日本競輪選手養成所
日本競輪学校 | |
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基本情報 | |
所在地 | 静岡県伊豆市大野1827 |
座標 | 北緯35度0分7.7秒 東経139度0分23.5秒 / 北緯35.002139度 東経139.006528度座標: 北緯35度0分7.7秒 東経139度0分23.5秒 / 北緯35.002139度 東経139.006528度 |
開設 |
1950年(昭和25年)9月15日 1968年7月10日現在地に移転 |
所有者 | 公益財団法人JKA |
走路 | 南400m・北400m・333m・250m |
日本競輪学校(にほんけいりんがっこう)とは、静岡県伊豆市(旧修善寺町)に所在する、日本における競輪の選手を養成するための研修施設である[1]。略称は競輪学校(以下、競輪学校で統一する)。校長は滝澤正光(第23代・2010年4月より。名誉教諭兼務)。
概要
競輪選手になるためには、国家試験である競輪選手資格検定に合格しなければならない。競輪学校とは、その資格検定の合格(競輪選手)を目指す人に対し、指導・教育を行う施設である。競輪学校の入学試験に合格した者は、同校で1年程度(101期以降の現状は、毎年5月入学・翌年3月卒業)[2]の訓練を受けることとなる。
なお、資格検定の受験資格には「競輪学校」に関する項目はなく、実際には競輪学校に入学せずとも競輪選手になることは可能である。ただ、競輪学校へ入学せずに合格することは非常に厳しく、競輪選手になるためには、まず競輪学校の入学試験に合格し、同校で学習・訓練を受けることが大前提となっている[3]。
また、競輪における走路審判員(競輪競技実施事業本部の職員)の養成および研修も、競輪学校にて行われている。
募集要綱と試験
競輪学校の募集要綱では、男女とも受験資格として以下の事項が定められており、以下の条件を満たした受験者に対し、年に1回入学試験が行なわれる(現在の内容は第101期受験者より適用のもの)。
- 日本国内に居住する者(国籍は不問)で、入学予定日の時点で満17歳以上の者(年齢の上限は無し)
- 92期までは受験時に満24歳未満という年齢制限もあった。93期以降は満24歳以上でも受験が可能となったことで、早速93期(2006年10月28日入学、2008年1月以降デビュー)では、1979年生まれ(当時27歳)の西谷岳文や1971年生まれ(当時35歳)の奥平充男(ともに京都)、1977年生まれ(当時29歳)の南原照也(千葉)といった、これまでの制度では受験資格のなかった異色の合格者が誕生した。
- 高等学校卒業と同等以上の学力を有する者(高卒資格保持者)
- 以下のいずれにも該当しないこと
- ア. 日本競輪学校を卒業した者
- イ. 競輪選手として登録された者(消除者を含む)
- ウ. 禁錮(こ)以上の刑に処せられた者
- エ. 自転車競技法、小型自動車競走法、競馬法、日本中央競馬会法又はモーターボート競走法の規定に違反して罰金以上の刑に処せられた者
- オ. 成年被後見人、被保佐人又は破産者で復権を得ない者
- カ. 反社会的勢力との関係が疑われる者
- キ. その他上記に準ずる事実がある者
- ク. 規定により明らかに試験に合格しないと思われる者
男子
試験は第1次試験と第2次試験が行なわれ、第1次試験は実技のみ。第1次試験合格者のみ第2次試験を受験可能であり、第2次試験は日本競輪学校にて実技試験のほかに身体検査、面接も行なわれる。なお第1次試験受験の際には、実技試験において、以下いずれかの1つを選択する。
- 技能試験 - 自転車競技経験者が対象。スタンディングスタートでの1000mタイムトライアル、および400mフライングスタートからの200mタイムを小倉競輪場で計測。1000mタイムトライアルは1分10秒が一般的に合否のボーダーラインと言われている[4]。
