河内郡 (河南省)

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中国地名の変遷
建置 秦代
使用状況 隋代に廃止
河内郡
前漢殷国
河内郡
後遂郡
後漢河内郡
三国河内郡
西晋河内郡
東晋十六国河内郡
南北朝河内郡
廃止

河内郡(かだい-ぐん)は、秦代から初にかけて現在の河南省に設置された。隋・唐代に河内郡が設置されているが、これは懐州を改称したものであり、漢代から設置された河内郡とは別の行政区画である。

秦代[編集]

秦代に河東郡を分割して、河内郡が置かれた。

前漢[編集]

前漢を建てた劉邦は、即位元年(前202年)に殷国を設置し、翌年に河内郡と改められた。河内郡は18県を管轄した。懐県汲県武徳県波県山陽県河陽県州県共県平皋県朝歌県修武県温県野王県獲嘉県軹県沁水県隆慮県蕩陰県である。『漢書』によれば、前漢末に24万1246戸、人口106万7097人があった[1]

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王莽のとき、後遂郡と改称された。後漢が建てられると、河内郡の称にもどされた[2]

後漢[編集]

下部に16県を管轄した

隋代[編集]

開皇2年(582年)に廃止され、管轄県は懐州直轄とされた。

下部行政区画[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 班固漢書』地理志第8上。小竹武夫訳『漢書』3(ちくま学芸文庫、筑摩書房、1998年)、289 - 290頁。
  2. ^ 班固『漢書』地理志第8上。小竹武夫訳『漢書』3(ちくま学芸文庫、筑摩書房、1998年)、289頁。


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