旅順高等学校 (旧制)
旧制旅順高等学校(きゅうせいりょじゅんこうとうがっこう)は、1940年(昭和15年)3月、日本の支配下にあった関東州旅順に設立された官立旧制高等学校。略称は「旅高」。
概要
- 関東局所管の学校である。外地では台北高等学校に次いで設立、さらに内地・外地を含め日本帝国内で最後に設立された官立高等学校であった。
- 日本人居留民の多い関東州に高等学校を設立しようとする機運は大正年間からあったが、満州における総合大学の設立構想および旅順工科大学設立などが影響して設置が遅れた。
- 高等科(文科・理科)が設置された。
- 第1回入学の宇田博により作詞・作曲された「北帰行」は正式の寮歌ではないが、広い意味での旅高の歌として広く知られている。
- 戦時下に設立された高校であったため、内地の高校に存在していたようなリベラルな雰囲気は皆無であったといわれる。
- 第二次世界大戦後、進駐してきたソ連軍に接収され廃校となった。
- 卒業生により同窓会「向陽会」が組織されている。
沿革
- 1940年3月:設立。文科・理科よりなる高等科が設置(修業年限3年)。
- 1942年4月:本校舎(向陽が丘)に移転。
- 1942年6月:修業年限を2年6ヶ月に短縮し第1回卒業式を繰り上げ実施。
- 1945年3月:修業年限を2年に短縮し第4回卒業式を繰り上げ実施(最後の卒業式)。
- 1945年8月:ソ連の対日参戦に際しほぼ全校生が召集。
- 1945年8月18日:日本の敗戦とソ連軍による校舎の接収(同月末閉校)。
校長
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- 川瀬光順:初代校長。新潟高等学校より転任。
著名な出身者
- 宇田博:中退。「北帰行」を作詞作曲。一高に再入学、東大文学部を卒業し、TBS常務など歴任。(1922年-1995年)
- 清岡卓行:芥川賞作家。代表作『アカシヤの大連』。昭和17年度卒。一高に再入学し東大文学部に入学。
- 井上孝:国土庁長官、建設事務次官
- 稲葉清右衛門:ファナック社長
- 小林庄一郎:関西電力会長
- 伊藤宏:丸紅専務、ロッキード事件
- 秋山英夫:横浜銀行副頭取
- 岡部弘:KKシェラ社長
- 小川徹:映画芸術新社社長、映画評論家
- 江里口富久也:日本住宅公団理事
- 町田良治:三井建設社長
- 西宮一:駐ザンビア特命全権大使、衆議院事務局渉外部長、駐エクアドル特命全権大使を歴任。子息西宮伸一も外交官
- 松葉治:東レエンジニアリング常務
- 前川滋郎:帝人商事社長、帝人副社長、帝人製機社長・会長、妻・光子は帝人社長鈴木岩蔵四女
- 広実源太郎:大阪外国語大学教授
- 柴垣志郎:大丸
- 国崎格:文部省
- 今村寛:日本重化学工業理事
- 石橋孝太郎:レーシング・クォータリー社長
- 村田尊夫:カナモジカイ事務局長、国字改良運動家
- 長田武彦:電電公社(現・NTT)総務理事
- 吉村:国際交易株式会社社長
- 浅羽哲郎:東京大学工学部教授
- 中平千三郎:財団法人東大出版会顧問
- 一瀬寿美夫:共同通信社論説委員
- 中井一夫:兼松江商株式会社(現・兼松株式会社)
- 小館繁夫:東武鉄道株式会社顧問・東武商事株式会社相談役
- 池亀亮:東京電力副社長
- 吉野正昭:鐘淵化学工業(現・カネカ)中央研究所取締役所長
関連書籍
- 週刊朝日 『青春風土記;旧制高校物語』第4巻、朝日新聞社、1978年
- 秦郁彦 『旧制高校物語』 文春新書、2003年 ISBN 4166603558
- 秦郁彦(編)『日本官僚制総合事典;1868 - 2000』 東京大学出版会、2001年
- 「主要高等教育機関一覧」参照
関連項目
外部リンク
- Googleマップ - 旅順高等学校(開校時)跡一帯 - 宇田博 『大連・旅順はいま』 (六法出版社、1992年) 巻末地図より
- Googleマップ - 旅順高等学校(向陽が丘)跡一帯 - 志道会 『旅順師範学校』 (1978年) 巻末地図より