景廉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Mehmet~jawiki (会話 | 投稿記録) による 2015年10月29日 (木) 13:18個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

景廉(けいれん、ギンリャン、満洲語: ᡤᡞᠩ ᠯᡞᠶᠠᠨ 転写:Ging-liyan、Jinglian、1823年1885年)、字は秋坪または季泉朝の官僚。

満州正黄旗人。ヤンジャ氏(Yanja hala、顔札氏)。1852年進士となり、侍講学士となった。後に鑲紅旗満州副都統となり、刑部右侍郎、吏部左侍郎を歴任した。1858年、イリ参賛大臣となった。在任中は綱紀を粛正し、官吏のゆすりたかりを禁止した。1862年、ヤルカンド参賛大臣に転任。1865年には甘粛省回民蜂起の鎮圧に参加した。1866年、ハミ幇弁大臣に任命された。1871年ロシア帝国イリ地方を占領すると、奪回に動いたが失敗した。1874年欽差大臣に任命され、ヤクブ・ベクの乱の対処にあたった。1875年、正白旗漢軍都統となり、北京に戻った。1876年軍機大臣総理各国事務衙門大臣に昇進した。その後、工部尚書、戸部尚書、兵部尚書を歴任した。

先代
(空席)
ウルムチ都統
1871-1875
次代
金順(ギンシュン)
先代
魁齢(クイリン)
都察院満左都御史
1875-1877
次代
全慶(チュワンキン)
先代
魁齢(クイリン)
工部満尚書
1877-1878
次代
栄禄(ジュンル)
先代
魁齢(クイリン)
戸部満尚書
1877-1883
次代
エルヘブ(額勒和布)
先代
瑞聯(ジュイリャン)
兵部満尚書
1877-1884
次代
ウルヒチュンガ(烏拉喜崇阿)