木田高介

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木田 高介
出生名 桂 重高
別名 木田 たかすけ
生誕 1949年1月8日
出身地 日本の旗 日本新潟県
死没 (1980-05-18) 1980年5月18日(31歳没)
日本の旗 日本山梨県南都留郡河口湖町
学歴 東京芸術大学音楽学部打楽器科卒業
ジャンル J-POP
職業 ミュージシャン
編曲家
プロデューサー
担当楽器 ドラム
サックス
フルート
ヴィブラフォン
ベース
パーカッション
ピアノ
活動期間 1967年 - 1980年
共同作業者 ジャックス
六文銭
ザ・ナターシャー・セブン

木田 高介(きだ たかすけ、1949年1月8日 - 1980年5月18日)は、鍵盤楽器弦楽器管楽器打楽器など、多様な楽器を扱うミュージシャンであり、編曲家。本名は桂 重高(かつら しげたか)。

人物[編集]

新潟県に生まれる。母親は日本精神分析学会元会員、山王教育研究所元顧問の木田恵子

新潟県立新潟高等学校を経て(2年の2学期まで)、和光高校を卒業後[1]東京藝術大学音楽学部打楽器科に入学。大学在学中に、ジャックスに参加した。ジャックス解散後は、編曲家となり、「出発の歌」(上條恒彦)、「神田川」(かぐや姫)、「私は泣いています」(りりィ)、「結婚するって本当ですか」(ダ・カーポ)など数々のヒット曲を手掛ける。

1975年から1980年の間ザ・ナターシャー・セブンに参加した。その後、ソロ活動を始めた矢先、自動車を運転中にスピードの出し過ぎでガードレールに突っ込み、乗っていたスタッフと共に死去した。

ザ・ナターシャー・セブンに参加していた頃は木田たかすけと称していた。

活動の記録[編集]

1967年 - 1969年 ジャックス[編集]

1967年早川義夫をリーダーとするジャックスに参加。ドラム、サックス、フルート、ヴィブラフォンを担当。

1969年 - 1974年 編曲家[編集]

ジャックス解散後は、六文銭に一時在籍した後、CBSソニー、東芝EMIを中心にアレンジ、プロデュース業を幅広く手掛ける。

手がけたミュージシャンには五つの赤い風船フォーリーブスかぐや姫バンバン山室英美子トワ・エ・モワ)など。初期のジャックスや五つの赤い風船に於いてはヴィブラフォンをフィーチャーした夢幻的なサウンドが印象的であるが、りりィのデビューアルバムをプロデュースするあたりからリリカルなオーケストレーションも特色となる。りりィの初期4枚の仕事はプロデュース、アレンジ、バックバンドバイバイ・セッション・バンドのドラムス担当としてほぼ全権を担っている。

また、以下の映画音楽も担当している。

また、田宮二郎が国際線旅客機の機長に扮して一世を風靡したTBS系テレビドラマ「白い滑走路」の音楽を担当したり、渥美清が主演した読売テレビ制作テレビドラマ「こんな男でよかったら」(渥美清自身の歌唱)の同名主題歌の作曲を高石ともやと共に担当し、アレンジも手掛けた。

1975年 - 1980年 ザ・ナターシャー・セブン[編集]

高石ともやとザ・ナターシャー・セブンに、アレンジャーとして応援参加の後、レコード会社の方針により1975年から正式メンバーとなる。ベース・パーカッション・ピアノ等を担当した。

それまでの仕事とはかなり趣の違うブルーグラス、マウンテンミュージックを手掛けることとなった。派生ユニットとして自切俳人とヒューマンズー(ザ・ナターシャー・セブン、北山修杉田二郎で構成。これにダウン・タウン・ブギウギ・バンドが加わると「JDSN」となる)としても活動。「マイ・ソング」では全編、音をわざと外したアレンジでファンを笑わせた。

ソロ活動の再開と死[編集]

約5年余りを務めた後、脱退。ソロ活動を再開し、フュージョンテイストのリーダー・アルバムを発表したが、1980年5月18日、山梨県の河口湖沿いにて車を運転中に事故を起こし、同乗していた阿部晴彦と共に死去、31歳だった。

事故から約1ヶ月後の1980年6月29日、日比谷野外音楽堂で「木田高介・阿部晴彦追悼コンサート」が開かれ、1万人近くのファンが集まった。この日は明け方には地震があり一日中、雨模様であった。北山修自切俳人)が泣きながら「帰って来たヨッパライ」を、オフコースは「いつもいつも」をアカペラで、吉田拓郎は「アジアの片隅で」を披露した。またかぐや姫は一日限り再結成した。

参加ミュージシャンは以下の通り:

ザ・ナターシャー・セブン(高石・坂庭・城田と石川鷹彦)、オフコース小田鈴木大間・清水・松尾)、かぐや姫伊勢山田)、(伊勢・大久保)、五つの赤い風船(西岡・長野・東・藤原)、吉田拓郎小室等遠藤賢司斉藤哲夫下田逸郎かまやつひろしイルカ、りりィ(国吉良一+土屋昌巳)、はしだのりひこ、ダ・カーポ、山本コウタロー五輪真弓加川良沢田聖子ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド(坂庭の弟も出演)、金子マリとバックスバニー、チャースピードウェイスクランブル・エッグ上条恒彦倍賞千恵子吉川忠英瀬尾一三岡本おさみ喜多条忠

エピソード[編集]

木田の葬儀に参列した五輪真弓が木田の妻の悲嘆ぶりを目の当たりにし、それを基にして作った楽曲が彼女の代表作となる「恋人よ」であった[2]

映画音楽を担当した「」で、最終的には仕事を置いたまま失踪してしまい、吉田拓郎のディレクターだった陣山俊一から急遽呼び出された松任谷正隆が3日間で対応した[3]

ディスコグラフィ[編集]

アルバム[編集]

発売日 規格 規格品番 アルバム
URCレコード
1970年11月 LP URG-4003 溶け出したガラス箱
EPIC・ソニー
1980年4月21日 LP 25-3H-14 DOG'S MAP & CAT'S MAP

※ 作曲・編曲はすべて木田高介

Side:A

  1. Here's Another Morning(作詞:Marco Bruno)
  2. Ice Cream On The Road
  3. Kiss Kalaburi
  4. City Born Woman(作詞:Marco Bruno)

Side:B

  1. Dog's Map And Cat's Map
  2. Is That All There Is To Life(作詞:Marco Bruno)
  3. Hippu To Hippu To Hippu To
  4. Teleportation In The Bright Noon
2018年10月1日 Blu-spec CD2 DQCL-726

オムニバスアルバム[編集]

  • 木田高介アンソロジー~どこへ(2011年11月23日、Solid Records、CDSOL-1456)- 木田高介関連の楽曲42曲を2枚組CDにまとめて、デジタル・リマスタリング盤で出したもの。

関係ミュージシャン[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 寄稿・講演 | 新潟県立新潟高等学校・旧制新潟中学校 東京青山同窓会”. www.tokyo-aoyama.org. 2023年6月16日閲覧。
  2. ^ 「恋人よ〜究極の“別れの歌”の誕生秘話、伝説のグループに在籍した才人の死|季節(いま)の歌|TAP the POP」 2020年10月29日閲覧。
  3. ^ 『僕の音楽キャリア全部話します』松任谷正隆著、新潮社、2016年10月31日発行、56頁。