JPF (企業)

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日本写真判定株式会社
Japan Photo Finish Co.,Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 JPF、日写(にっしゃ)
本社所在地 日本の旗 日本
102-0071
東京都千代田区富士見2-4-11
設立 1957年昭和32年)9月3日
法人番号 1010001033237 ウィキデータを編集
事業内容 公営スポーツ競技の
着順判定写真撮影業務ほか
代表者 代表取締役 渡辺俊太郎
資本金 3000万円
従業員数 343名(2014年3月現在)
外部リンク http://www.shashin-hantei.co.jp/
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日本写真判定株式会社(にほんしゃしんはんてい)は、日本の企業。公営競技における写真判定と、その機材であるスリットカメラなどを事業とする。

概要

1939年昭和14年)に創業者である渡辺俊平が、1940年(昭和15年)に開催される予定だったオリンピック東京大会の組織委員会において、競技写真判定の研究に着手したことが発祥[1][2]である。戦後は主に競輪を初めとして公営競技における写真判定システム構築に力を入れるようになる。

その他にも公営競技において、システム設計、CS放送向け番組制作、インターネットライブ配信業務、競輪場のトータルマネジメント業務(開催業務受託)など、幅広く携わっており、中には、社員として所属している実況アナウンサーもいる。

公営競技のトータルマネジメント

沿革

理研科学映画[1]
  • 1938年(昭和13年) - 渡辺俊平の開発による「多面積型記録方式」と、「自動現像方式」を実用化する目的で、4月に設立[7]
  • 1946年(昭和21年) - 「理研映画」に改称[7]
  • 1952年(昭和27年) - 「新理研映画」に改称[7]
  • 1953年(昭和28年) - 「理研科学映画株式会社」を設立[1]
  • 1973年(昭和48年) - 「株式会社日本写真科学研究所」に社名変更[7]

脚注

  1. ^ 高速度カメラによる着順判定は、競輪開始の2ヶ月前に作成された「自転車競技規則試案」で挙げられていたが、導入されていなかった(自転車文化センター友の会だより第17号)。
  2. ^ 競輪が始まった1948年昭和23年)からそれまでの約1年間は、着順判定はゴール審判員の目視でおこなわれていた。
出典

外部リンク