日産自動車九州硬式野球部
チーム名(通称) | 日産九州、日産自動車九州 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1985年 |
チーム名の遍歴 | 日産自動車九州硬式野球部(1985年~2009年) |
本拠地自治体 | 福岡県京都郡苅田町 |
監督 | 高井克昌 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 6回 |
最近の出場 | 2004年 |
最高成績 | 8強1回 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 9回 |
最近の出場 | 2001年 |
最高成績 | 8強1回 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
日産自動車九州硬式野球部(にっさんじどうしゃ きゅうしゅう こうしき やきゅうぶ)は、福岡県京都郡苅田町に本拠地を置き、日本野球連盟に所属していた社会人野球チームである。
- 九州の企業チームとしてはJR九州、ホンダ熊本、三菱重工長崎などと共に強豪の1つとして位置づけられていた。
- 横須賀市の日産自動車硬式野球部とはまた一味違った叩き上げのチームだが、新日鐵八幡、ローソン、神戸製鋼など、休廃部したチームから選手を受け入れ、積極的な補強も行った。
- 2009年シーズンをもって横須賀チームとともに休部が決定された。同年の都市対抗、日本選手権においてはいずれも予選で敗退した。
- 休部時の監督、選手を中心として、2010年に苅田ビクトリーズベースボールクラブが結成された。登録においては別チームであるが、実質的には日産九州の後継チームである。
設立・沿革
- 1985年 - 日産自動車2つめの硬式野球部として、九州工場内(現日産自動車九州)で創部
- 1987年 - 日本選手権初出場(初戦敗退)
- 1994年 - 藤井政夫(後の藤井将雄)の活躍と、3試合で22本塁打と打線が大爆発して都市対抗野球九州地区二次予選を突破して都市対抗野球に初出場。いきなり準々決勝進出を果たす。
- 2002年11月20日 - 練習試合中に丸山豊揚主将が29歳の若さで急逝する。チームは「ドーム出場を捧げる」ことを目標に一丸となり、翌年の都市対抗野球で九州第1代表の座をつかんだ。
- 2009年2月9日 - 経済・金融危機を受け、日産自動車硬式野球部や同社卓球部、陸上部と共に同年12月末をもって休部することを発表。
主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球大会 出場6回、8強1回(1994年)
- 社会人野球日本選手権大会 出場9回、8強1回(1996年)
- JABA四国大会 優勝1回(1992年)
- JABA徳山(スポニチ)大会 優勝1回(1999年)
主な出身プロ野球選手
- 金田政彦投手(1993年オリックス・ブルーウェーブドラフト2位→東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 藤井将雄投手(1994年福岡ダイエーホークスドラフト4位)
- 杉本潔彦投手(1997年オリックスブルーウェーブドラフト4位)
- 七條祐樹投手(2010年東京ヤクルトスワローズドラフト2位;本チーム休部後伯和ビクトリーズを経て指名)
- 星野雄大捕手(2012年東京ヤクルトドラフト5位;本チーム休部後伯和ビクトリーズ、四国・香川を経て指名)