林家木久扇

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林家はやしや 木久扇きくおう
林家(はやしや) 木久扇(きくおう)
本名 豊田とよた ひろし[注釈 1][1]
別名 KIKUKIN
生年月日 (1937-10-19) 1937年10月19日(86歳)
出身地 日本の旗 日本東京府
師匠 三代目桂三木助
林家彦六
弟子 林家時蔵
林家きく姫
林家彦いち
林家久蔵
二代林家木久蔵
林家きく麿
林家ひろ木
林家扇
林家木りん
林家けい木
林家扇兵衛
林家木はち
名跡 1. 桂木久男
(1960年 - 1961年)
2. 初代林家木久蔵
(1961年 - 2007年)
3. 林家木久扇
(2007年 - )
出囃子 宮さん宮さん
活動期間 1960年 -
配偶者 あり
家族 二代林家木久蔵(息子)
所属 落語協会
トヨタアート(マネジメント)
公式サイト 林家木久扇公式サイト
備考
落語協会相談役
漫画家
トヨタアート代表
KIKUKIN
人物
居住地 日本の旗 日本 東京都
YouTube
チャンネル
活動期間 2019年 - 2021年
ジャンル ブログ
登録者数 5.48万人
総再生回数 2,263,396回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2021年9月11日時点。
テンプレートを表示

林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年昭和12年)10月19日 - )は、落語家漫画家画家YouTuber。旧名∶初代林家木久蔵、本名∶豊田 洋[注釈 1][1]。血液型A型、出囃子∶「宮さん宮さん」、定紋林家彦六一門の定紋である「光琳蔭蔦」、愛称∶木久ちゃん。

来歴・人物

実家は商売をしており比較的裕福な幼少期を過ごしたが、太平洋戦争による使用人の出征東京大空襲による店の全焼など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた。自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つに至る。そのためか貧乏を嫌い、終生長屋暮らしだった師匠彦六を「清貧に甘んじ人情に厚い人」と評する一方で「噺家は貧乏でもいいという姿勢」を欠点とし、「噺の中に出てくる人物と同色の暮らし向きをして、若手落語家たちにあれが老成大家の未来像なんだと植えつけてしまった(例として、落語会のギャラを自分の分だけでなく、弟子達の分まで半分相手に返してしまう行動など)」と記している。

寄席に登場し一礼すると、「スーパースターの林家木久扇でございます」と挨拶し、観客の笑いを誘い、掴みを取る。

「現在の多くの若い落語家は経済観念が欠落している」とも批判している。インタビュー依頼電話に「私が喋るのは只じゃござんせん」とプロ意識を持っていた師匠彦六の天敵6代目三遊亭圓生、豪邸を建てた3代目古今亭志ん朝、師匠彦六と同じ長屋住まいだが「横丁の大金持ち」とあだ名されるほど貯金をして、脳溢血で倒れた際入院費・治療代を全額貯金を払って亡くなり、一方亡くなる直前まで金のことを考えていた師匠彦六の友人9代目桂文治を賞賛している[2]

木久扇が圓生の考えに賛同する部分は特に経済観念であり、噺家活動の方向性については「落語は古典でなくては、のかたまり」「指導力のある人だが、一方的」と感じていたと『ぼくの人生落語だよ』で記している。また、志ん朝の父・5代目古今亭志ん生は対極的に“貧乏長屋”の代名詞として、今なお志ん生一門中心に噺家の小咄のネタとなっている。

木久扇のライバルは“先月の売り上げ”である(ラーメンだけでなく、噺家・作家としての売り上げも含む[3])。

多芸多趣味であることもあり、落語界の外に多くの知己を持っている。大御所になってからも、絵の師匠に弟子入りしたりしている。

『笑点』などで脱力的なキャラクターが認知されているが、エッセイや著書からは、キャラクターのイメージとは異なる相当のインテリであることを窺わせる。時代劇日本史に造詣が深く、NHKの歴史番組などにゲスト出演する際は、笑点でのキャラクターとは別人の描写である。

私生活では、常に帽子を目深にかぶり、絶対に有名人であることを悟られないように用心深く過ごしている。弟子もつけないことが多い。清水崑からは門弟中に「ひとり高く、孤高であれ、お前さん群れなさんなよ[2]」とよく励まされており、その言葉の影響もある模様。

