正院

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正院(せいいん)とは1871年(明治4年)の廃藩置県後に発布された、太政官職制の最高機関である。 それまでの太政官を正院、左院右院の三つに分け、左右両院の上に立つ。政務を執る正院は従来の太政官に相当し、太政大臣納言参議、枢密正権大少史、正権大少史等で構成される[1]。その後、1873年に改正され、その権限はさらに強まり、天皇輔弼の責任が明確にされた。1875年に左右両院が廃止されたが、正院は引き続き存置される。1877年廃止。

正院にはまた、監部課[1]、式部局、舎人局、雅楽局の三局[2]が配属されたが、翌1872年(明治5年)には、舎人・雅楽局は廃止され式部局とともに式部寮に統合された[3]

典拠

  1. ^ a b 菊山正明『明治国家の形成と司法制度』御茶の水書房、1993年、頁不詳頁。//books.google.co.jp/books?id=OTA6AAAAMAAJ。"正院には太政大臣,納言,参議,枢密正権大少史,正権大少史等が置かれ、監部課,式部局,舎人局,雅楽局が属した"。 
  2. ^ 美濃部, 達吉国家神道形成過程の研究』有斐閣書房、1907年、243頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2387790 
  3. ^ 式部寮”. Yahoo! JAPAN 辞書. Mar-2012閲覧。 (日本国語大辞典, 国史大辞典)

参考文献

関連項目