桑原裕義

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桑原 裕義
名前
カタカナ クワバラ ヒロヨシ
ラテン文字 KUWABARA Hiroyoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1971-10-02) 1971年10月2日(52歳)
出身地 広島県広島市
身長 180cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 廿日市FC
ポジション MF / DF
背番号 4[1]
利き足 右足
ユース
広島県立広島工業高等学校
大阪体育大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-2003 サンフレッチェ広島 229 (0)
2004-2005 アルビレックス新潟 46 (1)
2006-2011 NW北九州/ギラヴァンツ北九州 157 (2)
2006 ファジアーノ岡山FC (loan) 0 (0)
2013- 廿日市FC
1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月3日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

桑原 裕義(くわばら ひろよし、1971年10月2日 - )は、広島県広島市出身のサッカー選手。ポジションはMF(守備的MF)。

来歴[編集]

広島県立広島工業高等学校出身。2つ先輩に棚田伸(元柏レイソル)、同級生に梶山洋一(元ヴィッセル神戸)、1つ後輩に皆本勝弘(元セレッソ大阪)。皆本とはのちにサンフレッチェ広島で共にプレー経験がある。

大阪体育大学2年の時に1991年ユニバーシアード・シェフィールド大会代表に選出、1993年バッファロー大会代表に選出され、バルセロナオリンピックアジア予選候補に選出される[2][3]。この際にサンフレッチェ広島のチームドクターがスタッフとして入っており、そのドクターから広島入団へとリクルートされる[2]

1994年にサンフレッチェ広島に入団[2]。プロ同期入団は、大西貴下田崇。1年目は潰瘍のため出場機会がなかったものの、1995年にはビム・ヤンセン監督に抜擢され開幕戦から出場しDFやMFのポジジョンは全てこなした[2]。その後は特にエディ・トムソン監督に重用され、180cmの高さを生かしたフィジカルの強さと運動量で、中盤からリベロまでこなすユーティリティープレイヤーとして活躍した[2]。しかしトムソンが勇退した2001年以降になると森崎和幸の成長もあり、サブに回ることが多くなり出場機会が減って来ていた。

反町康治監督から誘われたこともあり出場機会を求め、2004年からはアルビレックス新潟に移籍する[4]。広い視野と高い洞察力で相手の攻撃の芽を摘み、守備に長けたボランチとして活躍した。しかし新潟においても、若返りを図るというチーム方針に対し、年齢がネックとなり2005年限りで退団する[4]。この際、J2チームからオファーが届き実際話を進めていたものの、年齢がネックとなりそのチームとの移籍話はなくなってしまった[4]。そこへ当時のチームメイトだった木寺浩一から千疋美徳ニューウェーブ北九州監督を紹介される[4]

2006年より当時九州サッカーリーグニューウェーブ北九州ギラヴァンツ北九州の前身)に、プロ契約選手の一人(一説には初のプロ契約選手)として加入する[3][4]。主力ボランチとして活躍し、2007年JFL昇格、2009年J2昇格に貢献した[3][4]。なお2006年10月に当時中国サッカーリーグ所属のファジアーノ岡山FCにレンタル移籍し、全国地域サッカーリーグ決勝大会では主力として活躍している。

2010年よりJ2に昇格したギラヴァンツ北九州においても、4-4-2のセンターハーフを佐野裕哉とともにつとめ、チームに欠かせない心臓として活躍した。翌2011年シーズンも守備の要として33試合に出場した[5]。しかし40歳と高齢に達したこともあってこの年をもって契約を解除され退団[4][5]

トライアウトにも参加したが現役生活を終え、2012年よりクラブのアンバサダーに就任[5]。地域での支持拡大に向け活動していたが、1年で退任した。

2013年久保竜彦大木勉と共に広島県社会人サッカーリーグ1部所属の廿日市FCで現役復帰した[6]

エピソード[編集]

244試合目の初ゴール[7]
2005年8月20日のJ1リーグ第19節ガンバ大阪戦で先制点となる豪快なミドルシュートを決める。MFというポジションにも関わらず、実はJ1出場244試合目にして初めてのゴール。これはGKを除いた選手の最遅初得点記録だった(2014年に阿部翔平(247試合)が更新[8])。
40歳でのJリーグ出場[3]
40歳以上でのJリーグ出場は、(当時の現役Jリーガーの中では)三浦知良中山雅史に次いで3番目の記録であった(藤田俊哉もそうだが桑原のほうが2日分年齢が上)。

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1994 広島 - J 0 0 0 0 0 0 0 0
1995 31 0 - 5 0 36 0
1996 24 0 8 1 5 0 37 1
1997 4 32 0 5 1 2 0 39 1
1998 28 0 3 0 3 0 34 0
1999 J1 26 0 4 0 5 0 35 0
2000 30 0 4 0 1 0 35 0
2001 28 0 6 0 2 0 36 0
2002 14 0 4 0 4 0 22 0
2003 J2 16 0 - 2 0 18 0
2004 新潟 20 J1 24 0 5 0 0 0 29 0
2005 6 22 1 2 0 0 0 24 1
2006 北九州 5 九州 14 0 - - 14 0
岡山 34 中国 0 0 - 0 0 0 0
2007 北九州 5 九州 18 0 - - 18 0
2008 JFL 30 1 - 2 0 32 1
2009 34 1 - 1 0 35 1
2010 J2 28 0 - 0 0 28 0
2011 33 0 - 2 0 35 0
2013 廿日市 4 広島県1部 -
通算 日本 J1 259 1 41 2 27 0 327 3
日本 J2 77 0 - 4 0 81 0
日本 JFL 64 2 - 3 0 67 2
日本 中国 0 0 - 0 0 0 0
日本 九州 32 0 - 0 0 32 0
日本 広島県1部 -
総通算 432 3 41 2 34 0 507 5

脚注[編集]

  1. ^ 2013 廿日市 FC の紹介 (PDF)
  2. ^ a b c d e 桑原裕義 〜挑戦を続けた18年〜 1”. フットボールナビ (2013年2月3日). 2013年2月4日閲覧。
  3. ^ a b c d 40歳の守備的中盤 桑原裕義選手健在”. 朝日新聞 (2011年11月25日). 2013年2月4日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 桑原裕義 〜挑戦を続けた18年〜 2”. フットボールナビ (2013年2月3日). 2013年2月4日閲覧。
  5. ^ a b c 第2の舞台キックオフ J2北九州「大使」就任 40歳桑原さん”. 西日本新聞 (2012年3月3日). 2013年2月4日閲覧。
  6. ^ プレスリリース20130328”. NPO廿日市スポーツクラブ (2013年3月28日). 2013年3月29日閲覧。
  7. ^ 今シーズンもノーゴールに終わった男たち~来シーズンへのエールをこめて~”. J SPORTS (2012年12月4日). 2013年2月4日閲覧。
  8. ^ 甲府DF阿部が247試合目、J1最遅初ゴールも…G大阪が意地のドローに持ち込む”. ゲキサカ (2014年8月23日). 2013年8月23日閲覧。

参考資料[編集]


関連項目[編集]

外部リンク[編集]