楽屋での人間関係は孤立気味であり、会話はもちろん視線を合わすことも避けられている[4]。これは嫌われているのではなく、不意に変なもうけ話をメンバーに持ち込むため、他のメンバーが絡みづらいと感じているからだとされる[4]6代目三遊亭円楽東京スポーツからのインタビューで「たまたま目が合ったら、近づいてきて、“いい木材を大量に仕入れたからそれを彫り物にして売ろうよ”と持ちかけられた」と暴露した。また、過去にを輸入して観光料で儲けようとしたが、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)に引っかかって大儲けどころか、象が輸入されずに大損したこともある。この時の象は木久象とまで名前をつけていた。とはいえ、若い時分には、師匠連にお茶を出すのは大変だ、ということで二口急須を発明して商品化されるなど、成功した事例もある。

本人の著書によれば、1976年に(本に1967年とあるのは誤り)腸閉塞症に罹り、生存率60%といわれる手術を成功させている。この時、臨死体験に近いことを体験した。父親は胃癌で死亡したが、2000年に本人も胃癌に罹り、を3分の2切除している。ダブル襲名の口上で、きくお改め木久蔵は、この7年前(2000年)に木久扇がガンを患ったことに触れており、「(木久扇が)元気なうちに真打昇進できて良かった。これでいつ天国に行ってもらってもいい」と述べている。

赤塚不二夫タモリとは長く親交があり、彼らの仕事場や宴会にはよく顔を出している。また横山やすしとは親友の間柄であり、やすしを全国ラーメン党の副会長兼大阪支部長に任命したことがある。

3代目三木助死後、三木助の死後まで残っていた門弟達は、三木助と同じ筋である8代目桂文楽5代目柳家小さんを前に次の新たな師匠を決めさせられ、木久蔵(当時・木久男)以外の門弟は皆小さんを選択した。それにもかかわらず8代目林家正蔵一門へ移籍したのは、三木助の病床時に林家正蔵が見舞金を贈ってきたことに対し、「これが一番嬉しい」と三木助の妻が言っていたため。当時の木久男はまだ前座になりたてで、落語界の人間関係をよく理解していなかったと語る[5]

自身の選定により、

  • 家が狭いこと(貧乏長屋であり、部屋数も少ない。掃除が楽)
  • 師匠の子供が既に成人して、自立していること(子守の仕事をすることがない)

ということをメリットに考えた。しかし、正蔵が道具噺をするということまでは実際その準備にかりだされるまで知らず、道具を部屋から引っ張り出し、運び出し、大道具の演技をしなくてはならず、苦心した(もっとも、これはその日に寄席に出ている前座の仕事であるため、正蔵を師としなくてもやらされたものである。二つ目・志ん朝も別の一門であったが正蔵の後ろで大道具の演技をやらされて、失敗をしでかしている)。

本人の著書によれば、約1年半、前座として新師匠彦六宅で修行をする。そのため、彦六の物真似が出来るようになった。笑点の大喜利など随所で披露する他、現在では「林家彦六伝」という新作落語まで作った。反面、彦六一門は師匠彦六自身も含めて本寸法であっても極めて地味な芸風で、テレビで売れるタレント落語家たちとは対極の位置にいたことに対し、『笑点』で活躍する木久蔵はまさしく売れっ子タレントの一人であり、また、預かり弟子であることと、テレビでの活躍などでほとんど長屋に顔を出す機会がなかったこともあってか、彦六は彼への強い印象は持っていなかった(破門宣告も木久蔵に対し37回下しているものの、門弟全員が似たような数の宣告を受けていて、弟弟子の三遊亭好楽も23回破門宣告を受けている)(林家彦六の性格参照)。

このことについては、『笑点』の鶴亀大喜利で三波伸介が木久蔵について師匠彦六に質問したのに対し「あいつはなんだかわからねえ」と答えており(『笑芸人』でも木久蔵自ら語っている)、弟弟子時代からの付き合いで圓楽一門へ移籍した今もなお、笑点メンバーとして付き合いの長い三遊亭好楽(当時:林家九蔵)においても、入門当初から売れっ子だった兄弟子であり、稽古を共にした記憶が無く(「東京かわら版」インタビュー参照)、笑点のメンバーになるまでほとんど面識がなかった模様(このインタビューでも明示されているが、九蔵を笑点に誘ったのは5代目圓楽だった)。

弟弟子林家正雀も、著書で師匠彦六の自宅稲荷町に通ってくる兄弟子の記録として、「3代目八光亭春輔3代目桂藤兵衛林家時蔵が毎日、九蔵が時おり、5代目はやし家林蔵はよく来た」とだけ記している。

日本橋出身であることを誇りに思い、上を走る首都高速道路を地下に移設してほしいと、時々笑点の挨拶で訴えている。

クジラ食文化を守る会』の副会長を務めている事でも分かるように、捕鯨文化の維持を主張しており、『正論』2018年5月号では「食べていい生物といけない生物 決めるのは誰?」というタイトルで、『ビハインド・ザ・コーヴ 〜捕鯨問題の謎に迫る〜』の監督を務めた八木景子との対談が掲載された[6]

