日本人論

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日本人論(にほんじんろん)とは、日本人について論じる論、著作、報告のこと。

概要

日本人論の起源としては古くは安土桃山時代江戸時代宣教師の母国への報告書や、海難・漂流体験からロシアカナダなどを見る経験を得た日本人漁師や船頭の経験譚が挙げられる。幕末から明治にかけては日本からの海外視察団による報告や、来日外国人による文化人類学的な観察記録やエッセイなどに日本人論を見ることができる。

日清日露戦争、そして二度の世界大戦を経て、海外で日本人の戦略戦術、道義心、忠君愛国の背景にあるものへの関心が深まると、ルース・ベネディクトの『菊と刀』やオイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』といった日本研究が進んだ。

第二次世界大戦後には、日本経済の驚異的な躍進から再びその成功を支える社会的基盤に対する関心が高まって、様々な日本人論が著されることになる。日本人を包括的に均一な集団としてとらえ、外国・異文化との比較を通してその独自性を論じるところを共通項とする論が多い。ベストセラーもいくつか出るほどの人気分野となっている。このような現象は日本を除いて世界にあまり類がない、という見方をする論者は、日本が「辺境」であるからと主張している[1]

ただ、トルコ韓国マレーシアなど他の国でも自民族論は盛んである。よって日本人論が特殊であるという考えそのものが他国でも見られる自民族論の典型ともいえる。

文化人類学、社会学的研究としての日本人論もある一方で、民族主義的心情に基づく日本人自身による自国、自民族の特殊性を殊更強調するように書いた論考も数多く出版されている。そのため、Peter N. Dale(1986年)やハルミ・ベフ(1987年)[2]吉野耕作(1992年)ほか、日本人論を文化的ナショナリズムの現れの一形態として批判的に研究する学者もいる[3]。小谷野敦は、学問的ではないから、アカデミズムの世界では日本文化論はあまり生み出されていないとする[4]

日本人論研究

日本人論を研究した著作報告

日本で法学を学び、米国で歴史社会学を学んだ社会学者で文化人類学者が、日本人論について考察する。
  • 1984年 ハルミ・ベフ『イデオロギーとしての日本文化論』 思想の科学社 ISBN 4783600899
日米貿易摩擦の環境下で、日系アメリカ人で文化人類学者の著者が、“日本はこんなに立派なんだ”という類の日本人論について、体制に役に立つために作られたものだ、文化人類学的な視点で作られたものではないと批判した[5]
アメリカ文学者で文芸評論家と、美術史家で比較文学者を編者に、幕末から昭和後記までの 外国人42名による日本論・日本人論を紹介した論考。
  • 1990年 青木保『「日本文化論」の変容―戦後日本の文化とアイデンティティー』中公文庫 ISBN 4480085912
文化人類学者で米国の大学などで客員教授を務めた著者が、戦後日本の文化とアイデンティティーについて考察する。
1914年生まれで京都大学、コーネル大学で学んだ社会心理学者が、日本人論500点について論考する。
社会学者でナショナリズム論を専攻する著者が、日本人論について考察する。
上巻 ザビエルから幕末の日本人論について ISBN 4061594494
下巻 福沢諭吉から現代の日本人論について ISBN 4061594508
著者は比較文学比較文化専攻で、フランス留学出身、明治・大正・昭和時代に書かれた日本人15人による日本論・日本人論を紹介、論考する。
1948年生まれの文化人類学者が、日本と西洋の間で揺れ動くアイデンティティの問題として、明治以降の日本人論を考察する。
フランスの思想を研究した著者が、すぐれた日本文化論のアーカイブ[6]であることを願う本。
比較文化論を研究する著者が、「あらゆる日本文化論がインチキだと言っているのではない」[7]が、人文学は学問ではない[8]とし、個々の論[9]個々の説[10]を取り上げ、これらは評論であって学問ではないと論ずる。

野村総合研究所の調査による日本人論の出版数・分類

1978年の野村総合研究所の調査によると、1946年から1978年の間に「日本人論」というジャンルに分類される書籍が698冊出版されている。このうち58%が1970年以降、25%以上が1976年から1978年の3年間に出版された。内訳は以下の通りである:

【一般書籍(著者のプロフィール別)】

【調査レポート(テーマ別)】

  • 国民性総論 -- 7.0%
  • 欲求と満足度 -- 3.5%
  • 勤労に関する意識 -- 4.0%
  • 貯蓄に関する意識 -- 4.0%
  • 諸意識 -- 6.5%
  • 日本人の生活時間 -- 3.5%
  • 外国人の見た日本の経済活動 -- 6.5%
  • 海外の対日世論調査 -- 4.5%

