日向大神宮

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日向大神宮

外宮
所在地 京都府京都市山科区日ノ岡一切経谷町29
位置 北緯35度00分24秒 東経135度47分43秒 / 北緯35.00667度 東経135.79528度 / 35.00667; 135.79528座標: 北緯35度00分24秒 東経135度47分43秒 / 北緯35.00667度 東経135.79528度 / 35.00667; 135.79528
主祭神 内宮:天照大御神多紀理毘賣命市寸島比賣命多岐都比賣命
外宮:天津彦火瓊々杵尊天之御中主神
社格 式内社(小)
村社
創建 顕宗天皇の治世
別名 京の伊勢
例祭 外宮:10月16日
内宮:10月17日
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鳥居
外宮拝殿

日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)は、京都市山科区にある神社式内社(小)で、旧社格村社東海道三条通沿いの神明山にあり、「京の伊勢」とも称される。

祭神[編集]

歴史[編集]

社伝によれば、第23代顕宗天皇の治世に勅願により筑紫の日向にある高千穂の峯の神蹟より神霊を移して創建されたという。その後、天智天皇が神田を寄進して神域の山を日御山(ひのみやま)と名付けたという。


平安時代には、日向宮、日向神宮、粟田口神明宮、日岡神明宮とも称した。

「宇治郡名勝誌」、「京都府山科町誌」には、延喜式神名帳小社に列する「山城国宇治郡 日向神社」とするが、「山城名勝誌」、「山城志」、伴信友の「神名帳考証」では別のものとしている。

清和天皇より「日向宮」の勅額を賜ったほか、醍醐天皇により延喜の制で官幣社に列せられている。

応仁の乱で社殿等を焼失して祭祀が一旦途絶えたが、江戸時代初期に篤志家・松坂村の松井藤左衛門によって旧社地に再建され、後陽成天皇により「内宮」と「外宮」の御宸筆の勅額を賜っている。

慶長19年(1614年)には徳川家康により失われた社領も戻されている。

交通の要所・東海道の横にあることからか、交通祈願の神社として有名になった。

明治時代の近代社格制度で村社となる。

太平洋戦争後、村社を始めとする京都市内の一部の社とともに神社本庁ではなく神社本教に包括されるようになった。

境内[編集]

本殿は、内宮(ないく)と外宮(げく)の二つある。

  • 内宮(上ノ本宮)本殿
  • 幣殿
  • 神門
  • 拝殿
  • 影向岩
  • 天岩戸
  • 勾玉池
  • 外宮(下ノ本宮)本殿
  • 神門
  • 拝殿
  • 神馬舎
  • 神饌所
  • 社務所
  • 菅公胞衣所 - 菅原道真の胞衣を埋めた所という。
  • 成宮御胞衣所 - 仁孝天皇第二皇女・成宮の御胞衣を埋めた所という。
  • 天龍龍神の塚
  • 地龍龍神の塚
  • 伊勢大神宮遥拝所

境内社[編集]

摂・末社[編集]

アクセス[編集]

鉄道[編集]

京都市営地下鉄東西線 蹴上駅

自動車[編集]

三条通、東山ドライブウェイ入り口すぐを左へ入る。

脚注[編集]

  1. ^ 境内図
  2. ^ 境内に現存。飲料不適。平安時代の疫病流行をおさめたと伝わる。正月三日のみ解放される。
    小野芳朗『水の環境史「京の名水」はなぜ失われたか』(PHP新書) PHP研究所、2001年、p.206 – 207、ISBN 9784569616186

関連項目[編集]

外部リンク[編集]