大喜利メンバーとして

『笑点』には1967年10月放送の「若手大喜利」で初出演。1969年11月からメンバーとして出演しており、2016年5月には番組を勇退した桂歌丸に代わり最古参・最年長の大喜利メンバーとなった。回答者としての出演期間は、2019年11月9日で50周年を迎え、歴代メンバーの中では最も長く出演している。

大喜利メンバーに入った当初、特徴が無かった木久扇は自分をどうキャラ付けしようか迷っていたが、ある日TVで流れていた嵐寛寿郎の出演するチャンバラ映画を見たのを思い出し、大喜利の回答で鞍馬天狗になりきって「杉作、日本の夜明けは近い」と話したら、これが見事にハマった。そこから目覚めて、時代劇言葉で返すようになって、自身のキャラクターが確立していった。しかし実は鞍馬天狗には原作にも映画にも「杉作……」などというフレーズは出て来ず、木久扇の創作である。それがのちに、木久扇が扮する鞍馬天狗でCMが作られ、賞を受けた[7]

大喜利で歌を歌うのも木久扇の特徴である。昔からミュージカルが好きであった木久扇は、植木等榎本健一のようにセリフの合間に歌を盛り込んだら会場も盛り上がるだろうと考え、自身以前にはいなかった歌を歌う大喜利メンバーとなった[8]

木久扇の持ちネタの落語『林家彦六伝(明るい選挙)』にも出て来るが、木久扇の『笑点』起用は初代司会者7代目立川談志が推薦したことが大きく影響している(現在のキャラクター「与太郎」についても同様である)。その一方、時折与太郎キャラと大きく異なる回答(社会風刺・反戦・メンバー罵倒など)を出して驚かせることもあり、先述の司会者によるフォローも、こうした回答を受けてから発せられることが多かった。自身が襲名の後見を勤めた林家三平が加入して以降は、三平に対して説教やダメ出しをする事が多い。

色紋付の復活当初は「一番目立つ色」という理由で赤い色紋付を着用していたが、1年ほどですぐに黄色に変わりそのまま現在まで至る。

番組内で多用している「やぁねぇ」[8] の駄洒落から、屋根の発展に貢献したとして2004年(平成16年)に神奈川県瓦屋屋根工業連合会の名誉総裁に任命された。

時代劇への造詣の深さから、嵐寛寿郎が『笑点』の「伸介のなんでもコーナー」(1975年7月6日放送)にゲスト出演した際に共演している。また、演芸コーナーで時代劇コントグループカンカラが出演する場合、ゲストで出演することもある。

「いやんばか〜ん・・・・」は、1978年4月12日にレコード化(原曲はジャズナンバーの「セントルイス・ブルース」)されており、振付師の真島茂樹が考案したこの歌への新しい振り付けを2005年10月22日放送の「BS笑点」にて初披露、2006年1月1日放送の「大笑点」では「いやん、ばか〜ん、ツー」と紹介された。

50年間メンバーとして出演していることから、それに触れる際に「司会者を5人送っている」とネタにする事が多い[注釈 2]

80代を迎え、近年では「高齢になり、家への帰り道が分からない」といった認知症キャラクターも演じることもある。

YouTuberとして

YouTuberとしてデビューしたのは一部報道によると、HIKAKINの年収が数十億円に上るという噂を聞いて俄然やる気になったためという[9]。動画投稿のノウハウについてはHIKAKINから教えを得ており(YouTuber名のKIKUKINもあやかったもの)、その様子は2020年1月1日放送の「笑点 正月スペシャル」でも放送された。

2021年3月をもって、YouTubeでの活動を休止。

改名歴

前座名・桂木久男

落語芸術協会(当時は日本芸術協会)から落語協会に移籍した3代目桂三木助(芝浜の三木助)の直弟子である。3代目三木助は弟子にはほぼ全員に「木久」の字をつけていた。彼も例外ではなく、「木久男」という名をもらった。ちなみに木久扇の息子の2代目木久蔵の前名である「きくお」は、木久扇が最初に名乗ったこの名前から取られたものである。

林家木久蔵

3代目桂三木助没後、8代目林家正蔵(後の彦六)門下に移籍した際、前師匠桂三木助の「」と正蔵の「」を取り、永く続くように「」(永久の久から取ったと思われる)で「林家木久蔵」と新たな芸名を与えられた。