井上光貞による日本文化論の特徴

1979年版の和辻哲郎『風土』岩波文庫 ISBN 4-00-331442-5 の解説の中で、井上光貞は日本文化論を次の3つに分類して例をあげ考察している。

  • 他文化との比較の中で、日本文化を位置づける試み。
和辻哲郎『風土』、梅棹忠夫『文明の生態史観序説』、エドウィン・O・ライシャワー『日本歴史の特異性』、中根千枝『家族の構造』
  • インド・中国・ヨーロッパなど、時代時代の中心国から文化を摂取する、その「仕方」を考察することで、日本文化を理解しようとする試み。
津田左右吉『支那思想と日本』、中村元『東洋人の思惟方法』
  • 漢意が影響するより以前の時代」の、あるいは「外来文化の影響を受ける度合いが比較的少ない地域」の 日本を考察・観察することによって日本文化を理解しようとする試み。
本居宣長柳田國男

杉本良夫とマオアによる日本人論の特徴

1982年、杉本良夫とロス・マオアは、日本人論の多くは以下の3つの根本的主張を共有していると指摘している:

  1. 個人心理のレベルでは、日本人は自我の形成が弱い。独立した「個」が確立していない。
  2. 人間関係のレベルでは、日本人は集団志向的である。自らの属する集団に自発的に献身する「グルーピズム」が、日本人同士のつながり方を特徴づける。
  3. 社会全体のレベルでは、コンセンサス・調和・統合といった原理が貫通している。だから社会内の安定度・団結度はきわめて高い。

青木保による戦後日本人論の変容

1990年青木保は、「戦後日本」の「文化アイデンティティー」を整理して振り返りたいとして[11]、『「日本文化論」の変容 戦後日本の文化とアイデンティティー』を著した[12]。青木は戦後の時代を4つに区分し、その時期を代表する著作を「選択」[13]し、戦後日本人論の変容として提示する[14]。そして、すべての戦後日本文化論に影響を与えた著作として、ルース・ベネディクトの『菊と刀』(1948年)を挙げ[15]、ベネディクトの、自身(欧米人)の偏見から逃れようとする文化相対主義の慎重な態度と複眼的アプローチを評価する[16]

  • 第1期「否定的特殊性の認識」(1945年-1954年)[17]
坂口安吾『堕落論』(1946年)、きだみのる『気違い部落周遊紀行』(1946年)、桑原武夫『現代日本文化の反省』(1947年)、川島武宜『日本社会の家族的構成』(1948年)、南博『日本人の心理』(1953年)
  • 第2期「歴史的相対性の認識」(1955年-1963年)[18]
加藤周一『雑種文化』(1956年)、梅棹忠夫『文明の生態史観序説』(1967年)、ロバート・ベラー『日本近代化と宗教倫理』(1956年)、エドウィン・O・ライシャワー
  • 第3期「肯定的特殊性の認識」前期(1964年-1976年)、後期(1977年-1983年)[19]
中根千枝『日本的社会構造の発見』(1964年)、中根千枝『タテ社会の人間関係』(1967年)、作田啓一『恥の文化再考』(1964年)、尾高邦雄『日本の経営』(1965年、ジェームズ・アベグレン『日本の経営』1958年についての考察)、土居健郎甘えの構造』(1971年)、木村敏『人と人との間』(1972年)、三島由紀夫『文化防衛論』(1968年)、濱口恵俊『「日本らしさ」の再発見』(1977年)、村上泰亮公文俊平佐藤誠三郎『文明としてのイエ社会』(1979年)、エズラ・ヴォーゲル『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)、フランシス・シュー『比較文明社会論-クラン・カスト・クラブ・家元』(1971年)、村上泰亮『新中間大衆の時代』(1984年)、山崎正和『柔らかい個人主義』(1984年)
  • 第4期「特殊から普遍へ」(1984年-1990年)[20]
尾高邦雄『日本的経営 その神話と現実』(1984年)、小沢雅子『『新・階層消費の時代―所得格差の拡大とその影響』(1985年)、チャルマーズ・ジョンソン『通産省と日本の奇跡』(1982年)、ピーター・デール(Peter N. Dale)『日本的独自性の神話』(1986年)、ハルミ・ベフ『イデオロギーとしての日本文化論』(1984年)、対日貿易戦略基礎理論編集委員会『公式日本人論-『菊と刀』貿易戦争篇』(1987年)、山崎正和『文化開国への挑戦 日本の世界史的実験』(1987年)、カレル・G・ファン・ウォルフレン『日本問題』(米外交誌『フォーリン・アフェアーズ』、1986年)、カレル・G・ファン・ウォルフレン『日本 権力構造の謎』(1989年)、ジェームズ・ファローズ『日本封じ込め-強い日本 vs 巻き返すアメリカ』(1989年)

