水越浩士

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水越 浩士(みずこし こうし、1938年(昭和13年)9月1日 - )は、日本実業家神戸製鋼所会長。朝鮮京城府の生まれで、1945年引き揚げ後中学校まで父の郷里広島県豊田郡大崎上島で育つ。東京教育大学附属駒場高等学校を経て1961年3月に東京大学経済学部を卒業し、同年に神戸製鋼所入社。

概要[編集]

社長秘書役、鉄鋼生産本部管理部(営業総括)、企画部門などを歴任し、企画担当時代にはUSスチールとの合弁事業・プロテックの設立や、のちに同社の主力事業の一つとなるIPP(電力卸売)事業への参入などを手がけた。1999年から2004年まで神戸製鋼所社長。社長就任時より導入された社内カンパニー制の指揮や、日本高周波工業の子会社化、新日本製鐵住友金属との三社間資本提携などを進め、阪神・淡路大震災による大損失や鉄鋼不況を乗り切り、神戸製鋼所の業績回復に道筋をつけた。1999年5月には日本鉄鋼連盟副会長となるが、神鋼の総会屋利益供与事件が発生し、責任をとって鉄連副会長職をわずか半年で辞任した。

2004年より神戸製鋼所会長となり、同社出身では4人目となる神戸商工会議所会頭となる。2005年5月からは関西経済連合会副会長。2006年現在、日本商工会議所副会頭他を兼務。

2009年に、加古川・高砂両製鉄所と長府製造所が、地元議会議員選挙資金を肩代わりしていた問題が発覚し、同年3月に会長職を引責辞任した[1]。同年2億7300万円の役員報酬を受けた。

略歴[編集]

  • 1961年4月 神戸製鋼所入社
  • 1989年6月 神戸製鋼所取締役
  • 1991年6月 神戸製鋼所常務
  • 1993年6月 神戸製鋼所専務
  • 1996年6月 神戸製鋼所副社長
  • 1999年4月 神戸製鋼所社長
  • 2004年4月 神戸製鋼所会長

人物[編集]

永井荷風吉村昭阿川弘之小林恭二サマセット・モームなどの作品を好む。座右の銘は論語の「己の欲せざる所は、人に施す勿れ」と、聖書の「汝らの中、罪なき者石を投げ打て」。

脚注[編集]

先代
熊本昌弘
神戸製鋼社長
第17代:1999-2004
次代
犬伏泰夫
先代
大庭浩
神戸商工会議所会頭
第27代:2004年 - 2010年
次代
大橋忠晴
先代
N/A
神戸国際会館社長
2011年 - 2019年
次代
佐藤廣士