林家木久蔵を名乗り続けた理由

彦六が8代目として名乗っていた「林家正蔵」という名は、7代目林家正蔵没後、子息初代三平から一代限りという約束で借りたものなので、8代目林家正蔵はその義理から、自分の一門で「林家」の亭号を増やさないように、弟子が真打になると全員春風亭・橘家など「林家」以外の名に改名させた(ただし、7代目一家(海老名家)が「林家正蔵」の名跡の所有権を代々保持しなければならないという決まりごとは存在しない)。

ただし、木久蔵は三平に気に入られていたことから、真打になっても「林家」の名を変えずに済んだ(「笑点」での木久蔵の真打昇進披露の時には三平、8代目正蔵、9代目桂文治と共に高座に上がった)。林家三平没後は、林家九蔵(同名で真打昇進してから彦六没後1年後に圓楽一門に移り三遊亭好楽に改名)、林家時蔵、林家正雀は、「林家」亭号の変更をしない方針となった。

こうした経緯もあってか、初代三平の長男・こぶ平の9代目正蔵襲名および次男・いっ平の2代目三平襲名に際しては、「笑点」の共演者でもあり多発性硬化症により休養を余儀なくされ、高座を離れていた二人の師匠・こん平の代理として後見を務めている。

林家木久蔵から林家木久扇へ

実子も落語家であり、上述のように、自らの初名「桂木久男」に因み、「林家きくお」と名づけた。2007年(平成19年)9月の真打昇進にあたり、自分の名前をきくおに譲り、演芸番組「笑点」の企画として新しい芸名を公募。『夕刊フジ』は当代木久蔵を「アイデアマン」と評した。

このプランは『笑点』が開いた2006年10月19日の記者会見で明らかにされた。新芸名公募の募集を行った日本テレビへの応募総数は30377通に達した[注釈 3]2007年5月6日放送の『笑点』で新しい名前を発表。公募開始前から「林家木久翁(はやしやきくおう)」が候補とされていたが、結果としては読みが同じ「林家 木久扇(はやしや きくおう)」という名となった。音響の専門家から「お」で終わる名前をアドバイスされたという。結果、これまでの「木久ちゃん」の愛称までは改称されていない[11]。 その他に最終候補に残った名前は「木久彦(きくひこ)」・「木久左(きくざ)」・「木久茶(きくさ)」・「木久寿(きくじゅ)」だった。

漢字は、本人自身が林家 木久扇という字を選んだ。なお、この案で応募したのは2名。「おうぎ」という訓読みを縮めたものと思われる。このためか、立川談志は自身の番組「談志・陳平の言いたい放だい」で、この報道を聞いてすぐに「『オウ』なんて読みはねーよ」というコメントを残している。

2007年4月28日の記者会見では、「落語は聴き込んでいくと面白く奥が深い。が、入り口で誰かが宣伝マンをやらないと中に入ってきてくれない。その役を私がやってきたが、それは変わらない」と話し、従来通りのキャラをやりつづけることを明らかにした。

役職

経歴

落語家として

笑点

自分

  • 1981年(昭和56年)12月、日本で初めてラーメンについての単行本を出し、ラーメン・ブームの火付け役となる。
  • 1992年(平成4年)、社団法人日本漫画家協会正会員。

弟子入り

芸能

闘病

親子ダブル襲名

  • 父・洋:初代林家木久蔵→林家木久扇
  • 子・宏寿:林家きくお→2代目林家木久蔵

落語協会の発表では、2007年9月21日に正式襲名(「木久扇」自体は初代なので、厳密な意味での「襲名」にはあたらない)となる。ただし、出演しているJARO(日本広告審査機構)のCMは同年9月1日以降「木久扇」として出演している。笑点には、同年9月23日放送の「ダブル襲名披露口上」以降、「木久扇」として出演している。

ギャグ・持ちネタ

笑点の大喜利で披露した場合、大抵座布団を没収されたり他のメンバー(主に歌丸や6代目円楽)から呆れたリアクションを取られたりするものも多い。自身の回答が滑った事を察した際には「ウケないね」などと言って、自ら座布団を返上するケースもある。

  • ダジャレ小噺
    寄席などで披露する。ダジャレを用いたさまざまな小噺を披露する。
    「これは絵ですか?」「えぇ」「いい絵ですね」「いいえ」
    「屋根」という言葉を出して「や〜ね〜。」(例:「雨が漏りますね」「や~ね~」など)
    アルジェリア」「ナイジェリア」(例:「アルジェリアは日本では有名でない」「そんなことナイジェリア」など)
    笑点では司会者(歌丸)や観客に先に言われてしまうことが多い。
  • 木久蔵ラーメン
    笑点や寄席などで披露する。ほかのメンバーから「不味い」「保健所の査察(食中毒調査)を受けた」「返品が多い」[注釈 6][注釈 7] などといじられるが、稀にヨイショされることもある。また、木久扇本人も自虐ネタにすることが多い。『木久扇ナポリタン』や『木久扇ワンタンメン』など、関連商品のネタも多い(食品の返品は消費者契約法により、日本国内では返品不可であることがほとんどである)。最近は、たい平が木久蔵ラーメンに対抗して発売した『秩父たい平カレー』や6代目円楽の『円楽腹黒ラーメン』をライバル視しており、たい平や円楽とネタで「不味い」などと罵倒し合う事が多い。
  • 木久扇無理問答

