日 オマーンの旗 マスカット シーブ・スタジアム シリアの旗 シリア ○3-0 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
AFCアジアカップUAE予選
32. 2015年10月13日 イランの旗テヘラン アザディ・スタジアム イランの旗 イラン △1-1 国際親善試合
33. 2015年11月12日 シンガポールの旗 カラン シンガポール国立競技場 シンガポールの旗 シンガポール ○3-0 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
AFCアジアカップUAE予選
34. 2016年3月24日 日本の旗 さいたま 埼玉スタジアム2002 アフガニスタン・イスラム共和国の旗 アフガニスタン ○5-0
35. 2016年3月29日 日本の旗 さいたま 埼玉スタジアム2002 シリアの旗 シリア ○5-0
36. 2016年6月3日 日本の旗 豊田 豊田スタジアム ブルガリアの旗 ブルガリア ○7-2 キリンカップサッカー2016
37. 2016年6月7日 日本の旗 吹田 市立吹田サッカースタジアム ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ ●1-2
38. 2016年9月1日 日本の旗 さいたま 埼玉スタジアム2002 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 ●1-2 2018 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
39. 2016年10月6日 日本の旗 さいたま 埼玉スタジアム2002 イラクの旗 イラク ○2-1
40. 2016年10月11日 オーストラリアの旗 メルボルン ドックランズ・スタジアム オーストラリアの旗 オーストラリア △1-1
41. 2016年11月11日 日本の旗 鹿嶋 茨城県立カシマサッカースタジアム オマーンの旗 オマーン ○4-0 キリンチャレンジカップ2016
42. 2016年11月15日 日本の旗 さいたま 埼玉スタジアム2002 サウジアラビアの旗 サウジアラビア ○2-1 2018 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
43. 2017年3月28日 日本の旗 さいたま 埼玉スタジアム2002 タイ王国の旗 タイ ○4-0

得点[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2012年11月14日 オマーンの旗 マスカット オマーンの旗 オマーン ○2-1 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
2. 2016年3月24日 日本の旗 さいたま アフガニスタン・イスラム共和国の旗 アフガニスタン ○5-0 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
3. 2016年6月7日 日本の旗 吹田 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ ●1-2 キリンカップサッカー2016
4. 2016年11月11日 日本の旗 鹿嶋 オマーンの旗 オマーン ○4-0 キリンチャレンジカップ2016
5. 2016年11月15日 日本の旗 さいたま サウジアラビアの旗 サウジアラビア ○2-1 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選

タイトル[編集]

クラブ[編集]

大分トリニータ
セレッソ大阪

個人[編集]

その他特記事項[編集]

著書[編集]

  • 明日への足音小学館、2014年。ISBN 978-4093883610http://www.shogakukan.co.jp/books/09388361 
  • だから僕は、前に進める。ワニブックス、2014年。ISBN 978-4847092282https://www.wani.co.jp/event.php?id=4306 

学業について[編集]

2003年から開設している早稲田大学人間科学部eスクール(通信教育課程)の2008年度募集分にて、同学部健康福祉科学科にスポーツ分野特別推薦枠で出願し、合格している[33]

脚注[編集]

  1. ^ a b “清武 弘嗣”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ka/hiroshi_kiyotake.html 
  2. ^ “清武兄弟の"共演"実現! 兄・弘嗣が貴重2ショット投稿「久々一緒のピッチでプレー」”. Football ZONE WEB/フットボールゾーンウェブ. (2020年1月29日). https://www.football-zone.net/archives/243426 2020年12月5日閲覧。 
  3. ^ “清武弘嗣選手の移籍について”. セレッソ大阪公式サイト. (2012年5月16日). http://www.cerezo.co.jp/news_detail.asp?c_idx=10007753&contents_code=100100100 2012年5月17日閲覧。 
  4. ^ 清武がドイツ初ゴール&2アシスト、チームを勝利に導く Goal.com日本語版 2013.4.29 04:43 (UTC) 閲覧
  5. ^ a b c 今シーズンの清武 弘嗣の成績”. FootyStats. 2021年7月31日閲覧。
  6. ^ チームを残留へと導いた清武、ブンデス公式のMOMに! フットボールチャンネル 2015年5月24日閲覧
  7. ^ ハノーファーの残留支えた清武、来シーズンの背番号が「10」に変更 soccerking 2015年6月19日
  8. ^ 清武は右足中足骨の骨折…日本で手術へ ゲキサカ 2015年6月12日
  9. ^ 清武が復帰戦で先制の起点、香川と酒井宏も先発…ドルトが開幕4連勝 soccerking 2015年9月13日
  10. ^ ハノーファー降格決定。清武弘嗣、酒井宏樹、山口蛍はどうなる? soccerking 2016年4月26日
  11. ^ 清武の今季5点目が決勝ゴールに…ハノーファー、今季ホーム最終戦を白星で飾る soccerking 2015年5月8日
  12. ^ 清武争奪戦?ポイントは移籍金か kicker日本版 2016年4月16日
  13. ^ ハノーバーが2億円減額の親心で後押し! 清武のセビージャ移籍でクラブ間合意 Soccer Magazine ZONE web 2016年6月10日
  14. ^ 清武弘嗣、セビージャ移籍が決定…クラブ間合意と発表、4年契約 サッカーキング 2016年6月10日
  15. ^ “清武がJ復帰か C大阪、F東京、神戸、鳥栖が獲得に動く”. スポーツ報知. (2017年1月30日). https://web.archive.org/web/20170201170939/http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20170129-OHT1T50282.html 2017年2月1日閲覧。 
  16. ^ セビージャFC 清武弘嗣選手 完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)セレッソ大阪、2017年2月1日https://www.cerezo.jp/news/2017-02-01-6/2017年2月1日閲覧 
  17. ^ 「もう無理だった」本気で引退を考えた2年前 Jリーグで輝き放つ30歳・清武弘嗣の今”. Yahoo ニュース. 2021年7月31日閲覧。
  18. ^ 2020明治安田生命J1リーグ 第12節”. セレッソ大阪. 2021年7月31日閲覧。
  19. ^ 清武弘嗣のゴールを生んだロティーナ戦術の 真骨頂。「攻撃より守備」のカラクリ”. 2022年3月7日閲覧。
  20. ^ a b 今の清武弘嗣は手に負えない。セレッソの司令塔はようやく息を吹き返した”. サッカーダイジェスト. 2021年7月31日閲覧。
  21. ^ 複数年契約更新のお知らせ (清武 弘嗣選手)”. セレッソ大阪. 2021年7月31日閲覧。
  22. ^ 清武弘嗣がいると違う――。好調セレッソ大阪でエースがスーパープレーを見せている”. 2022年6月28日閲覧。
  23. ^ 清武 弘嗣選手の負傷について”. 2022年6月28日閲覧。
  24. ^ a b 【清武弘嗣が語る!】今シーズンの振り返り👀 シャケが行く!”. 2022年12月22日閲覧。
  25. ^ 2022ポストシーズンマッチ 2022.11.19 (土) 14:00 石川県西部緑地公園陸上競技場”. 2022年12月22日閲覧。
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  31. ^ セレッソ清武弘嗣「このまま続けていくのは厳しいかな」引退も考えた昨季から復活なるか「緩めてしまったら、自分のサッカー人生は終わり」”. 2024年3月13日閲覧。
  32. ^ セレッソ清武弘嗣にとって香川真司とは?「常に追いかけ、なかなか追い越せない存在。ふたりで牽引できれば」”. 2024年3月13日閲覧。
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]