松平信清

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松平 信清
時代 江戸時代中期
生誕 元禄2年(1689年
死没 享保9年5月19日1724年7月9日
改名 仁十郎(幼名)→信清
戒名 玄徳院殿性山道崇大居士
墓所 東京都新宿区富久町の自証院
官位 従四位下、侍従越前
幕府 江戸幕府
上野吉井藩
氏族 鷹司松平家
父母 父:松平信政、母:大姫(森長継の娘)
正室:津軽信寿の娘
信友、潔姫(伊達村信婚約者)ら
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松平 信清(まつだいら のぶきよ)は、上野吉井藩の初代藩主。鷹司松平家3代。

生涯

旗本松平信政長男。元禄4年(1691年)12月5日、7000石の家督を継ぐ。元禄12年3月28日、将軍徳川綱吉に拝謁する。元禄16年(1703年)12月21日、従四位下侍従・越前守に叙任する。宝永6年(1709年)、多胡郡など3000石を加増されて合計1万石の大名となる。享保9年(1724年)5月19日に36歳で死去し、跡を長男の信友が継いだ。