- 適性試験 - 自転車競技未経験者が対象。第1次試験で垂直跳びと背筋力、第2次試験で自転車エルゴメータ(台上走行試験装置)を用いた軽負荷での最高回転回数(回/秒)と体重負荷(実走行相当)での最高速度(km/h)と仕事量(kgm)を日本競輪学校で計測[5]。
ほとんどの受験者は自転車競技経験者、または師匠(主に現役選手)の下で猛練習を積んできた者であるため、技能試験の受験者が圧倒的に多く、適性試験の合格枠は僅かである。但し、45歳でGIレースに優勝した松本整(2004年6月引退)、「怪物」滝澤正光(2008年6月引退)、「中部の帝王」山田裕仁(2014年5月引退)などはいわゆる『適性組』出身であり、競輪で活躍するためには自転車競技の経験者が有利になるかと言えば、そうでもない。
- 適性一次試験では、かつては持久力走、100m走、立ち幅跳びなどが行われていたが、現在は垂直跳びと背筋力測定のみ。これは持久力走では鍛え方次第(努力)でタイムを縮めることができる一方で、垂直跳びや背筋力は鍛えても伸びるものではないため(「天性」の要素が強い)。
- また、適性試験では「他競技において優秀な成績を収めた者」を対象に、一次試験が免除される「適性の特別枠」が設けられている。
- プロ野球やJリーグなど他のプロスポーツ競技経験者においては、退団した年とその翌年に限り一次試験が免除される規定があり[5]、これを利用し松谷秀幸らが競輪学校に合格している。なお、この規定を周知させるため、プロ野球トライアウト会場に競輪学校ブースを設営して入学願書を配布するなど、より優秀な選手を獲得しようとスカウト活動にも取り組んだことがある。実際に、2008年11月11日に横浜ベイスターズ総合練習場で行われたトライアウトでは会場に競輪学校ブースを設営して入学願書を配布したが、生徒の募集枠を大幅に減らした上に年1回の募集となった現状では、入学試験まで1年待たせることになる(現在は入学試験を10月に実施)こともあり、プロ野球トライアウト会場でブースを設営したのはこの一度きりに留まっている。
女子
2009年11月、JKAは1964年に廃止された女子競輪を2012年から復活させる意向を持っていることを明かし、2010年9月30日に記者会見で2012年7月よりFI・FII開催において女子競輪を1日2レースを行う予定であることを発表した[6]。
復活した女子競輪にはガールズケイリンという愛称が付けられ、選手については2010年11月4日にJKAより詳細な募集要綱(受験資格、試験内容など)が公表され、35名程度が募集されることになった。女子の試験は日本競輪学校で男子同様に第1次試験と第2次試験が行なわれ、特別入試枠も設定されている。なお女子の試験に使用する自転車のフレームは、日本自転車競技連盟における競技規則適合品の使用が可能となっている。
女子の第1回生[7]は、入学試験を第1次が2011年1月18日から19日、第2次が2月17日から18日にかけて実施し、36名が合格して同年5月9日に入学式が行われ、競輪学校において訓練・養成を受け、2012年3月24日に卒業した。その後、第102期生[7]として同年5月1日に選手登録され、同年7月1日以降順次デビューした。なお第104期生(女子第2回生)以降も同様の育成課程となっている。
受験方法や試験内容は、基本的に男子と同じ。第1次試験合格者のみ第2次試験に進めるようになっている。
生徒の生活
競輪学校での在学期間は1年弱である。これまでは全員が同じ期間在学することになっていたが、競輪学校募集要項の改訂に合わせて、93期以降の生徒で学業・訓練競走共に成績優秀の者は、半年程度で早期に卒業できるようになった[8]。
朝は6:30に起床。それから練成(体操など。男子は上半身裸で乾布摩擦も行う)、掃除などを行い、朝食を摂る。午前は平日は9:05、土曜は9:00から第1時限となり、主に国語や社会といった一般科目の他に自転車競技法や競輪のルールなどの学科講習が行われる(日曜・祝日は休みで、終日自由時間)。その後昼食を挟み、午後は12:40から授業が再開される(平日のみ。土曜の研修は午前で終了)。午後は夕方まで訓練(体育)が行われる。訓練は主に学校内の施設やバンクで行なわれるが、姉妹施設である隣接の日本サイクルスポーツセンターで中・長距離ロード訓練などを行なうこともある。夕方以降は入浴・食事・自習・自由時間などで、22:00消灯となる[9]。
