本遠寺

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本遠寺

大野山本遠寺本堂
所在地 山梨県南巨摩郡身延町大野839
位置 北緯35度21分45.2秒 東経138度26分46.4秒 / 北緯35.362556度 東経138.446222度 / 35.362556; 138.446222座標: 北緯35度21分45.2秒 東経138度26分46.4秒 / 北緯35.362556度 東経138.446222度 / 35.362556; 138.446222
山号 大野山
宗派 日蓮宗
寺格 本山(由緒寺院)
本尊 三宝尊
創建年 1609年(慶長14年)
開山 日遠
開基 養珠院
札所等 甲斐百八霊場104番
文化財 本堂(重要文化財)など
法人番号 2090005005777 ウィキデータを編集
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本遠寺(ほんのんじ)は、山梨県南巨摩郡身延町にある、日蓮宗寺院。山号は大野山。塔頭が一寺ある(良円寺)。

概要

甲斐国志』によれば、1609年(慶長14年)徳川家康の側室・養珠院(お万の方)の帰依を受けた久遠寺22世・日遠が開山となり創建した。1653年(承応2年)養珠院が亡くなり、遺言により、本遠寺に埋葬された。

1608年慶長13年)江戸城で行われた浄土宗日蓮宗との宗論慶長宗論)において、日蓮宗は敗者となった。その後、徳川家康は「念仏無間」は経典にない空論として、日蓮宗の本山寺院に対して誓状の提出を迫った。日遠は日蓮の教えである「四箇格言」を捨てる訳にはいかず、誓状の提出を拒んだ。徳川家康は命令に逆らう謀反者として日遠を安倍川河原で磔刑に処そうとした。日遠に帰依していた養珠院は徳川家康に日遠の減刑を嘆願し、刑の執行は許された。その後、隠棲した大野の庵が本遠寺となる。

現住は62世近日法貫首(身延町妙泉寺より晋山)。小西法縁。

歴史

  • 1609年(慶長14年)日遠養珠院の帰依を受け、本遠寺を建立する。
  • 1646年(正保3年)徳川家光は朱印地260石を与える。
  • 1650年(慶安3年)徳川頼宣徳川頼房の寄進により、伽藍を整備する。
  • 1653年(承応3年)養珠院の葬儀を行い、墓所を整備する。
  • 1867年(慶応3年)火災により、本堂・鐘楼堂以外を焼失する。
  • 1932年(昭和8年)本遠寺41世・日我の発願により、宝蔵を建立する。
  • 1986年(昭和61年)本堂・鐘楼堂が国の重要文化財に指定される。

文化財

重要文化財(国指定)

  • 本堂 - 1650年(慶安3年)
  • 鐘楼堂 - 1650年(慶安3年)

山梨県指定文化財

  • 木造伝釈迦如来立像(付 黒漆塗厨子) - 昭和55年9月18日指定
木造漆箔・玉眼。像高は97.8センチメートル。宝蔵に安置されている釈迦如来像で、黒漆塗の厨子に収められる。胸部には文字と思われる陽刻が確認されるが、詳細は不明。頭部内側の墨書から、1266年(文永3年)に法橋円覚の子法橋覚慶による作と判明する。本遠寺への伝来経緯は不明であるが、1641年(寛永18年)に本像を描いた絵画が伝来していることから、1653年(承応2年)の養珠院没前から伝来していたと考えられている[1]山梨県指定有形文化財
室町時代から作例が見られる七面天女示現伝承を描いた説法図。江戸時代初期の作。寸法は縦127.0センチメートル、横91.5センチメートル。「秀信」の朱文壺型印を持ち、作者は本遠寺所蔵の日重像や日乾像など日蓮宗画像を数多く手がけた狩野元俊であると比定される。『甲斐国志』によれば、本図は養珠院の寄進であると言われ、養珠院の没年である承応2年(1653年)修理銘がある。

身延町指定文化財

その他

  • 釈迦如来坐像 - 1643年(寛永20年)日護
  • 日蓮聖人坐像 - 等身大

旧末寺

日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

  • 良円寺(山梨県南巨摩郡身延町大野)塔頭
  • 広潤山法運寺(仙台市若林区連坊)
  • 妙光山興善寺(文京区西片)
  • 法雲山仙寿院(渋谷区千駄ケ谷)
  • 本行山昌善寺(韮崎市旭町上條南割)
  • 徳栄山実成寺(伊豆の国市原木)
  • 高現山真立寺(三島市川原ケ谷)
  • 東光山法善寺(静岡県駿東郡長泉町竹原)
  • 正福山慶音寺(静岡県田方郡函南町仁田)
  • 観富山龍華寺(静岡市清水区村松)
  • 三光山道善寺(一宮市牛野通)
  • 智光山誠証寺(岩出市根来)

所在地

山梨県南巨摩郡身延町大野839

交通アクセス

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ 本遠寺釈迦如来立像については、鈴木麻里子「十三世紀半ばから後半の造仏」『山梨県史』通史編2中世、『県史』文化財偏、井澤英理子解説『甲斐の国のたからもの』山梨県立博物館、2009など。頭部内側銘文は『県資』6中世3(考古資料)所載。