笑点で披露する。「一本でも、にんじんとは、これいかに?」「二本でも、ゴボウというが如し」と言うように普段は流されがちな素朴な疑問を問答にして披露することが多い。

  • その時々に流行っている楽曲 
    いずれも独特のリズムで歌う。挨拶や大喜利の回答では踊ることもある。
  • おやじの海村木賢吉の楽曲)
    笑点で披露する。答えでおできなどと発言すると歌う(をかけている)。
  • チャンチキおけさ三波春夫の楽曲)
    笑点で披露する。警察・探偵に関する問題になると歌う(鑑識とチャンチキをかけている)。
  • ミネソタの卵売り暁テル子の楽曲)
    笑点で披露する。また、暁テル子の楽曲では「東京シューシャインボーイ」などを歌う場合もある。
  • 憧れのハワイ航路岡晴夫の楽曲)
    笑点で披露する。
  • 星の流れに菊池章子の楽曲)
    笑点や寄席などで披露する。
  • イヨマンテの夜(伊藤久男の楽曲)
    笑点で後述の雨乞い師ネタの際に祈りながら披露する。
  • 宇宙人のものまね
    笑点や寄席などで披露する。最後に「ぼよよよよ〜ん」で締める。
  • 河童雨乞い師マイケル・ジャクソン(のものまね)
    笑点で披露する。両隣の(好楽または昇太→三平)メンバーにネタを振られて行う。大喜利の答えに使われた場合、大抵ネタを振った側の座布団が没収となるが、木久扇の座布団ないしは両者の座布団が没収される時もある。
    河童ネタは、後述のように2010年には座布団10枚の賞品の元ネタとなることとなり、トルコカッパドキアの旅となった。
    下記のレパートリーにないものまね(織田信長明智光秀宮本武蔵徳川家康森鷗外など)を振られることもあり、その時でも「私は、○○ですが…」と大河内傳次郎のマネで返すこともあり、司会者からどの物真似も同じと指摘をされる事がある。
  • 相田みつをの詩集
    笑点で披露する。ネタの中で「○○だっていいじゃないか、にんげんだもの」と言い、最後に必ず「せんだみつお」とつける(その際、好楽からツッコミを入れられる)。
  • エレキギター
    笑点で披露する。大喜利の答えに使われた場合、司会者(歌丸)に先に言われてしまうこともある。
    「バカバカバカバカ!」(エレキギターの音と馬鹿をかけている)。
  • 言い間違い・読み間違い
    笑点や寄席などで披露する(「尾崎紅葉の『金色夜叉』」を「尾崎もみじの『きんいろよるまた』」など)。概ね歌丸やほかのメンバーによって訂正される。また、寄席などで披露する場合は発言後に自ら訂正している。
  • 認知症ネタとして、徘徊してどこか分からない、迷わないように支給された小道具を道端に置いて行くなどのネタ。昇太が司会に就任して以降、度々披露する。
  • 大喜利の一問目のお題に対して「今日中にやらなきゃいけないんですね?」と返答する。