競輪は基本的に雨天決行(台風など競走に大きな支障をきたす恐れがある場合を除く)であるため、競走訓練もそれに準じて雨天でも実施される。
生活は全寮制で、既婚者でも自宅通学は認められておらず、また自宅へ帰宅できるのは夏季と年末年始の休暇中のみとなっている。2011年5月より女子生徒が入学したため、現在寮ではフロアにより男子限定・女子限定と隔てられている。日曜は一時的に近隣への外出が許可される(8:30 - 17:30)が、2011年度より男女隔週となっている。寮からの電話(の発信)は自由時間(〜21:45)の公衆電話の使用のみ許可されており、携帯電話および情報通信機器の持ち込みは認められていない。
在校中は男子に対しては丸刈りが強制され、女子に対しては髪型はショートカット、化粧の禁止が義務付けられている。また、礼節にも非常に厳しく、少しでも弛んだら教官から竹刀でしごかれたり正座をさせられる。場合によっては、平手打ちや殴打、連帯責任と称する連座制での体罰、狭い部屋への監禁なども行われ、教官に対する反抗的な態度は即刻退学処分となる。この他、生徒間同士で金銭の貸し借りなどが発覚した場合は即刻退学処分となる[10]。
公営競技の選手は命賭けの職業であることから、養成学校における教官の指導も厳しい。その中でも競輪学校は体力面で最も過酷となっているが、それでも「自ら鍛えないと強くなれない」という意識が徹底しており、早朝や放課後または休日に学校から課せられた訓練とは別のトレーニングを自主的に取り組む生徒もいる。
学費は無料。食費やウェア代などについては自己負担(トータルで最低100万円はかかる)となるが、JKAから貸し付けを受けることができる。貸し付けを受けた場合、デビュー後に獲得賞金の中から源泉徴収によって分割払いで返済する。
競輪学校での生活については、漫画『Odds -オッズ-』に詳しい描写がある。
デビューについて
生徒は卒業の直前に、競輪選手資格検定(生徒であれば合格できる程度の難易度)を受験する。合格すれば卒業となり、競輪選手になる資格を得られる。その後、卒業者で競輪選手になる者は、全国各地にある選手会のいずれかの支部に所属することで選手登録され、また併せて身分証を兼ねた選手登録証と選手手帳を交付されることで、晴れて競輪選手となる。その後は全員最初級の「A級3班」からの格付けで競輪選手としてデビュー(デビュー戦は極力登録地近辺の競輪場が斡旋される)し、以後は競走成績によってトップクラスたるS級への昇進を目指す。
過去、39期より大相撲でいう前相撲のようにデビュー期の選手のみで行われる「新人リーグ」が開始され、51期からデビューの1期4ヶ月間は新人リーグのみに出走し成績によって格付けが決められていたが、「新人リーグは車券が買いにくい(予想しづらい)」とファンに不評であったため、76期を最後に廃止された。そのため、77期以降の新人選手は1開催3人程度、通常の競走に斡旋されている。
沿革
当初は競輪の創成期に登録のみで選手となった者への再訓練機関として、1950年に『日本サイクリスト・センター』として現在の東京都調布市小島町に設立された。全登録選手の再訓練が終了した後は、新人選手の育成機関としての役割を担うようになったが、当初は生徒が近隣の京王閣競輪場に出向いて訓練を行っていたことや、施設が手狭になったことなどから、1968年に現在地へ移転した。
- 1951年 1期生徒入学。新人選手の育成訓練開始。
- 1955年 日本競輪学校に改称。
- 1968年 現所在地に移転。
- 1972年 29期入学試験より学歴は高卒同等(但し学科試験に合格すれば高校中退などでも入学できた)が入学条件となる。29期と30期より年2回入学開始。
