日吉神社神幸神事

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日吉神社神幸神事(ひよしじんじゃしんこうしんじ)は、鳥取県米子市淀江町西原の日吉神社に伝わる神事で、米子市指定の無形民俗文化財。毎年5月3日に実施される。

起源と経緯[編集]

江戸時代寛永14年(1637年)以前から370年以上続いている。

詳しい起源は明らかでないが、大山あるいは日御碕神社との間に行われた神輿渡御と伝えられる。先導する寺社奉行の「えんよーいやな、えんよいとまかせ、さささ、さーよいとまかせ」のかけ声は「いい世の中だな、さあ、もっといい世の中でありますように」という意味と伝えられる。

江戸時代にはたびたび中断したようだが、その度に藩主に願い出て復興し、慶応4年(1868年)以降は毎年続けられている。明治24年には、淀江で大火災があり、神事の道具も焼失したが、氏子によって再興され現在まで続けられている。

行列と特徴[編集]

現在は200人以上の氏子が、江戸時代の装束で行列をつくり、沿道には多くの観光客が並ぶ。大正15年に再編成されたものと伝えられ、昔の町内単位で役割が割り当てられる。

行列はおおまかに、寺社奉行を中心とする「先導グループ」と、それぞれ神輿を中心とする「前グループ」と「後グループ」の3グループで構成される。慶応4年の記録も残っているが、全体の構成は現在とほぼ同じ。

「先導グループ」は、神輿行列の先導をするもので、もとは実際に寺社奉行が務めていたと考えられる。現在は「よいとまかせ」のかけ声をかけるの間を、馬に乗った奉行役とその馬を引く馬子が行き来する。「前グループ」と「後グループ」は、ほぼ同じ構成で、現在は、神像(猿太彦命と宇豆女命)、、道神楽神輿神職という順序で、山車を引いて歩く。

慶応4年の行列では、それぞれの役割によって何人という配置がされており、山車を引くかたちではなかったようである。また、最後尾には庄屋の役人などが付く。この中には「御山奉行」がおり、大山との神輿渡御だった可能性を示唆するか。

前後2グループの形をもつ神輿渡御は、県下唯一のものである。

現行の行列[編集]

【先導グループ】 1.杖払(つゆはらい) 2.箒引(ほうきびき) 3.大鳥毛(1区・元町) 4.寺社奉行御供廻り(2区・長町) 5.鉄砲組(2区・北浜) 6.社名旗(5区の2・灘中町)

【前グループ】 7.猿太彦命(3区の1・本町4丁目) 8.大幣(4区の2・前田町) 9.真榊(4区の1・本町3丁目) 10.日月像幡(5区の1・本町2丁目) 11.金幣(7区・河原町) 12.道神楽(10区の1・駄倉町) 13.神輿(11区・五軒屋) 14.神職

【後グループ】 15.宇豆女命(8区・東横町) 16.四神旗(6区の1・本町1丁目) 17.五色旗(8区・西横町) 18.真榊(3区の2・西小路町) 19.五色幟(9区・川向町) 20.髄神(6区の2・御屋敷町) 21.奉幣(7区・風呂屋小路町) 22.道神楽(8区・堀町) 23.神輿(11区・浜町) 24.神職

【その他】 25.子供神輿(今津、※平成15年度より)