榊田敬二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Tn0777 (会話 | 投稿記録) による 2016年1月19日 (火) 08:47個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎外部リンク: 内容追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

さかきだ けいじ
榊田 敬二
本名 榊田 敬治
別名義 榊田 敬治
生年月日 (1900-01-15) 1900年1月15日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 秋田県仙北郡大曲町(現在の同県大仙市大曲地区
職業 俳優
ジャンル 劇映画現代劇時代劇特撮映画サイレント映画トーキー
活動期間 1921年 - 1975年
主な作品
ゴジラ
テンプレートを表示

榊田 敬二(さかきだ けいじ、1900年1月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5]。本名・旧芸名は榊田 敬治(さかきだ けいじ)[1][3]。おもに現代劇に出演し、戦後は東宝特撮に多く出演[3][5]

人物・来歴

1900年明治33年)1月15日秋田県仙北郡大曲町(現在の同県大仙市大曲地区)に生まれる[1][3]

東京に移り、旧制・赤坂中学校(現在の日本大学第三高等学校)を卒業後、1921年(大正10年)10月、高田馬場に撮影所を持つ小松商会に入社し、『熱火の狼』に出演し、満21歳で映画界にデビューした[1]。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の後、京都に移り、日活大将軍撮影所に入社、1924年(大正13年)7月4日に公開された三枝源次郎監督の『民族の黎明』に出演している[1]。同撮影所での出演記録は不明であるが、1926年(大正15年)早々までには東京に移り、高松豊次郎タカマツ・アズマプロダクションの作品に出演。同年1月22日に公開された山本嘉次郎および横田豊秋(のちの俳優宇留木浩)の共同監督による『男児一諾』に出演しているが、同作の製作は「マキノ・プロダクション東京撮影所」(マキノ東京派)、実体は「タカマツ・アズマプロダクション」である。1927年(昭和2年)秋には京都に戻り、日活大将軍撮影所で脇役を務めている。

1930年(昭和5年)、太秦撮影所を使用していた帝国キネマ演芸に移籍し、同年11月20日に公開された高見貞衛監督の『素晴らしい奴』等に出演したが、同社は翌1931年(昭和6年)8月28日に新興キネマに改組されたため、榊田は、この新会社に継続入社する[1]。1935年(昭和10年)12月末、太秦帷子ヶ辻中開町(現在の右京区太秦堀ヶ内町)に、牧野省三の長男であるマキノ正博トーキーのための新しい撮影所を建設した新会社、マキノトーキー製作所を設立、これに参加する[6]。同社は1937年(昭和12年)4月に解散するが、榊田は前年中に東京に移り、P.C.L.映画製作所に参加、1937年(昭和12年)9月10日に合併して設立された東宝映画に継続入社[1]。これを機に従来本名を用いていたが、芸名を「榊田 敬二」とする[1]

第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)8月15日以降も、東宝争議以降も、東宝に所属し、多くの作品に出演を続けた[1]。満62歳を迎えた1962年(昭和37年) - 1965年(昭和40年)の間は、ペースをダウンして休業した[1]。満68歳を迎え、1968年(昭和43年)6月8日に公開された森谷司郎監督の『』を最後に引退したが[1]、1975年(昭和50年)3月15日に公開された本多猪四郎監督の『メカゴジラの逆襲』まで、端役で出演した。

フィルモグラフィ

すべてクレジットは「出演」である[2][3][4][5]。公開日の右側には役名[2][3][4][5]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[6][7]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。

初期

タカマツ・アズマプロダクション

特筆以外はすべて製作・配給はタカマツ・アズマプロダクションである。

日活大将軍撮影所

すべて製作は日活太秦撮影所、配給は日活である[4]

帝国キネマ演芸

すべて製作・配給は帝国キネマ演芸である。すべて「榊田敬治」名義である。

新興キネマ

特筆以外すべて製作・配給は新興キネマである。すべて「榊田敬治」名義である。

新興キネマ
新興キネマ東京撮影所

マキノトーキー製作所

特筆以外すべて製作は「マキノトーキー製作所」、配給は「千鳥興行」である。すべて「榊田敬治」名義である。

P.C.L.映画製作所

すべて製作は「P.C.L.映画製作所」、配給は「東宝映画」である。すべて「榊田敬治」名義である。

東宝映画東京撮影所

特筆以外すべて製作は「東宝映画東京撮影所」、配給は「東宝映画」である[5]。特筆以外すべて「榊田敬二」名義である[5]

