武田信安

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武田 信安(たけだ のぶやす、宝永4年(1707年) - 天明8年4月11日1788年5月16日))は、江戸時代中期の高家旗本武田信興の長男。母は大久保忠鎮の娘。通称は市之丞、主水、菫山。

享保20年(1735年)12月12日、将軍徳川吉宗御目見する。元文3年(1738年)10月4日、父信興の死去により家督を相続する。表高家衆に列し、生涯高家職に就くことはなかった。安永8年(1779年)12月3日、隠居して養子信明に家督を譲る。天明8年(1788年)4月11日死去、享年82。

正室は梶川頼照の娘。長男の信用は早世し、他に男子はなかった。そのため、親類とされる武田遺臣末裔の柳沢家から養子信明を迎え、信玄の血統は信安の代をもって断絶となった。これ以降、武田家の血筋は柳沢家の血筋に入れ替わって(柳沢流武田家)名跡が継承された。ただし、信玄の直系としては七男の武田信清の子孫が米沢武田家として、途中女子に婿養子を迎える形となって男系としては絶えたが、現存している。