日光御成道

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日光御成街道(にっこうおなりかいどう)は、中世以来の鎌倉街道中道(なかつみち)を前身として江戸時代に整備された日光街道脇街道であり、将軍日光東照宮へ社参する際に利用された街道である。日本橋を起点として中山道(現・国道17号)を進み、日本橋から一里目の本郷追分(現在の東大農学部正門前の交差点で、ここ付近に本郷追分停留所がある。「駒込追分」とも呼ばれる)で分かれ(中山道が左折、当街道が直進)、幸手宿で日光街道と合流する[1][2][3][4]。「日光御成道(にっこうおなりみち)」とも呼ばれるほか、岩槻藩の参勤交代に使われたことから「岩槻街道(いわつきかいどう)」とも呼ばれる。将軍が日光へ参詣の際には江戸城大手門から出発したという。

行程

日光御成街道の全行程を示す。通し番号付きが宿場であり、「何番の宿場(宿場町)」であるかを示す。江戸側が上り、日光(幸手)側が下りである。

宿場 江戸期の行政区分 現在の自治体 特記事項
令制国 都道府県 市区町村
分岐点:本郷追分 武蔵国 豊島郡 東京都 文京区 中山道から分岐
1. 岩淵宿 北区  
2. 川口宿 足立郡 埼玉県 川口市
3. 鳩ヶ谷宿
4. 大門宿 さいたま市 緑区
5. 岩槻宿 埼玉郡 岩槻区 岩槻城
6. 幸手宿 葛飾郡 幸手市 日光街道と合流

街道筋

地図外部リンク
日光御成街道(岩槻道)・旧道地図
全体図 江戸時代末期の旧道筋の地図。明治初期に作成された陸軍迅速側図に基づいて作成。

旧街道筋に当たる現代の路線は以下の通りである。そして、埼玉県道105号さいたま鳩ヶ谷線の一部区間の通称が「日光御成街道」、日光御成街道のバイパス(加倉(北)交差点以南)として整備された国道122号の一部区間の通称が、日光御成街道の別名である「岩槻街道」となっている(後述)。なお、道路拡幅・橋梁の設置等により経路変更があるため、旧街道筋と完全には一致しない。

史跡等

松並木の名残(北葛飾郡杉戸町)
  • 西ヶ原一里塚(東京都北区・国の史跡。現在の東京都道455号本郷赤羽線(本郷通り)沿い)
  • 赤門
  • 下野田一里塚(埼玉県白岡市埼玉県指定史跡
  • 下高野一里塚(埼玉県北葛飾郡杉戸町・同)
  • 岩槻城
  • 杉並木・・・埼玉県さいたま市岩槻区から埼玉県白岡市に江戸時代の名残が見られるが、立ち枯れしている樹木も多い。
  • 松並木・・・埼玉県杉戸町に江戸時代の名残が見られるが、現存本数はごくわずかである。
西ヶ原一里塚
下野田一里塚
杉並木の名残(岩槻区)
下高野一里塚

道路愛称(岩槻街道)

国道122号標識
国道122号標識

現在、国道122号の埼玉県内のうち加倉(南)交差点以南の通称が、日光御成街道の別名である「岩槻街道」となっている[5]

概要

起点:埼玉県さいたま市岩槻区加倉 加倉(南)交差点 終点:埼玉県川口市舟戸町 新荒川大橋東京都境 延長:約19.1km(所要時間:自動車で約36分)[6]

接続する主な道路

左が下り線、右が上り線である(国道122号の起点は栃木県日光市だが、東京方面へ向かう車線を上り線としている)。

交差する道路 交差点名 所在地
国道122号 蓮田桐生日光方面
国道16号岩槻春日部バイパス 加倉(南) 岩槻区 さいたま市
埼玉県道214号新方須賀さいたま線 ※非接続 緑区
国道463号越谷浦和バイパス
埼玉県道105号さいたま鳩ヶ谷線(日光御成街道) 大門
国道463号(越谷街道) 大門
南浦和越谷線 ※側道 川口市
埼玉県道103号吉場安行東京線(安行街道) 石神
国道298号(外環) 西新井宿
埼玉県道111号蕨桜町線 鳩ヶ谷武道場入口
埼玉県道34号さいたま草加線
埼玉県道105号さいたま鳩ヶ谷線(日光御成街道) 鳩ヶ谷変電所前
埼玉県道89号川口停車場線産業道路 本町ロータリー
国道122号(北本通り岩淵町王子西巣鴨方面

交差する鉄道・河川

沿線の主な施設

その他

起点から川口市の西新井宿交差点にかけて上下線の間を東北自動車道が通り、同高速道路の側道として機能しているほか、川口市の医療センター入口交差点(新井宿駅付近)付近から川口元郷駅交差点(川口元郷駅直上)付近にかけて埼玉高速鉄道線が道路の下を通っている。また、埼玉県の第一次特定緊急輸送道路に指定されている[7][8]

脚注

関連項目