木下博信

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木下 博信
きのした ひろのぶ
生年月日 (1964-11-24) 1964年11月24日(59歳)
出生地 東京都足立区
出身校 慶應義塾大学法学部
前職 草加市議会議員
所属政党 無所属
公式サイト 木下博信 Official Web Site

選挙区 南第1区 草加市
当選回数 1回
在任期間 2015年4月30日 -

当選回数 3回
在任期間 2001年8月8日 - 2010年10月27日

当選回数 2回
在任期間 1993年 - 2001年
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木下 博信(きのした ひろのぶ、1964年11月24日 - )は、日本政治家埼玉県議会議員(2015年 - )。埼玉県草加市長(2001年 - 2010年)。草加市議会議員(1993年 - 2001年)。全国青年市長会元会長。

来歴

  • 1987年3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。
  • 1993年8月、草加市議会議員補欠選挙で市議会議員初当選。
  • 2001年8月、草加市長選挙に立候補し初当選。市長就任。
  • 2010年9月、草加市議会より市長不信任案が出され、賛成24、反対5、棄権1で可決。市長の権限により、草加市議会を解散。
  • 2010年10月、草加市議会議員選挙後の臨時市議会において、再度市議会より市長不信任案が出され、賛成23(前回比-1)、反対7(前回比+2)で可決。地方自治法の規定により、草加市長を自動失職。
  • 2010年12月、草加市長選挙に立候補するも、市議会側が擁立する候補に敗れる。
  • 2012年7月、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科附属システムデザイン・マネジメント研究所研究員[1]
  • 2013年9月、草加駅、谷塚駅、松原団地駅、新田駅で、駅端懇談を始めた[2]
  • 2014年10月、6月に発足した地域政党「ネクスト草加」公認で草加市長選挙に立候補するも、落選する。
  • 2015年4月、埼玉県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。
  • 2015年5月、埼玉県議会会派「無所属改革の会」結成に参加。

草加市議会議員としての活動

  • 議会改革特別委員会副委員長 
  • 総務文教委員長
  • 監査委員[3]

草加市長としての活動実績

構造改革特別区域を利用して、様々な改革を行った。結果、草加市からの構造改革特区提案数は市町村では、全国一位となった。
逗子市市長 長島一由のブログより。

市町村
  1. 草加市 87件
  2. 多治見市73件
  3. 三次市 39件 [4]

草加市の生産性(人口1人当たりの行政コストと人口千人当たりの職員数から評価)が全国で一位となった[5]

草加市立病院をめぐる対応

草加市立病院が医師不足で産婦人科を休止した経緯を草加市長として報告(産婦人科医・小児科医不足を考えるシンポジウム)[6]
草加市立病院の産科は医師5人体制で行なっていたが、退職により05年3月には担当医が3人になってしまったため、当直勤務などを含む安全な医療を遂行出来なくなり、やむなく休止された[7]。05年10月に就任した高元院長は木下草加市長と協力して、07年10月には医師五人を集め、産科を産婦人科として復活させた。 待機児童問題の解決を図る為、草加市の保育施設の建て替えや認可保育園の誘致を行い、受入可能な園児数を増加させた。

草加市長選挙の公約(2010年12月)

  • 市議会議員定数の大幅削減
  • 市民による住民自治制度
  • 口利き禁止条例の制定[8]

全国的な活動

関連書籍

市長の夢 19人の青年市長[11]
語り手:山中光茂(松阪市長)・福原慎太郎(益田市長)・望月良男(有田市長)・川端祐樹(上天草市長)・柳田清二(佐久市長)・山下和弥(葛城市長)・長峯誠(都城市長)・吉田信解(本庄市長)・木下博信(草加市長)・石津賢治(北本市長)・井原巧(四国中央市長)・村岡隆明(えびの市長)・服部信明(茅ヶ崎市長)・中山泰(京丹後市長)・菊地豊(伊豆市長)・鈴木康友(浜松市長)・松崎晃治(小浜市長)・佐々木龍(新居浜市長)・石川良一(稲城市長)

  • 日本ドリームプロジェクト(編)『市長の夢―19人の青年市長×きむ』いろは出版、2010年9月。ISBN 978-4902097344 

脚注

外部リンク