  • たそがれの湖』 : 監督伏水修、「榊田敬治」名義、1937年12月21日公開 - 昆虫博士(生物家者)
  • 阿部一族』 : 監督熊谷久虎、製作東宝映画東京撮影所・前進座、配給東宝映画、「榊田敬治」名義、1938年3月1日公開 - 家老、105分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 巨人伝』 : 監督伊丹万作、1938年4月11日公開 - 寺男、127分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 鶴八鶴次郎』 : 監督成瀬巳喜男、「榊田敬治」名義、1938年9月29日公開 - 観客、88分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 』 : 監督豊田四郎、製作東京発声映画製作所、配給東宝映画、「榊田敬治」名義、1938年11月9日公開 - 出札係、71分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 武道千一夜』 : 監督滝沢英輔、1938年12月11日公開 - 書役宇兵衛
  • 浪人吹雪』 : 監督近藤勝彦、1939年1月11日公開[1]
  • 美はしき出発』 : 監督山本薩夫、1939年2月21日公開[1]
  • 娘の願は唯一つ』(『娘の願ひは唯一つ』) : 監督斎藤寅次郎、1939年3月14日公開、36分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 忠臣蔵 前篇』 : 監督滝沢英輔、1939年4月21日公開 - 月岡治左衛門
  • 忠臣蔵 後篇』 : 監督山本嘉次郎、1939年4月21日公開 - 月岡治左衛門
  • 上海陸戦隊』 : 監督熊谷久虎、1939年5月20日公開 - 池田
  • 白蘭の歌 前篇』 : 監督渡辺邦男、1939年11月30日公開 - 移民村団長
  • 白蘭の歌 後篇』 : 監督渡辺邦男、1939年11月30日公開 - 移民村団長
  • 金語楼の親爺三重奏』 : 監督小国英雄、1939年12月13日公開 - 馬子
  • 化粧雪』 : 監督石田民三、1940年2月14日公開 - 守衛、75分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 蛇姫様』 : 監督衣笠貞之助、1940年4月3日公開 - 清兵衛、127分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 釣鐘草』(『乙女シリーズその二 花物語 釣鐘草』) : 監督石田民三、1940年7月2日公開 - 役名不明、36分・53分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 続蛇姫様』 : 監督衣笠貞之助、1940年8月14日公開 - 清兵衛
  • 旅役者』 : 監督成瀬巳喜男、製作東宝映画京都撮影所、配給東宝映画、1940年12月18日公開 - 百姓、70分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 親子鯨』 : 監督斎藤寅次郎、製作東宝映画京都撮影所、京都撮影所、配給東宝映画、1940年12月18日公開 - 小使、75分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • なつかしの顔』 : 監督成瀬巳喜男、製作東宝映画京都撮影所、配給東宝映画、1941年1月22日公開 - 馬方
  • 暁の進発』 : 監督中川信夫、製作東宝映画京都撮影所、配給東宝映画、1941年1月24日公開 - 北村上等兵
  • 子宝夫婦』 : 監督斎藤寅次郎、1941年2月26日公開 - 職工A
  • 』 : 監督山本嘉次郎、製作東宝映画東京撮影所・映画科学研究所、配給東宝映画、1941年3月11日公開 - 組合の事務員
  • 人生は六十一から』 : 監督斎藤寅次郎、製作東宝映画東京撮影所・吉本興業、配給東宝映画、1941年4月22日公開 - 無料宿泊所管理人
  • 白鷺』 : 監督島津保次郎、1941年5月1日公開 - 紳士、99分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 雲月の妹の歌』 : 監督石田民三、1941年5月14日公開 - 小使、85分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 秀子の車掌さん』 : 監督成瀬巳喜男、製作南旺映画、配給東宝映画、1941年9月17日公開 - バス会社の客、51分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 指導物語』 : 監督熊谷久虎、1941年10月4日公開 - 田舎駅の助役、111分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 八十八年目の太陽』 : 監督滝沢英輔、1941年11月15日公開 - 造船部長、101分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 若い先生』 : 監督佐藤武、1942年3月20日公開 - 父親
映画配給社配給

東宝

特筆以外すべて製作・配給は東宝である[5]。特筆以外すべて「榊田敬二」名義である[5]

テレビドラマ

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r キネマ旬報社[1979], p.235.
  2. ^ a b c 榊田敬二、日本映画情報システム、文化庁、2012年12月12日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 榊田敬二KINENOTE、2012年12月12日閲覧。
  4. ^ a b c d 榊田敬二日活データベース、2012年12月12日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 榊田敬二、映画データベース、東宝、2012年12月12日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 榊田敬治、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月11日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 榊田敬二、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月11日閲覧。

参考文献

外部リンク