- 1976年 39期入学試験より高卒資格保持者を対象とした適性試験開始。
- 1979年 46期入学試験より技能・適性試験ともに高卒資格が必要となる。
- 1999年 85期より年1回入学に変更(5月入学)。
- 2000年 86期より特別選抜入学制度(特別選抜入試)開始。
- 2006年 93期より学力・小論文試験廃止。年齢制限撤廃。92期と93期より年2回入学復活。
- 2008年 97期より該当自転車競技大会において優秀な成績を収めた者に対する技能試験免除(1次、2次とも)が1次のみとなる。
- 2011年 101期より再び年1回入学に変更。および102期(女子第1回生)[7]と同時養成(5月入学、翌年3月卒業)。
- 2014年 109期より男子の合格枠を増員。109期は50名とし、2015年の111期では70名を予定している。
昭和の時代は期ごとに100名以上もの入学者を抱えたが、平成に入ってから期ごとに定員75名程度となり、更に85期から92期までは売り上げ減など昨今の競輪界の低迷を反映して年1回の募集となった。その後、新人がデビューする機会の増加による競輪の活性化を求める声が相次いだため、93期からは年2回の募集が復活(第93期より第100期までは各期とも技能60名・適性15名の計75名)し、同時に従来から行なわれていた国語・数学・社会などの学力試験・小論文試験や年齢制限(上限のみ)なども廃止し、選手としての実力を持った生徒が入学しやすいよう配慮された。しかし101期より選手の増加抑制や女子選手の募集を見据えて再び年1回募集に変更の上、定員は男子36名・女子20名程度(102期のみ35名)と再び大幅に削減された[11]。ただ、やはり新陳代謝を求める声も強く、また受験者自体が減少傾向にある(受験者は、101期は453人であったが109期では280人にまで減少)ことを受けて、その後は再び合格枠を増やしており、109期は50人となり、2015年度の111期では70人を予定するなど、再び増加傾向にある。なお、合格倍率は、直近10年で見ると100期までが5倍程度、101期〜105期が10〜12倍、107期が9倍であった。合格枠を増員した109期では再び5倍となっている[12]。とは言え容易に合格できるものではないため、現役の競輪選手の中には複数回受験して漸く合格した、というケースも多い。
施設
練習用の走路は南400mとよばれるバンクをメインに、333m・250mのバンクと、日本サイクルスポーツセンターの北400mおよび伊豆ベロドローム(屋内250m)を使用する[13]。なお250m走路は主に生徒の走行訓練より日本国外へ遠征する選手の練習用として用いられている(日本国外の走路は250mが主のため)。他には教室・体育館・屋内練習施設・寮・ロードコースなどがある。また敷地内には舗装された急坂があり、そこを自転車で駆け上がる「登坂訓練」は有名[14]。
なお施設の一般使用は認めていないが、一部の大会などについては競輪学校側が趣旨と目的を判断し特別に使用を認めることもある。
卒業記念レース歴代優勝者
卒業記念レースは、卒業式直前に2日間の日程で実施される。従来は競輪学校南ピスト(400m走路)にて開催されてきたが、早く競輪選手としての身構えをつけてもらうという意味合いや、生徒の父兄など関係者のみならず競輪ファンの関心も高いなどの理由から、近時は競輪場で開催されるようになっている。また、競輪選手となってから実施されるルーキーチャンピオンレースやヤンググランプリにも繋がるレースでもある。なお、競輪学校が現在地に移転した26期より、現在の形で実施されている。
※は適性入学者。太字はGP・GI(男子)、ガールズケイリンコレクション(女子)優勝者。35期は333m走路で、42・43・44・57・103/104期は川崎競輪場で、69期は前橋競輪場で、99期は伊東温泉競輪場で、101/102期は松戸競輪場で、105/106期は平塚競輪場で、107/108期は静岡競輪場で、それぞれ実施。
