池田 林儀(いけだ しげのり、1892年1月11日 - 1966年7月15日)は大正・昭和時代のジャーナリスト。
秋田県出身。東京外国語学校(現東京外語大学)卒。大日本雄弁会講談社社員を経て報知新聞社にうつる。大隈重信の番記者をへてベルリン特派員。『優生運動』(1926-1930)を刊行し、日本の優生学の普及を図った。ワンダーフォーゲル運動を日本に紹介し、足の会を優生運動の一環として行った。
昭和8年(1933年)京城日報に招聘され副社長に就任。昭和14年(1939年)報知新聞に復社し編集局長就任。戦後「秋田魁新報」に随筆「話の耳袋」を長期連載した。
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