森谷司郎

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もりたに しろう
森谷司郎
森谷司郎
映画評論』1967年2月号より
生年月日 (1931-09-28) 1931年9月28日
没年月日 (1984-12-02) 1984年12月2日(53歳没)
出生地 東京府東京市四谷区番衆町(現・東京都新宿区新宿
職業 映画監督
活動期間 1955年 - 1984年
主な作品
八甲田山』『聖職の碑』『動乱』『海峡』『小説吉田学校
 
受賞
芸術選奨新人賞1969年
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森谷 司郎(もりたに しろう、1931年昭和6年)9月28日[1] - 1984年(昭和59年)12月2日)は、日本映画監督

概歴[編集]

東京市四谷区番衆町(現・東京都新宿区新宿)出身[1]1937年に台湾に転居し、中学2年生の時に終戦とともに岡山県へ引き上げる[1]岡山県第一岡山中学校から岡山県立岡山朝日高等学校を経て、1955年早稲田大学第一文学部仏文科卒業[1]卒業後はジャーナリストを志望していたが[要出典]東宝の助監督試験に合格し入社する[1]。同期には恩地日出夫木下亮成瀬巳喜男黒澤明の作品で助監督を務める[1]。監督昇進まで10年以上、助監督を経験し1966年加山雄三主演『ゼロ・ファイター 大空戦』で、監督デビューを飾る[1][2]

5本の黒澤映画でチーフ助監督をつとめた唯一の人物であり、師ゆずりの完璧主義で次第に評価を高め、1970年代に2本の大作映画『日本沈没』と『八甲田山』が記録的な大ヒットとなる。『八甲田山』の撮影は映画史上類を見ない過酷さだったと言われ、裸で死ぬ兵士の肌が紫がかって見えるのはメイクでなく、本当の凍傷であった。この過酷な撮影に耐え切れず、脱走した俳優もいたという[3]。その大作を粘り強くまとめあげる手腕をして、『キネマ旬報』誌上で「日本映画界の四番バッター」と書かれるほどの存在となった[要出典]。しかし、その後はこれを上回るヒットや評価を得ることはできなかった。立花隆の原作の映画『宇宙からの帰還』[4]。の準備中に胃癌で倒れ、1984年12月2日に、53歳で死去した。

なお、黒澤映画の常連でもあった佐藤勝や、芥川也寸志といった巨匠作曲家たちとのコンビで大ヒットを飛ばした森谷だが、その後は一転して若い作曲家と組んだ作品が多い。このことについて、ベテランを信頼して下駄をあずける度量を森谷が失いつつあるのではないかとの憂慮を佐藤がコメントしたことがある。

主な監督作品[編集]

助監督時代[編集]

公開年 作品名 制作(配給) 脚本 監督 上映時間ほか 役職
1955年 7月13日 芸者小夏 ひとり寝る夜の小夏 東宝 梅田晴夫
宮内義治
青柳信雄 モノクロ
スタンダード
105分
9月28日 姿なき目撃者 日高繁明 モノクロ
スタンダード
89分
11月29日 青い果実 笠原良三 青柳信雄 モノクロ
スタンダード
89分
1956年 11月20日 流れる 田中澄江
井手俊郎
成瀬巳喜男 モノクロ
スタンダード
117分
セカンド
1957年 9月22日 大学の侍たち 笠原良三 青柳信雄 カラー
東宝スコープ
1958年 5月13日 杏っ子 田中澄江
成瀬巳喜男
成瀬巳喜男 モノクロ
スタンダード
109分
9月2日 鰯雲 橋本忍 カラー
東宝スコープ
129分
1959年 3月29日 コタンの口笛 カラー
東宝スコープ
126分
8月23日 サザエさんの新婚家庭 笠原良三
蓮池義雄
青柳信雄 カラー
東宝スコープ
85分
チーフ
12月8日 槍一筋日本晴れ 蓮池義雄 モノクロ
東宝スコープ
93分
12月26日 サザエさんの脱線奥様 宝塚映画
(東宝)
笠原良三 カラー
東宝スコープ
79分
1960年 2月14日 落語天国紳士録 東宝 蓮池義雄
椿澄夫
モノクロ
東宝スコープ
91分
2月28日 サザエさんの赤ちゃん誕生 宝塚映画
(東宝)
笠原良三
蓮池義雄
カラー
東宝スコープ
86分
9月15日 悪い奴ほどよく眠る 東宝
黒澤プロダクション
(東宝)
小国英雄
久板栄二郎
黒澤明
菊島隆三
橋本忍
黒澤明 モノクロ
東宝スコープ
151分
1961年 2月8日 若い狼 東宝 恩地日出夫 モノクロ
東宝スコープ
83分
4月25日 用心棒 東宝
黒澤プロダクション
(東宝)
菊島隆三
黒澤明
黒澤明 モノクロ
東宝スコープ
110分
7月8日 大学の若大将 東宝 笠原良三
田波靖男
杉江敏男 カラー
東宝スコープ
82分
セカンド
1962年 1月1日 椿三十郎 東宝
黒澤プロダクション
(東宝)
菊島隆三
小国英雄
黒澤明
黒澤明 モノクロ
東宝スコープ
96分
チーフ
1963年 3月1日 天国と地獄 小国英雄
菊島隆三
久板栄二郎
黒澤明
モノクロ・パートカラー
東宝スコープ
143分
8月31日 国際秘密警察 指令第8号 東宝 小川英
間藤守之
杉江敏男 カラー
東宝スコープ
94分
1965年 4月3日 赤ひげ 東宝
黒澤プロダクション
(東宝)
井手雅人
小国英雄
菊島隆三
黒澤明
黒澤明 モノクロ
東宝スコープ
185分