など。

ものまねレパートリー

  • 嵐寛寿郎
  • 永六輔 - 木久扇の娘の名前を命名したのは永である。
  • 榎本健一
  • 大河内傳次郎 - 笑点や寄席などで披露する。セリフを長々と披露するため、司会者からは「ここカットね」「休み時間です」などと言われ、大抵座布団は没収となる。
  • 岡晴夫
  • 片岡千恵蔵 - 木久扇は特に多羅尾伴内シリーズが好き。元TBSアナウンサー鈴木治彦の父・鈴木新助が日本橋『たいめいけん』で義太夫の会を催した時に、木久扇(当時・木久蔵)も呼ばれて落語をすることになった。当日お客として招待されていた千恵蔵の前で、『片岡千恵蔵伝』を演じた。[21]
  • 佐々木更三
  • 進藤英太郎
  • 田中角栄
  • 立川談志 - 談志が参議院議員選に出馬した時、選挙の応援をした事がある。
  • 月形龍之介
  • 土屋嘉男
  • 長谷川一夫
  • 初代林家三平 - 木久扇をテレビの世界に紹介する等前座時代から付き合いがあった。
  • 林家彦六 - 木久扇の師匠、笑点や寄席などで披露する。故三遊亭圓生を批判するネタが多く、圓生の孫弟子である好楽や6代目円楽によって制止される。大喜利の答えに使われた場合、大抵座布団は没収となる[注釈 8]。司会が昇太に代わってからは自らの身の上(落語家生活60年、笑点歴50年など)を語った上で、「そういう了見だから昇太さん、あんたのとこには嫁が来ない」などと、昇太が独身だった頃はそれをなじることが多かったが、結婚後は、「あんたの司会に愛はない」などの形に変化した。大河内傳次郎の物真似同様、長々と披露するネタであるため、たい平司会のスペシャル大喜利の時には、「ここ休み時間ですから」とネタにされていた。
  • リ・チュニ
  • 財津一郎 - ピアノ売ってちょうだい(タケモトピアノのCMネタ)など
  • ひょっこりはん
  • ピコ太郎
  • 夢屋まさる

得意演目

メディア

出演番組

現在

過去

※『オレたちひょうきん族 THE DVD 1983〜1984』の一枚目に収録されている。片岡千恵蔵の「七つの顔の男だぜ」を演じている。

著書

林家木久蔵 名義

  • のびのび人生論 ぼくの人生落語だよ(1982年6月、ポプラ社
  • 林家木久蔵のラーメン料理学 - バッチリ75例の献立(1983年2月、日之出出版
  • ふれんど疾風 - 笑点木久蔵交友録(1983年8月、リイド社
  • やすし・木久蔵の香港殴り込み珍道中(横山やすし共著、1983年12月、リイド社
  • 木久蔵の心霊教室 - 不思議を訪ねて(1983年12月、潮文社
  • シネマのマネシ - 木久蔵映画館(1984年4月、実業之日本社
  • 木久蔵のラーメン塾(1985年12月、三修社
  • 私の下町五十景 - 浜町河岸から(1986年4月、三修社
  • 木久蔵のゲンキ創造塾―下町発!転んで起きてまっしぐら(1988年3月、佼成出版社
  • ぼくはラーメンで成功した!―木久蔵の行動式経営術(1988年10月、大陸書房
  • エスカルゴ・ブックス 林家木久蔵の株はおもしろい―ちょっと自慢したいボクの株体験(1990年2月、日本実業出版社
  • 元祖キクゾー 天狗印元気乃素―噺家生活30年。心から“ありがとう”をこめて。(1991年3月、世界文化社
  • 昭和・平成タレント太平記―私をトリコにした男たち(1991年6月、学研プラス
  • のびのび人生論 ころんでおきてざぶとん10枚(1992年8月、ポプラ社
  • 木久蔵流錦絵草紙(1995年5月、リバティ書房
  • 描いて笑っていい気分(1998年1月、あゆみ出版
  • 林家木久蔵の子ども落語(1998~1999年、全6巻、フレーベル館) *電子版あり
  • 輝けキクゾー交遊録(2000年10月、東京新聞出版局)
  • キクゾーのチャンバラ大全(2001年3月、ワイズ出版
  • 落語の隠し味(2001年12月、フレーベル館
  • 昭和下町人情ばなし(2001年12月、NHK生活人新書)*電子版あり
  • バカの中身(2004年6月、うなぎ書房
  • 私の生き方文庫 ぼくの人生落語だよ(2004年8月、ポプラ社)
  • 多羅尾伴内―七つの顔の男(関貞三(著)、林家木久蔵(編)、2005年3月、ワイズ出版

ほか多数

林家木久扇 名義

  • 木久蔵流がんばらない子育て(林家木久蔵共著、2007年5月、教育評論社)
  • 親馬鹿力のおかげです―福を呼ぶ、人の育て方(林家木久蔵共著、ブルース・オズボーン写真、2008年8月、岩崎書店
  • 林家木久扇のラーメンてんぐイカニモあらわるのまき(2008年10月、チャイルド本社
  • お笑いの達人になろう! 〈1〉 - コミュニケーション力up 落語 (ポプラ社、2009年3月)
  • 三才ムック 落語を聞くおう! - 初心者のための落語入門(三才ブックス、2010年9月)
  • 天才林家木久扇のだじゃれことばあそび100(絵:礒みゆき、2011年5月、チャイルド本社)
  • 日本語力をきたえることばあそび〈5〉伝統文化にふれる!山号寺号/むり問答/かけことば(監修・作・絵、2012年2月、フレーベル館
  • これからだ―笑いと元気が湧く林家木久扇3・11俳句画集(2012年8月、今人舎
  • ぽにょりぽにょり(文:内田麟太郎、絵:林家木久扇、2012年12月、今人舎)
  • 林家木久扇のみんなが元気になる学校寄席入門(出演・監修、こどもくらぶ編、2014年12月、全4巻、彩流社
  • がんに負けるな!―免疫力を上げるポジティブ生活術(吉野槇一共著、2015年7月、主婦と生活社)*電子版あり
  • 林家木久扇 バカの天才まくら集(2018年2月、竹書房)*電子版あり
  • イライラしたら豆を買いなさい - 人生のトリセツ88の言葉(2020年5月、文春新書)*電子版あり
  • 木久扇のチャンバラ大好き人生(2020年9月、ワイズ出版)

