桂川甫策
桂川 甫策(かつらがわ ほさく、天保10年(1839年) - 明治23年(1890年)5月25日)は、幕末から明治の洋学者、医師、科学者。桂川甫賢の次男で、蘭学の家として知られる桂川家の8代目。後に良三。本姓は栗本、名は国幹(くにもと)。字は和春。号は淳斎。
略歴
- 1839年(天保10年)江戸に生まれる。
- 1862年(文久2年12月)宇都宮三郎の推挙で蕃書調所手伝出役[1]。開成所になってから教授(蘭学化学二科教授方、仏学教授出役)となる。
- 維新後は、大学南校教授(自然化学)、文部省翻訳官となる。
家族・門人
- 兄は7代目甫周。甫周に男子がなかったため(女子には今泉みねがいる)、弟の甫策を養って8代目とした[2]。
- 姉に大奥で御中臈を務めた桂川てや。
- 弟は幕府陸軍副総裁を務めた藤沢次謙(国謙)。
- 門弟に辻新次がいる。[3][4]
著書
- 化学入門
- 重訳化学通覧
- 英仏単語便覧
- 法朗西文典字類