- 参考:21期〜25期の卒業記念レース優勝者
期 | 優勝者 | 登録地 |
---|---|---|
21 | 伊藤繁 | 神奈川 |
22 | 福島正幸 | 群馬 |
23 | 丹波秀次 | 岡山 |
24 | 班目秀雄 | 福島 |
25 | 畔蒜啓次 | 東京 |
記録会
競輪学校では、入学直後に行われる試走記録会を含め全部で5回の記録会が行われており、その記録により練習を行う班、ヘルメットキャップの色がわけられている。
男子
200mFD | 400mFD | 1000mTT | 3000mTT | 備考1 | 備考2 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
A | 金 | 11.30以内 | 23.30以内 | 1.08.50以内 | 3.45.50以内 | スピード◎ | 持久力◎ |
A | 白 | 11.80以内 | 24.20以内 | 1.11.50以内 | 3.59.00以内 | スピード○ | 持久力○ |
B | 黒 | 11.80以内 | 24.20以内 | 上記以外 | 上記以外 | スピード○ | 持久力× |
C | 赤 | 上記以外 | 上記以外 | 1.11.50以内 | 3.59.00以内 | スピード× | 持久力○ |
D | 青 | 上記以外 | 上記以外 | 上記以外 | 上記以外 | スピード× | 持久力× |
女子
200mFD | 400mFD | 1000mTT | 2000mTT | 備考1 | 備考2 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
A | 金 | 12.50以内 | 25.60以内 | 1.16.50以内 | 2.42.00以内 | スピード◎ | 持久力◎ |
A | 白 | 13.00以内 | 26.50以内 | 1.20.00以内 | 2.50.00以内 | スピード○ | 持久力○ |
B | 黒 | 13.00以内 | 26.50以内 | 上記以外 | 上記以外 | スピード○ | 持久力× |
C | 赤 | 上記以外 | 上記以外 | 1.20.00以内 | 2.50.00以内 | スピード× | 持久力○ |
D | 青 | 上記以外 | 上記以外 | 上記以外 | 上記以外 | スピード× | 持久力× |
- 最高位は金色(ゴールデンキャップと呼ばれる)で67期より制定されて以来、獲得者はわずか11名のみである。(2013年5月11日現在)
ゴールデンキャップ獲得者
- 男子
期 | 氏名 | 記録会名 | 年月日 | 200mFD | 400mFD | 1000mTT | 3000mTT |
---|---|---|---|---|---|---|---|
67 | 金古将人 | 第2回記録会 | H2/9/11 - 13 | 11秒20 | 23秒21 | 1分06秒76 | 3分44秒27 |
69 | 稲村成浩 | 試走記録会 | H3/5/9 - 13 | 11秒11 | 22秒99 | 1分07秒22 | 3分43秒69 |
69 | 豊岡弘 | 第3回記録会 | H3/10/29 - 31 | 11秒27 | 23秒29 | 1分07秒47 | 3分41秒57 |
74 | 小嶋敬二 | 第2回記録会 | H5/11/16 - 18 | 11秒08 | 23秒10 | 1分07秒73 | 3分42秒86 |
88 | 武田豊樹 | 第2回記録会 | H14/8/19 - 21 | 10秒86 | 22秒75 | 1分06秒62 | 3分44秒69 |
91 | 金澤竜二 | 第1回記録会 | H17/7/11 - 12 | 10秒98 | 22秒95 | 1分07秒87 | 3分41秒31 |