レコード

  • 酔姫エレジー/歌奈里亜(1975年(昭和50年)12月)
  • いやんばか〜ん/木久蔵のナンチャッテ数え唄(1978年(昭和53年)4月) - 後にCDアルバム「笑タイム」にも収録。
  • とびだすな!!/村のおまわりさん(1979年(昭和54年)9月) - 後にCDアルバム「SMILE」にも収録。前作「いやんばか〜ん」とは打って変わって真面目な歌で、交通ルールについて歌っており、交通安全を促す内容の歌である。

映画

CD

DVD

その他作品

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関連書籍

  • 吉川潮「芸人奇行録・本当(マジ)か冗談(シャレ)か」(1988年1月、白夜書房)突飛な芸人伝」(2001年1月、新潮文庫)、「完本・突飛な芸人」(2006年3月、ちくま文庫)
  • 神津友好「にっぽん芸人図鑑―珍芸・奇芸・名人芸」(1989年4月、主婦と生活社)
  • 笑芸人編集部編「落語ファン倶楽部〈VOL.3〉」(2007年2月、白夜書房
  • 吉行淳之介対談集 やわらかい話〈2〉」(2008年3月、講談社文芸文庫
  • 吉川潮「落語の国 芸人帖」(2009年1月、河出書房新社
  • 松本尚久「芸と噺と―落語を考えるヒント」(2010年5月、扶桑社
  • 「三丁目の落語」編集委員会(編)「三丁目の落語―夕日が似合う新作落語 なつかしい人たちと新作落語で出会う」(2013年3月、講談社
  • 吉川潮「芸人という生きもの」(2015年3月、新潮選書
  • 根本圭助「忘れ得ぬ人々 思い出の風景―昭和から平成へ‐私の交遊録」(2015年6月、北辰堂出版
  • 別冊 詩とファンタジー まるごと林家木久扇(2018年8月、かまくら春秋社
  • 林家木りん「師匠! 人生に大切なことはみんな木久扇師匠が教えてくれた」(2018年6月、文藝春秋
  • 未来につながるまなびば 子ども大学〈2〉生活を楽しむ:国語・体育・家庭科・総合学習(こどもくらぶ編、2020年10月、フレーベル館)

趣味

  • イラスト錦絵 - 略歴節にあるように、かつて漫画家志望だった。個展を開いたこともあり、NHKで放送されている「日本の話芸」のオープニング・イラストは彼の手による物である。雑誌・書籍・テレビからの挿し絵の依頼も多い。
  • 時代劇映画鑑賞 - 落語のマクラによく使っているほか、このジャンルに絞った著書も数冊出版。好きな時代劇は『鞍馬天狗』。鞍馬天狗の出で立ちでデパートの一日店長をやっていたこともある。しかし今の子供は鞍馬天狗を知らず、ある時のサイン会で子供から「おじさんはイカですか?」と言われて嫌になって止めたと言う。著書によれば、少年期から映画が好きだった。嵐寛寿郎など子供の頃に見ていた時代劇俳優の物真似も得意。嵐寛寿郎の晩年に彼とに対面を果たしている。
  • ラーメン食べ歩き - 趣味が高じて自分のラーメン店を開業。
    以上の3つは単なる趣味を越えた腕前である。
  • 俳句 - 俳号は「とよ田三茶」 日本俳人協会会員。
  • 剣道 - 青年期に剣道道場大義塾で剣道範士中村藤吉、全日本剣道選手権優勝者中村太郎に師事。道場の後輩に後の6代目柳家小団治(現在落語家、剣道七)がいた。大義塾OB会会長を務める。現在も剣道好きで素振りは欠かさない。

