朝令暮改

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朝令暮改(ちょうれいぼかい、朝令夕改とも言う、中国語:朝令暮改朝令而暮改朝令夕改)とは、法令等がすぐに変更されて一定しないこと。朝改暮変ともいわれる。時代の王念孫『讀書雜志』漢書四では『漢紀』で「朝令而暮改、改、本作得、言急徴暴賦、朝出令而暮已得、非謂其朝令而暮改也[1]」と「令」を「得」とするのが正しいとするなど表記は各説ある[2]

由来[編集]

朝令而暮改[編集]

朝令而暮改(中国語: 朝令而暮改; 拼音: zhāo lìng ér mù gǎi)は『漢書』にある。

漢書[編集]

漢書』24巻食貨志 第4上に記述される前漢時代に鼂錯文帝に出した奏上文「勤苦如此、尚復被水旱之災、急政暴賦、賦斂不時、朝令而暮當具」[3](なお「朝令而暮當具」は近年の版本によるもので元は「朝令而暮改」である[4])がある。これは農民は一年中休みなく働かなければならない中、弔問などでの行き来や災害に見舞われる事もあり、臨時の租税も性急に催促されている実情がある中で、朝に法令が出たかと思えば、夕方にはそれをすぐ改める……というあり様を伝え、政策が変更し続け一定せずにあてにならないような事態を戒めた。

古文観止[編集]

時代の呉楚材・呉調侯による『古文観止[5]』6巻漢文鼂錯『論貴粟疏[6]』に「勤苦如此、尚復被水旱之災、急政暴虐、賦斂不時、朝令而暮改、當具有者半賈」と『漢書』の引用がされている。

朝令夕改[編集]

朝令夕改(中国語: 朝令夕改; 拼音: zhāo lìng xī gǎi)は以下に由来する。

授馬総検校刑部尚書天平軍節度使制[編集]

時代の元稹の『授馬総検校刑部尚書天平軍節度使制』に「有迎新送故之困、朝令夕改之煩、自非有為而為」とある[7]

資治通鑑[編集]

資治通鑑』242巻[8] 唐紀58 穆宗長慶二年に「又凡用兵、挙動皆自禁中授以方略、朝令夕改、不知所従、不度可否、惟督令速戦」とある。

用法[編集]

日本では朝令暮改、中華人民共和国の『人民日報』などでは朝令夕改[7][9]として使用される。

[編集]

  1. ^ 『漢語大詞典』 朝令暮改 《論貴粟疏》﹕“朝令而暮改” “朝令而暮當具”﹖』
  2. ^ 故事成語で見る中国史 朝令暮改
  3. ^ ウィキソース出典 班固 (中国語), 漢書/卷024上, ウィキソースより閲覧。 1923年1月1日出版本を底本とする
  4. ^ 《論貴粟疏》﹕“朝令而暮改” “朝令而暮當具”﹖』
  5. ^ ウィキソース出典 呉楚材 呉調侯 (中国語), 古文觀止, ウィキソースより閲覧。 
  6. ^ ウィキソース出典 鼂錯 (中国語), 論貴粟疏, ウィキソースより閲覧。 
  7. ^ a b 中国語の落とし穴--022 閑話休提 一心一意
  8. ^ ウィキソース出典 司馬光 (中国語), 資治通鑑/卷242, ウィキソースより閲覧。 
  9. ^ 「朝○夕○」?「朝○暮○」? 故事ことわざあれこれ(11)上野先生と歩こう 中国語遊歩道 『中国のことばと文化Ⅱ』 (PDF)

関連項目[編集]