星崎城

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星崎城
愛知県
星崎城の石碑
星崎城の石碑
城郭構造 平城
築城主 山田重忠
主な城主 山田重忠、花井右衛門兵衛岡田直教岡田重善岡田重孝山口重勝山口重政
廃城年 天正16年(1588年
遺構 井戸、石碑、説明版
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星崎城(ほしざきじょう)は現在の愛知県名古屋市南区に存在した日本の城平城)である。

歴史

鎌倉時代

治承年間(1177年-1181年)に山田重忠築城した。山田氏が居城していたが、他の地域に移りすんだので廃城になった。

戦国時代

鳴海豪族だった花井右衛門兵衛がここを居城にした。山口教継謀反により、花井右衛門兵衛の領地が織田信長に没収され、岡田直教が城主になった。天正12年(1584年)岡田直教の家臣である山口重勝が城主になった。山口重勝の娘が豊臣秀次側室となったが、文禄4年(1595年)に豊臣秀吉が秀次に謀反の疑いにより自刃に追い込んだ後、親族も共に処刑され、山口重勝も自刃した。

その後、織田氏の家臣である岡田重善岡田重孝が城主になった。織田信雄伊勢国移封に伴い、後の牛久藩初代藩主山口重政が城主になったが、茂福城と領地を換える事になったため、廃城になった。

現代

現在は名古屋市立笠寺小学校、宅地になっており井戸以外のものは残っていない。名古屋市立笠寺小学校と近くにある秋葉神社に石碑がある。

規模

東西約52m、南北約68m

所在地

関連項目

外部リンク