大久保喬樹による戦後日本文化論の特徴

2003年、大久保喬樹は『日本文化論の系譜-「武士道」から「『甘え』の構造」まで』の中で、戦後日本文化論の特徴的なタイプとして、次の2つのタイプを挙げる[21]

丸山真男『日本の思想』岩波新書 1961年 ISBN 4-00-412039-X
  • 西欧近代市民社会とは異質な日本社会の在り方を再検討し、再評価を目指した日本文化論
土居健郎『「甘え」の構造』弘文堂 1973年 ISBN 4335651066

内田樹による日本人論の特徴

2009年の『日本辺境論』にて、内田樹は、アメリカ人はアメリカ人なりの、中国人は中国人に固有の仕方で病を持っている[22]なかで、私たち日本人は「どういう固有の文化をもち、どのような思考や行動上の『民族誌的奇習』」[23]をもっているかを確認するために本書を書く[24]とし、日本人の「民族誌的奇習」の理由は日本が「辺境」であることがすべてであると述べ、その主張と結論は、梅棹忠夫『文明の生態史観序説』(1967年)[25]、丸山眞男『日本文化のかくれた形』[26]で言い尽くされている[27]と述べる。「辺境」とは「中華」の対概念[28]で、「外来の知見を『正系』に掲げ、地場の現実を見下す」[29]日本で反復されてきた思想状況[30]を「辺境人にかけられた呪い」[31]とする[32]

主要な日本人論の著作

年代順・主な日本人論

  • 1790年『古事記伝』(本居宣長)
  • 1806年『国意考』(賀茂真淵)
  • 1819年『古史徴』(平田篤胤)
  • 1886年『将来之日本』(徳富蘇峰)
  • 1887年『日本道徳論』(西村茂樹)
  • 1891年『偽悪醜日本人』(三宅雪嶺)
  • 1804年『日本風景論』(志賀重昴)
  • 1894年『知られざる日本の面影』(ラフカディオ・ハーン)
  • 1894年『代表的日本人』(内村鑑三)
  • 1899年『武士道』(新渡戸稲造)
  • 1906年『茶の本』(岡倉天心)
  • 1911年『善の研究』(西田幾多郎)
  • 1925年『山の人生』(柳田國男)
  • 1928年『集団心理学』(入谷智定)
  • 1928年『国語と国民性』(芳賀矢一)
  • 1932年『新日本主義』(大場喜嘉治)
  • 1933年『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)
  • 1935年『風土』(和辻哲郎)
  • 1939年『日本美の再発見』(ブルーノ・タウト)
  • 1942年『日本文化私観』(坂口安吾)
  • 1946年『菊と刀』(ルース・ベネディクト)
  • 1956年『日本の伝統』(岡本太郎)
  • 1982年『「縮み」志向の日本人』(李御寧)

[33]

外国文化との比較

マルティン・ハイデッガーの『有と時間』および外国滞在の経験に触発されて、モンスーン砂漠・牧場の気候・風土に(時間軸に対して空間軸に)主眼に置いた比較文化論。
文化人類学者であるベネディクトは、人々の行動が一定のパターン(行動の型)に落ち着いていくすじ道(the way)を注視し、そのすじ道を支配する文化の型を追究した。『菊と刀』の基礎となった研究は第二次世界大戦中、アメリカの日本占領政策を検討するために試みられたもので、西欧文化は自分が善いと信じたことは他者が何と言おうと曲げない「罪の文化」であるのに対し、日本文化は自分が善いと思ったことでも他者がこぞって否認すれば実行しないという「恥の文化」であることを明らかにした。しかしそれだけでは真に日本的なものを知ったことにならないので、さらに進んで禅の思想を追及するとともに日本人の嬰児、幼児、青少年に対する育て方、教育の仕方を調査して、光り輝く、錆びさせてはならない刀によって象徴される「自己責任の態度」と、輪台の上に整列させられる花弁の集合としての菊によって象徴される「偽装された意志の自由」が日本文化の型であるとの結論を得た。1948年、日本でも刊行されベストセラーとなり、日本文化論、日本人論の古典となった。
ユダヤ人の眼から見るとこう見える、という設定で、日本人は安全と水はタダだと思っている、不思議だ、と論じた。
野球を通して日米の文化について比較考察する。書名はルース・ベネディクトの『菊と刀』より。
イエズス会司祭上智大学東京純心女子大学英語を教える著者が、イギリス人と日本人について比較考察する。
イギリス生まれで外交官としていくつかの国・文化と接した著者が、いくつかの国と日本との体感する違いを把握しようとして、感性主義と知性主義、個別主義と普遍主義という概念での認識に行き着き、これを提示・提案する。
フランス人の眼にはこう映る、という設定で、日本のあれこれを 不思議だ、と論じた。

