文室笠科

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
文室笠科
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上丹後守
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 文室氏
父母 父:直世王
兄弟 助雄笠科
テンプレートを表示

文室 笠科(ふんや の かさしな)は、平安時代初期から前期にかけての貴族中納言直世王の子とする系図がある[1]官位従五位上丹後守

経歴[編集]

承和3年(836年従五位下叙爵し、承和6年(839年土佐守に任ぜられる。

嘉祥3年(850年文徳天皇の即位後に勘解由次官に任ぜられると、仁寿2年(852年中務少輔、仁寿3年(853年)従五位上・宮内大輔に叙任されるなど、文徳朝前半は京官を歴任する。仁寿4年(854年武蔵守に任ぜられ地方官に転じる。

清和朝の貞観2年(860年刑部大輔として京官に復すが、翌貞観3年(861年)正月には早くも丹後守に遷り、三度地方官を務めた。

官歴[編集]

六国史』による。

脚注[編集]

  1. ^ 宝賀[1986: 179]

参考文献[編集]