一門弟子

真打

二ツ目

前座

  • 林家木はち

廃業

破門

弟子の名前

実子の前名の「きくお」を含め、直弟子には平仮名混じりの高座名をつけることが多い傾向にある。笑点ではそれをネタにされることもあり、「きくおが平仮名なのは、親父の木久蔵(当時)が漢字が読めないからだ」、と言われたこともある。なお、自身でも「私にとってKYは『空気読めない』ではなく、『漢字読めない』である」とネタにすることもある。

ただし、林家こん平の弟子についても「たい平」、「いっ平」のような平仮名混じりの高座名をつけている(これは、こん平の師匠である初代三平の流れを汲むものだが、たい平」・「いっ平はこん平の直弟子である)ことから、木久扇に限ったことではないが、ネタにされるのは木久扇ぐらいである。

脚注

注釈

  1. ^ a b 苗字の読みは「とよだ」と誤読されるケースもあるが、「とよた」が正しい。
  2. ^ 木久扇は『若手大喜利』時代を含めると、初代の立川談志から現役の春風亭昇太まで6名全員の司会の大喜利を経験しており、且つ昇太以外の歴代司会者5名は2020年の時点で既に全員故人となっているため。
  3. ^ 代表的な芸名案は「笑点Web」のトップページに2009年初頭まで「林家木久蔵の新しい名前」として掲載されていた[10]
  4. ^ 2012年2月には、東北復興をイメージした絵を、柏崎小学校に贈呈。
  5. ^ 著書には、父親の戦争ボケが原因ともある。
  6. ^ 書籍「笑点の謎」内では「食べると吐く」「返品の山」「ワニが食べて死んだ」
  7. ^ 歌丸曰く「うちの猫にあれ食べさせたらお腹壊しちゃった」
  8. ^ 笑点の大喜利では、実際に寄席などで演じる落語のネタを答えに使うことは禁止されているため。

出典

  1. ^ a b 会社概要 - 落語家・林家木久扇公式HP-(有)トヨタアート”. 2020年12月1日閲覧。
  2. ^ a b 『バカの中身』より。
  3. ^ 林家たい平『笑点絵日記』より。
  4. ^ a b 女性セブン2011年8月11日号
  5. ^ 『元祖キクゾー天狗印元気乃素』および『笑芸人』インタビューより。
  6. ^ 月刊正論2018年5月号
  7. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』45ページ
  8. ^ a b ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』46ページ
  9. ^ 82歳・木久扇がヒカキンに弟子入り ユーチューバー“KIKUKIN”になる! 東スポWeb 2019年12月28日 17時00分(2020年2月17日閲覧)
  10. ^ 木久扇名前募集 笑点Web
  11. ^ 改名当時の笑点の司会者である桂歌丸からは司会者退任まで前名から引き続き「木久ちゃん」と呼ばれていた。
  12. ^ 長崎の漫画家 ~清水崑~”. ナガジン!. 定成淡紅子さん. 長崎市. 2020年11月10日閲覧。
  13. ^ インザーギ fromメガマソ / 「Visualist」 TV Spot youtube.com
  14. ^ 林家木久扇が ビジュアル系に! カヴァーCD『Visualist』発売 CDJournal.com
  15. ^ 自分を面白がらせてみましょうよ 胃がんから3年、笑いの世界を生きる落語家・林家木久蔵さん”. がんサポート. 株式会社QLife (2019年7月). 2021年6月26日閲覧。
  16. ^ “林家木久扇、初期の喉頭がんで休業 コメント全文”. ORICON NEWS (oricon ME). (2014年7月21日). https://www.oricon.co.jp/news/2040054/full/ 2021年6月26日閲覧。 
  17. ^ “林家木久扇、近々手術へ 自宅で転倒…左足大腿骨を骨折”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2021年5月25日). https://www.sanspo.com/geino/news/20210526/geo21052605020008-n1.html 2021年6月26日閲覧。 
  18. ^ 木久扇さんが骨折、入院 自宅でつまずき転倒”. iza (2021年5月25日). 2021年6月27日閲覧。
  19. ^ “左大腿骨骨折の林家木久扇が退院”. サンスポ (産経デジタル). (2021年6月26日). https://www.sanspo.com/article/20210626-5COYPKNKDJMF7ARL6Z7JZIVSQY/ 2021年6月26日閲覧。 
  20. ^ 林家木久扇『笑点』復帰「うれしくてしょうがない」 別室からリモート出演”. 岩手日報 IWATE NIPPO (2021年7月25日). 2021年7月26日閲覧。
  21. ^ 関貞三著・林家木久蔵編『多羅尾伴内 七つの顔の男』ワイズ出版、2005年。181ページ
  22. ^ NHK特集 びんぼう一代~五代目 古今亭志ん生~”. NHKアーカイブス. 2021年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月10日閲覧。

関連項目

外部リンク