日本文化論

経済学を勉強した著者が、理論が力を持つということは、持たないということはどういうことか、という視点から、日本における社会認識の仕方、社会科学書の読み方について論ずる。
太平洋をはさんで戦争を戦った二人が、日本人戦争観やモラル、日本人の合理性、日本文化誕生などについて語る。
1946年生まれの著者が、本居宣長のいう「漢意(からごころ)」を実感として分かってしまった、とこれを逡巡・考察する。

経済的な成功の背景

1970年代後半頃から、終身雇用・年功序列などの「日本的経営」が日本の経済発展の基盤にあるという論調が多く見られるようになった(日本的経営論)。

日本社会の構造

親分子分といった擬制家族関係から日本社会の封建制を批判した。
  • 中根千枝『タテ社会の人間関係―単一社会の理論』講談社現代新書 1967年
ペンギン文庫で『ザ・ジャパニーズ・ソサエティ』として出版され、世界中で日本研究の基礎的な文献となった[34]
精神科医米国留学した著者が、周りの人に好かれて依存できるようにしたいという感情を日本人特有のものだと捉え、この感情を「甘え」と表現して日本人の心理と日本社会の構造を読み解く試みを行った。
日本人の「集団主義」について、社会心理学の立場からアプローチする。

思想

1914年生まれの日本政治思想史家が、日本の思想の伝統見取り図を作ろうと試みた本[35]

外国人による日本紹介

日本人による日本紹介

海外向けに英語で書かれた著書。後に日本語訳された。

アメリカ人に持ち、キリスト教徒で、学者として日本と欧米で活動をした著者が、日本の道徳理念・慣習について問われ、逡巡した後その源は武士道だと行き着き、これを解説、説明する書。
アーネスト・フェノロサに付いて日本美術の調査をしたのをきっかけに日本に目覚めた著者が、帝国主義全盛時代の欧米に、を通して自己充足の在り方を投げかけた書。

日本を描いた文芸

映画で描かれたもの

外国映画

日本映画

  • 家族 
  • 萌の朱雀

小説・評論

小説

評論

インターネット上にある日本人論(外部リンク)

脚注

  1. ^ 『日本辺境論』p.22
  2. ^ 『「日本文化論」の変容』 pp.134 - 165
  3. ^ 『「日本文化論」の変容』 pp.134 - 165
  4. ^ 『日本文化論のインチキ』 pp.223 - 224
  5. ^ 『「日本文化論」の変容』 pp.145 - 148, 134 - 165, 166 - 183
  6. ^ 『日本辺境論』p.23
  7. ^ 『日本文化論のインチキ』 p.90
  8. ^ 『日本文化論のインチキ』 pp.51 - 88
  9. ^ 『日本文化論のインチキ』 pp.89 - 120
  10. ^ 『日本文化論のインチキ』 pp.121 - 182
  11. ^ 『「日本文化論」の変容』 pp.11, 12, 15
  12. ^ 『「日本文化論」の変容』 pp.7 - 16
  13. ^ 『「日本文化論」の変容』p.26
  14. ^ 『「日本文化論」の変容』p.26
  15. ^ 『「日本文化論」の変容』pp.31 - 55
  16. ^ 『「日本文化論」の変容』pp.35 - 36, 162 - 164
  17. ^ 『「日本文化論」の変容』 pp.56 - 67
  18. ^ 『「日本文化論」の変容』 pp.68 - 85
  19. ^ 『「日本文化論」の変容』 pp.86 - 133
  20. ^ 『「日本文化論」の変容』 pp.134 - 165, 166 - 183。1990年刊行の本。
  21. ^ 『日本文化論の系譜』 pp.207 - 237 VI 西欧近代社会モデル対伝統日本心性
  22. ^ 『日本辺境論』p.101
  23. ^ 『日本辺境論』p.4
  24. ^ 『日本辺境論』pp.3 - 10
  25. ^ 『日本辺境論』p.21
  26. ^ 『日本辺境論』pp.24, 26
  27. ^ 『日本辺境論』pp.23, 26 - 27
  28. ^ 『日本辺境論』p.57
  29. ^ 『日本辺境論』p.246
  30. ^ 『日本辺境論』p.246
  31. ^ 『日本辺境論』p.250
  32. ^ 『日本辺境論』p.22
  33. ^ 「100分 de 日本人論」NHK, 2015年1月2日放送
  34. ^ 『「日本文化論」の変容』 p.89
  35. ^ 『日本の思想』 p.187, pp.181 - 192
  36. ^ Eleanora Mary, Baroness d’Anethan (née Haggard) (1858-1935), Author; wife of Baron Albert d’Anethan; daughter of William Meybohm Rider HaggardNational Portrait Gallery, London

参考文献

関連項目