監督時代[編集]

公開年 作品名 制作(配給) 脚本 上映時間ほか
1966年 7月13日 ゼロ・ファイター 大空戦 東宝 関沢新一
斯波一絵
カラー
シネマスコープ
92分
1967年 3月12日 続・何処へ 井手俊郎 カラー
シネマスコープ
84分
9月30日 育ちざかり カラー
シネマスコープ
88分
1968年 6月8日 橋本忍 モノクロ
スタンダード
100分
9月7日 兄貴の恋人 井手俊郎 カラー
シネマスコープ
84分
1969年 4月12日 二人の恋人 カラー
シネマスコープ
91分
9月10日 弾痕 永原秀一 カラー
シネマスコープ
94分
1970年 8月4日 赤頭巾ちゃん気をつけて 井手俊郎
森谷司郎
カラー
シネマスコープ
89分
1971年 1月9日 初めての旅 東京映画
(東宝)
井手俊郎 カラー
シネマスコープ
87分
7月3日 「されどわれらが日々」より 別れの詩 東宝 橋本忍
岡田和代
橋本綾
カラー
シネマスコープ
104分
9月24日 潮騒 井手俊郎 カラー
シネマスコープ
89分
1972年 2月5日 蒼ざめた日曜日 東宝
石原プロモーション
(東宝)
田波靖男
井手俊郎
カラー
シネマスコープ
90分
9月23日 初めての愛 東宝映画
(東宝)
井手俊郎
森谷司郎
カラー
スタンダード
93分
1973年 3月3日 放課後 井手俊郎 カラー
スタンダード
89分
12月29日 日本沈没 東宝映画
東宝映像
(東宝)
橋本忍 カラー
シネマスコープ
144分
1977年 6月4日 八甲田山 橋本プロ
東宝映画
シナノ企画
(東宝)
カラー
シネマスコープ
169分
1978年 9月23日 聖職の碑 東宝映画
シナノ企画
(東宝)
山内久 カラー
シネマスコープ
153分
1980年 1月15日 動乱 東映
シナノ企画
(東映)
山田信夫 カラー
ビスタビジョン
150分
1981年 6月6日 漂流 東京映画
(東宝)
広沢栄
森谷司郎
カラー
ビスタビジョン
151分
1982年 10月16日 海峡 東宝映画
(東宝)
井手俊郎
森谷司郎
カラー
ビスタビジョン
141分
1983年 4月9日 小説吉田学校 フィルムリンク・インターナショナル
(東宝)
長坂秀佳
森谷司郎
カラー
ビスタビジョン
132分

ドラマ[編集]

脚本作品[編集]

未制作作品[編集]

受賞歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 東宝特撮映画全史 1983, p. 540, 「特撮映画スタッフ名鑑」
  2. ^ 人物伝〜先輩たちの足跡を訪ねて〜 第9回 森谷司郎”. 岡山県立岡山朝日高等学校同窓会. 2017年8月29日閲覧。
  3. ^ 日本の映画史上に名作の数々を残した監督 森谷司郎が亡くなって35年が経つ。その名作秘話を振り返る”. Sankei Shinbun (2019年12月9日). 2020年3月30日閲覧。
  4. ^ 企画当初は記録映画ではなかった

出典・参考文献[編集]

  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 
  • 立花隆『宇宙からの帰還』中公文庫、1985年7月10日。ISBN 4122012325 
  • 田中文雄『神を放った男 映画製作者田中友幸とその時代』キネマ旬報社、1993年12月1日。ISBN 4-87376-070-4 
  • 『日本映画人名事典・監督篇』キネマ旬報社、1997年11月1日。ISBN 4873762081 

外部リンク[編集]