水野良太郎

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水野 良太郎(みずの りょうたろう)、1936年6月7日 - 2018年10月30日[1])は、日本漫画家[1]イラストレーター、エッセイスト、モデラー(鉄道模型他)。三重県四日市市出身[2]。漫画集団同人、日本ペンクラブ会員。NPO日本鉄道模型の会理事。

来歴[編集]

四日市市に生まれるが、本籍地は東京都[3]だった[2]。1945年に鈴鹿市に疎開の後、中学3年生の春には父の仕事の都合で静岡県浜松市に再度移る[2]

1955年に静岡県立浜松西高等学校を卒業し、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)に進学した[2]。この間、1953年には『アサヒグラフ』で4コマ漫画の投稿欄に入選している[2]

1957年、朝日新聞ジュニア版に『アングリくん』の連載を開始する[2]。同年、武蔵野美術学校を中退した[要出典]。1958年には『漫画読本』などに作品を掲載し、公式ウェブサイトでは「プロ漫画家デビュー」としている[2]

1965年、日本漫画家協会理事に就任する[2]。1970年、千代田工科芸術専門学校講師。1999年、21世紀都市交通国民会議幹事。読売国際漫画大賞選考委員もつとめた。

1960年代には広瀬正伊藤典夫豊田有恒小鷹信光片岡義男(テディ片岡)、しとうきねおなどとユニット「パロディ・ギャング」を組んで活動した。

キャプテン・フューチャー』シリーズ全20巻(早川書房)のイラスト、光文社カッパ・ブックス頭の体操』(多湖輝著)のイラストを全巻担当[1]

2005年にはパーキンソン病の罹患が発覚する(2010年に産経新聞の取材で公表)[2]。しかしその後もウェブサイトの開設や著書の刊行などの活動を2010年代半ばまで続けていた[2]

2018年10月30日22時51分(JST)、肺炎膿胸のため東京都練馬区の病院で死去[1][4]。82歳没。

人物[編集]

1980年代頃からプロ野球横浜DeNAベイスターズのファンであった[5]

受賞[編集]

  • 1962年:イタリア・ボルディゲラ国際マンガサロン ネオテクニカ賞[2]
  • 1964年:イタリア・ボルディゲラ国際マンガサロン テーマ部門(オリンピック)金賞[2]
  • 2000年:日本写真作家協会選定図書特別賞(『鉄道模型を愉しむ』2冊に対して)[2]
  • 2002年:2001年度読売新聞広告大賞 住宅部門最優秀賞(旭化成ヘーベルハウス、イラスト担当)

著書[編集]

単著[編集]

  • 『ドンと行けヨーロッパ マンガ家見て歩き』久保書店、1966年
  • 『鉄道』主婦と生活社 <世界ののりもの>(絵本)、1971年
  • 『フランス語がスキになる本』三修社、1973年
  • 『そんなにパリへ行きたいか もうひとつの雑学情報《饒舌版》』三修社<コロンブックス>、1976年
  • 『鉄道模型入門』広済堂出版、1977年
  • 『退屈しのぎの本 時間を忘れる』ベストセラーズ<ワニの本. ベストセラーシリーズ>、1978年
  • 『漫画文化の内幕』河出書房新社、1991年
  • 『鉄道模型を愉しむ 総合編』東京書籍、2000年
  • 『鉄道模型を愉しむ 実践・応用編』東京書籍、2000年

編著・共著[編集]

  • 『キッス専科』(編著)コダマプレス《Q collections》、1967年
  • 阿部隆彦『なぜなにこども法律パズル』(絵を担当) 講談社<マガジンブックス>、1971年
  • 『ブラック・ユーモア傑作漫画集』(編著)早川書房、1971年
  • 鬼瓦宇太郎『視考力クイズ100』(作画を担当)実業之日本社、1973年
  • J.D.マクドナルド(常盤新平 訳)『夢みる宇宙人』(絵を担当)岩崎書店<SF少年文庫30>、1973年
  • 『マリリン・モンロー U.S.A.聖女伝』(滝沢解との共著)朝日ソノラマ、1973年
    • エンタプライズより1981年に再刊
  • レスリー・チャータリス(白木茂等編、各務三郎訳)『怪盗セイントの金庫やぶり』(絵を担当)岩崎書店<世界の名探偵物語4>、1974年
  • 『絵?パズル』(しとうきねおとの共著)ベストセラーズ<ワニの豆本>、1975年
  • 音楽之友社(編)『まんが音楽事典』(絵の担当者の一人) 音楽之友社、1983年
  • 鬼瓦宇太郎『パズル中毒本 3分間必殺ゲーム』(作画を担当)ベストセラーズ<ワニ文庫>、1984年
  • 鬼瓦宇太郎『パズル中毒本 3分間必殺ゲーム 2』(作画を担当) ベストセラーズ<ワニ文庫>、1985年
  • 『元気いっぱい女を笑わす奴 こんな男に女はついてくる』(パロディ・ギャングとの共著)ベストセラーズ<ワニの本. ベストセラーシリーズ>、1986年
  • 鬼瓦宇太郎『熱中パズル ようこそ,ひらめきワンダーランド!!』(絵を担当) 講談社<講談社X文庫>、1986年
  • 鬼瓦宇太郎『パズル中毒本 3』(作画を担当)ベストセラーズ<ワニ文庫>、1988年
  • 鬼瓦宇太郎『パズル中毒本 4』(作画を担当)ベストセラーズ<ワニ文庫>、1990年
  • 開高健(企画)『13カ国いうたらあかんディクショナリィ―言ってはいけないことばの本』(堀内克明中嶋嶺雄原卓也・宮内敬太郎との共著)講談社<講談社文庫>、1997年1月
  • 『路面電車の基礎知識 黄金の趣味世界へ』(谷川一巳・西村慶明との共著)イカロス出版<イカロスmook. マニアの王道>、1999年
  • 21世紀都市交通国民会議(編集)『路面電車の大逆襲!』水曜社、1999年9月
  • 芦ヶ原伸之『視考力IQクイズ100 あなたの右脳力と直観力がまとめてアップする!』(イラストを担当) 実業之日本社、2007年7月
  • 読売新聞英字新聞部(監修)『オノマトペラペラ = ONOMATO PERA-PERA マンガで日本語の擬音語・擬態語』(編著)東京堂出版、2014年

訳書[編集]

  • ウォーレス・ジャッド『電卓パズル&ゲーム 遊びながら数学に強くなる珍問・難問』サンケイ出版《Sankei books》、1977年

脚注[編集]

  1. ^ a b c d “漫画家・水野良太郎氏が死去、82歳 「頭の体操」シリーズの挿絵など”. サンケイスポーツ. (2018年11月7日). https://web.archive.org/web/20181107143252/https://www.sanspo.com/geino/news/20181107/sot18110715350001-n1.html 2018年11月7日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 水野良太郎の略歴・仕事歴 - 公式ウェブサイト(2021年1月17日閲覧)
  3. ^ 公式ウェブサイトの記述に従う。歴史的には、水野の生誕当時は東京府(もしくは東京市)であり、東京都が発足したのは1943年。
  4. ^ イラストレーターの水野良太郎さん死去 - 時事ドットコム 2018年11月7日
  5. ^ 我が横浜ベイスターズ - 公式ウェブサイト(2021年1月17日閲覧)。文中に出てくる平松政次が現役を引退したのは1984年である。

参考資料[編集]

外部リンク[編集]