浜名湖

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浜名湖

衛星写真
所在地 日本の旗 日本
静岡県浜松市湖西市
位置
浜名湖の位置(日本内)
浜名湖
北緯34度44分28秒 東経137度34分11秒 / 北緯34.74111度 東経137.56972度 / 34.74111; 137.56972座標: 北緯34度44分28秒 東経137度34分11秒 / 北緯34.74111度 東経137.56972度 / 34.74111; 137.56972
面積 64.91[1] km2
周囲長 114 km
最大水深 16.6 m
平均水深 4.8 m
貯水量 0.35 km3
水面の標高 0 m
成因 海跡湖
淡水・汽水 汽水
湖沼型 中栄養湖
透明度 1.3 m
プロジェクト 地形
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浜名湖
浜名湖の各水域と周辺地形の名称
浜名湖と富士山

浜名湖(はまなこ)は、静岡県浜松市湖西市にまたがる

地理

静岡県西部に位置しており、南部は遠州灘)に通じている。もとは砂州によって境される淡水湖が1498年の大地震と高潮により、砂州が決壊し外海と通じ、汽水湖となった。そんな汽水湖は海水と淡水の栄養素が集まるため、魚など生物が非常に豊富で魚類338種、甲殻類59種、軟体動物84種と全国一の生物が生息しているとの調査報告がある。面積としては日本で10番目の大きさである[2]。形は複雑で、細江湖(引佐細江)猪鼻湖松見ヶ浦庄内湖と4つの枝湾(水域)を持ち、これらの面積は湖全体の面積の4割に達する。このため、湖の周囲長は日本では3番目の長さとなる。また、汽水湖としては日本一長い。湖の北側と南側で水深は大きく異なり、北側は深く、南側は比較的浅い。

近くに存在する佐鳴湖とは、1つの川(新川)を通して繋がっている。なお、河川法上は、浜名湖は二級河川都田川水系都田川として河川指定がなされており、浜名湖に注ぐ全ての河川も、水系では都田川水系として扱われる。

湖内南端付近に弁天島があり、湖内北部に面積20アールほどの松に覆われた礫島(つぶてじま)がある[3]

潮汐の時刻の遅れ

湖の南部に比べ北部では潮汐の時刻が遅れる。南の舞阪検潮所に比べ中ほどの村櫛で2時間程、北の奥浜名湖(猪鼻湖、細江)や舘山寺方面では3時間程である。

利用

ウナギノリカキスッポンなどの養殖が盛ん。特に養殖ウナギは有名で、鰻丼(鰻飯)、ウナギボーンうなぎパイなどの特産品がある。輸入ウナギに押される形で養殖業者、漁獲量ともに1980年代から減少を続けており、現在の漁獲は最盛期の1/3以下となっている。

浜名湖独特の伝統的な漁法であるたきや漁(獲物を光で誘引し、モリで突いて採取する漁法)も有名で、これによってスズキキスカレイなどが採取されている。その他、潮干狩りのポイントとしても一般に広く利用され、主としてアサリが採取される。

また、浜名湖周辺はリゾート地として開発されている個所も多く、ボートヨットなどのマリンスポーツも盛んに行われている。

浜名湖県立自然公園にも指定されている。

歴史

浜名湖の歴史はおおよそ、40~50万年前の海侵期、天竜川の堆積により台地が形成される。次の海退期に現浜名湖付近に、谷を形成、38万年前、第二海侵期に入り江となる。このとき三方原台地が堆積する。この海退期には天竜川は三方原、磐田台地に分裂させ、第三海侵期に浜名湖付近の沈降と海面上昇で、現浜名湖に近い入り江が出来る。第四海退期(約2万年前)それに続く沖積世の海面上昇により沿岸流が運ぶ土砂で入口をふさがれ、現在の浜名湖を形成した[4]

沖積世の海面上昇は縄文海侵(海進)とよばれ、このあと+3mから-2mほどに渡る海侵・海退が数度おとずれた。これにより低地には海岸線に平行な砂堤を複数残している。その最大は雄踏で高さ10mである。縄文中期~後期以降、浜名湖は庄内半島から日ノ岡より北にあり、その南は平野となっていて川として現在の弁天島駅付近で海に注いでいた。その後この大平野が消滅、平安時代には浜名湖の出口は現在の湖西市新居町大倉戸に流れていて橋が掛けられた。この川を浜名川と呼び、ここを東海道が通っていた。

一般的に古名は遠津淡海(とおつあわうみ)と呼ばれており、遠江の語源となったとも言われる。ただし、国府のある磐田湖(大之浦)を指すとする説もある。この時代は、(琵琶湖より)遠い淡海つまり淡水湖として認識されていた。浜名湖は海に近い湖であったが、湖面の方が海面より高く、浜名湖より流れ出る川を海水が逆流するようなことは無かった。

しかし、明応7年(1498年)に起きた大地震明応地震)やそれに伴う津波により、浜名湖と海を隔てていた地面の弱い部分(砂提)が決壊し現在のような汽水湖となった。この大災害は舞阪から弁天島を分け、その津波により村全体が引っ越したことから村櫛(現在の浜松市西区村櫛町)という地名が付くほどであった。また気賀の地震の神社の様が流れ着いた(元は新居の神様)など、記録や伝承が残る。

この時に決壊した場所は今切(いまぎれ)と呼ばれ、その後は渡し船で往来するようになった。今切は文字通り「今切れた」という意味である。この今切の渡し(いまぎれのわたし)は東西交通の難所として広く知られたが、現在では鉄橋や道路なども通り安全に往来できるようになっている。

周辺自治体との湖面境界

2009年4月の時点では、浜松市西区北区)、湖西市浜名郡新居町(新居町は2010年3月23日付で湖西市に編入)にまたがっており[5]、湖面の境界は定まっていなかった[6]が、3市町により「等距離線主義」により境界を確定することについて協議が進められ、2010年1月7日には市町境界決定書が静岡県知事より交付された[7]。総務大臣への届出により2010年3月16日付で境界が確定し、発効した[8]

周辺

水深が浅いため、湖岸は緩やかな砂浜がほとんど (JR弁天島駅の南方にて)
大草山展望台からの浜名湖の眺望(2011年12月)

観光地・施設

交通

脚注

  1. ^ 国土地理院 (2015年3月6日). “平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積” (PDF). 2015年3月24日閲覧。
  2. ^ 国土地理院 (2015年3月6日). “平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積20傑” (PDF). 2015年3月24日閲覧。
  3. ^ 礫島(つぶてじま)”. 浜松市. 2012年8月26日閲覧。
  4. ^ 神谷昌志 (1985). 浜名湖-自然と歴史と文化 (駿遠豆・ブックス (1) ). 静岡: 明文出版社. ISBN 978-4-94-397600-4 
  5. ^ 2005年6月までは浜松市湖西市、旧浜名郡舞阪町新居町雄踏町、旧引佐郡細江町引佐町三ケ日町が存在し、これらの自治体にまたがっていた。(国土地理院「平成16年 全国都道府県市区町村別面積調」 - 静岡県) 2010年3月までの市町村合併により、存在する自治体は浜松市と湖西市の2市のみとなっている。
  6. ^ 国土地理院 測図部 基本情報調査課 (2009年6月1日). “全国都道府県市区町村別面積調 - 平成21年4月1日現在の速報値 - 静岡県”. 2009年8月15日閲覧。
  7. ^ 静岡県 (2010年1月6日). “(資料提供)浜名湖における市町境界決定書の交付”. 2010年3月16日閲覧。
  8. ^ 市町の境界の確定 (平成22年総務省告示第82号)

関連項目

外部リンク