死の行進
死の行進、死の行軍(death march) とは、戦時に苛烈な状況で行われる、健康や生命をかえりみない行進、行軍のこと。これに参加するのは多くの場合囚人や捕虜であり、しばしば多数の死者を出す。
この語が最初に使用されたのは、1944年 - 1945年の冬にナチス・ドイツによって行われた囚人(ほとんどはユダヤ人であった)の強制移動に対して後年の歴史家が名付けたもので、前線の迫った強制収容所の破棄にあたって何千もの囚人が他の収容所やドイツ領内へ移動させられた。
この語は後に他の同様な出来事に対しても用いられた。多くの場合、囚人達に銃口を突きつけて歩かせ、水も食料も雨風をしのぐ場所もなく行進が続けられ、脱落した者は銃殺された。アジアでは、日本軍の「バターン死の行進」が知られる。ソ連によるドイツ人追放、チェコスロバキアによるズデーテン地方やブルノからのドイツ人追放、カンボジアのクメール・ルージュ支配下における都市からの住民強制脱出にもデスマーチが見られた。古くはチェロキー族インディアンの強制移動(涙の道)オスマン帝国によるアルメニア人追放にも「死の行進」は見られる。