日本橋兜町
日本橋兜町 | |
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東京証券取引所ビル | |
北緯35度40分53.34秒 東経139度46分40.03秒 / 北緯35.6814833度 東経139.7777861度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 中央区 |
地域 | 日本橋地域 |
人口 | |
• 合計 | 703人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
103-0026[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 品川 |
日本橋兜町(にほんばしかぶとちょう)は、東京都中央区の地名で、旧日本橋区に当たる日本橋地域内である。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は103-0026[2]。
概要
かつては東京証券取引所を中心に銀行や証券会社が集積し日本を代表する金融街であった。渋沢栄一によって設立された日本最古の銀行である第一国立銀行(現在のみずほ銀行の源流企業)の初代本店所在地でもあり、銀行発祥の地としても知られる。1980年代には、ロンドンのシティ、ニューヨークのウォール街、香港の中環などと並ぶ世界屈指の金融センターといわれていたが[4]、現在では兜町に事務所を構える金融機関はわずかで、もはや金融街とは呼べない街に変貌している。要因としては株の電子取引化により、物理的に証券取引所に各証券会社が集う必要がなくなったこと、金融機関が丸の内や大手町といった一等地の最新のオフィスビルに事務所を置くようになったこと、が挙げられる。兜町に多くの貸しビルを保有する平和不動産は老朽化したビルをまとめて再開発する計画を進めている。
中央区が定める正式なローマ字表記は Nihonbashi-kabutocho である[5]。
地理
日本橋地域の南部に位置する。
歴史
「兜町」は平将門の兜を埋めて塚にした所を兜山と云ったところから由来しているという。その地に祀られたのが兜神社である。兜神社の縁起は平將門の兜が一番古い(伝承の中での起源)縁起であるが、他に兜神社の由来は源義家が奥州往きの途中に暴風に出会い鎧を沈めて竜神に祈って無事を祈った場所に、都への帰途兜を埋めて塚を築き埋めて神を祭ったという故事を縁起とするものもある。
かつては沼地だった兜町付近だが、江戸時代に入ると江戸城築城のために埋め立てが行われ、周辺は大名屋敷が立ち並んだ。兜橋、兜の渡しなどの地名が出来た。
明治に入ると明治維新の恩賞として、兜町周辺の土地を財閥企業等が受け取り「兜町」と名づけられた。渋沢栄一を中心に、1871年に第一国立銀行本店が、1878年には東京証券取引所の前身である東京株式取引所が設立され、商業(金融)の街へと急速に発展していった。1923年の関東大震災により、辺りは焼け野原となるが、震災後は近代的な街並みに一変した。1982年1月1日に住居表示を実施した[6]。
旧町名
- 現:日本橋兜町
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世帯数と人口
2019年(令和元年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
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日本橋兜町 | 537世帯 | 703人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 中央区立阪本小学校 | 中央区立日本橋中学校 |
地域
- 教育
- 中央区立阪本小学校 - 中央区立阪本幼稚園も同敷地内にある。
- 中央区立阪本幼稚園 - 現在休園中
- 公園
- 楓川新場橋公園
- 坂本町公園
- 行政機関
- 企業
- 日本取引所グループ本店
- 東京証券取引所本店 - 東証ARROWS含む
- SMBC日興証券兜町本社 - 登記上の本店は、千代田区丸の内の丸の内本店となっている。
- エスビー食品 - 登記上本店。本社機能の一部は板橋区に所在。
- フィリップ証券本店
- みずほ銀行兜町支店・兜町証券営業部 - 旧第一国立銀行初代本店。日本における銀行発祥の地である。
観光
- 銀行発祥の地 - 記念碑が設置されている。
- 兜神社
交通
- 東京都道・千葉県道10号東京浦安線(永代通り)
- 平成通り
- 首都高速道路・出入口
脚注
関連項目
外部リンク
- 中央区ホームページ
- 日本橋茅場町・日本橋兜町地区 町名の由来 - 中央区ホームページ内
- 日本橋兜町 - 古今・お江戸日本橋 日本橋“町”物語