93 | 上野真吾 | 第3回記録会 | H19/6/18 - 19 | 11秒29 | 23秒26 | 1分08秒42 | 3分43秒33 |
93 | 宮島聖悟 | 第4回記録会 | H19/9/10 - 11 | 11秒27 | 23秒16 | 1分08秒36 | 3分45秒22 |
95 | 金子哲大 | 第4回記録会 | H20/9/1 - 2 | 11秒28 | 22秒89 | 1分07秒80 | 3分45秒35 |
103 | 杉森輝大 | 第1回記録会 | H24/8/21 - 22 | 11秒20 | 22秒59 | 1分08秒03 | 3分41秒19 |
107 | 吉田拓矢 | 第1回記録会 | H26/9/3 - 4 | 11秒25 | 23秒02 | 1分07秒52 | 3分44秒19 |
- 女子
期 | 氏名 | 記録会名 | 年月日 | 200mFD | 400mFD | 1000mTT | 2000mTT |
---|---|---|---|---|---|---|---|
106 | 小林優香 | 試走記録会 | H25/5/10 - 11 | 12秒10 | 25秒37 | 1分15秒58 | 2分37秒64 |
106 | 小林優香 | 第1回記録会 | H25/7/29 - 30 | 12秒13 | 25秒00 | 1分12秒98 | 2分37秒41 |
106 | 小林優香 | 第2回記録会 | H25/9/24 - 25 | 11秒94 | 24秒08 | 1分12秒65 | 2分33秒85 |
交通アクセス
伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅より新東海バスまたはタクシーとなる。競輪学校正門下の道は、ほぼ1時間ごとにサイクルスポーツセンター行きの路線バスが運行されているが、休日の朝と夕方には外出生徒の送迎を兼ねて競輪学校の正門前まで運行されている。
なお卒業記念レースなどで当地を訪れる来場者の大半は自家用車を利用している。
脚注
- ^ なお「学校」と称しているものの、あくまでもJKA付属の教育訓練施設であり、学校教育法に規定する専修学校や各種学校ではない。
- ^ 但し、学業・訓練競走共に成績優秀な者で競輪学校が特別に認めた生徒においては、最短半年程度で早期卒業できる制度がある。
- ^ 競輪学校入学試験では筆記試験(学力検定)は廃止されたが、競輪選手資格検定では筆記試験があり、ここでは自転車競技法および同法施行規則といった法規に関する問題や自転車競走実施規則に関するガイドラインなど多岐にわたって出題されるため、独学での合格は難しい。資格検定の受験資格・受験方法・試験内容についてはこちら(3〜4ページ目)に詳しい記載がある。
- ^ 『ギャンブルレーサー』第20巻p.117
- ^ a b 未経験者対象の適性試験枠を拡大しました - 日本競輪学校第95期生徒募集時の案内
- ^ JKA記者発表会(女子ケイリン)の実施について 2010年9月30日
- ^ a b c KEIRIN.JP・日本競輪学校第103回(男子)及び第104回(女子)生徒募集について - 冒頭に期生のついての記述あり。
- ^ 但し、現在までに早期卒業の適用を受けたものは一人もいない。
- ^ 生徒の生活 - 日本競輪学校ホームページ
- ^ これは、卒業後に競輪選手となった時に金銭関係のトラブルが公正な競走を阻害する事を未然に防止するため。
- ^ 日本競輪学校の歴史 - 日本競輪学校ホームページ
- ^ 日刊スポーツ大阪版、2015年7月1日付20面『レース記者喜怒愛楽』
- ^ 日本自転車競技連盟・自転車競技場一覧 - 南400m以外は日本サイクルスポーツセンターの管理扱いとなっている。
- ^ 日本競輪学校案内
関連項目
- 日本サイクルスポーツセンター - 学校に隣接、サイクルスポーツの普及を図る目的で建てられた施設
- 市岡忠男 - 競輪学校初代校長
- 池田豊
- 清水宏保
- やまとチャンプ(やまと学校の卒業記念レース優勝者一覧)