教育隊
教育隊(きょういくたい)とは、主に軍隊(自衛隊)等における各種教育を担当する部隊のことである。
大日本帝国陸軍
東部軍管区教育隊など多数設けられた。
陸上自衛隊
陸上自衛隊の教育隊は、正規編制の方面混成団・教育大隊・教育中隊のほか、各部隊において臨時編成される。
編成
教育隊本部
- 隊長(3等陸佐又は1等陸尉)、指定は原則として部隊本部所属幹部を別途指定しており、幹部の充足不足が顕著に見られる部隊では副長や中隊長等の指揮官が兼務となる場合もある[1]
- 副隊長(1等陸尉~准陸尉)、運用訓練幹部職兼務や区隊長職兼務の場合もある。
- 運用訓練幹部(1等陸尉~准陸尉、連隊本部の係幹部による兼務の他に、定年ポストとして付配置まで数年を切った幹部が配置される場合もある)
- 隊付准尉(准陸尉~1等陸曹)
- 各係陸曹(人事・訓練・補給等で3曹以上、基本的に2ないし3程度の役職を兼務)
- 隊長伝令(士長で各部隊からの差し出し、文書係等の役職を兼務する場合がある)
- 第1~第4区隊(小隊規模。区隊長は2等陸尉~1等陸曹が充てられる。)が置かれる。
- 区隊長(2等陸尉~1等陸曹)2個以上の区隊が設置される場合、2等陸尉を筆頭に3尉または准尉といった幹部が配置される。
- 区隊付(1等陸曹~2等陸曹)
- 班長(3等陸曹)
- 班付(副班長職、陸士長が担当。置かれない場合もある)
運用
- 自衛官候補生課程(旧新隊員前期課程)・特技教育(旧新隊員後期課程)のほか、一部においては陸曹候補生指定者に対する入校前教育(履修前)も行われる。
- 一部の部隊ではコア化した中隊が担当していた時代もあったが、コア化部隊の常備化改編により逐次教育が必要な時に要員を集めて編成する臨時部隊へ縮小改編となっている。現在でも教育隊を編成せずに隷下部隊の一部を特定部隊として運用している部隊においてはコア化された大隊や中隊等の部隊が兼務する。
- 一部の部隊では臨時編成のため連隊本部(本部管理中隊)の指揮下にて運用されている部隊もある他、必要に応じて編成する臨時部隊の特長として隊長と運用訓練幹部を除く人員等は各部隊からの差し出しでの構成。
- 大隊規模の部隊等は本部管理中隊内に設置されている。本部管理中隊教育隊という形で運用。その場合、隊長は2尉~3尉が担当し規模的に小隊規模で運用される。補給等は本部管理中隊の支援にて実施。
- 臨時編成の為基本的にコア化された中隊等を除き火器や車両等は隊に配備されず、必要な物は極力他部隊から管理替え・供用替え等で借りる例が多い。
- 隊旗は原則として支給される事は少なく、規定・訓令も存在しない為に独自の意匠を元に外部発注し制作する例があり、一部においては式典時見栄えの関係から廃止された部隊の旗を使用したりまたは予算が豊富な部隊は白地に帽章のみといった中隊旗に準ずる部隊旗を独自に用意する例もある(部隊規模を示す横線は臨時編成の為に無し)か、若しくは部隊長の裁量により一般の中隊と同じ中隊旗が授与される場合も存在する。滝川自動車教育隊のように中隊旗が授与された例はある。
- 区隊長等の役職は前期教育は幹部、後期教育は准尉または上曹が担当する例が多い
- 新隊員と直接接する教育を担任する隊員等は部隊長が相応の成績を収め教育を担任可能な状態である事を認めた隊員が選抜される。
- 臨時編成である為例年3月中旬から要員が選抜され集合し事前教育及び受け入れ準備が行われ、6月下旬の教育終了後は代休消化後に原隊復帰が命ぜられる他、7月からの特技教育は6月下旬に要員が招集され9月中旬の部隊配属時後はそのまま原隊で当該新隊員を受け入れている例が多い。
ギャラリー
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教育隊長が執行者となり、区隊への隊旗授与及び旗手への隊旗授与を写した写真のうちの1枚より。場所は第26普通科連隊教育隊A教場にて。当時3個区隊が存在し、第1区隊は紺色、第2区隊は黄色、第3区隊が赤のそれぞれ区隊旗の授与を受けている。
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入隊式における新隊員による執行者への敬礼。
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教官より各種教育を受講している新隊員教育隊の隊員
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戦闘訓練を実施中の新隊員
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旧型装備を身につけて訓練中における休憩の様子、季節入隊の隊員で新隊員の階級である2等陸士である事を確認。
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新隊員課程前期教育、最後の記念写真。中央の迷彩服と迷彩帽を被っているのが投稿者本人。
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陸上自衛隊の新隊員教育隊において、生活面の指導の一環から居室内を一時的に荒らしておく事を通称「台風」と称していますが、投稿者が区隊長を担当していたときも1度台風を起こしました。 入り口に貼り付けているのは当時人気であったアイドルの顔写真に可愛らしい文字でコメントを書いております。
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新隊員課程の有毒ガス体験として、生命に支障の無い程度まで無害化されたガス(線香タイプ)を用いて防護マスクの機能確認と有毒ガスの危険性に関して学ばせました。 写真は体験後の様子でして、鼻水と涙を垂れ流した状態で天幕の中から出てくる様子です。
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天幕内におけるガス体験の様子、写真右側の支柱真横で肩に黄色い紐を通しておりタバコを手にしているのが投稿者本人(撮影は近くにいた新隊員に撮らせました)。 皆涙目である事がお分かりかと思います。
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射撃訓練時の写真
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第26普通科連隊教育隊第2区隊配属の新隊員による(当時は上原区隊と呼ばれていた)小銃分解結合訓練の様子
陸曹教育隊
陸曹教育隊(りくそうきょういくたい)とは初級陸曹として必要な教育を行う部隊であり、各方面隊に1つずつ置かれている。大隊規模であるが、隊長は1等陸佐(三)が充てられている。区隊長は以前は幹部自衛官(概ね3尉候補者課程出身の2尉~3尉)が充てられていたが、上級曹長制度の普及に伴い現在区隊長・助教等の基幹要員はすべて陸曹で編成している。
- 2004年3月の北部方面教育連隊新編により一度廃止されたが同連隊の廃止と北部方面混成団の新編に伴い再編。
- 東北方面隊の東北方面混成団:第2陸曹教育隊(仙台駐屯地、通称「内務の2曹」)
- 東部方面隊の東部方面混成団:第3陸曹教育隊(板妻駐屯地、通称「山走狂」(富士山麓を走り回ることから))
- 中部方面隊の中部方面混成団:第4陸曹教育隊(大津駐屯地、通称「仏の4曹」)
- 西部方面隊の西部方面混成団:第5陸曹教育隊(相浦駐屯地、通称「鬼の5曹」)
編成
- 共通教育中隊:陸曹候補生課程、陸曹基礎英語課程を担当
- 普通科教育中隊:普通科の陸曹候補生課程及び初級陸曹特技課程を担当(3曹教は2個中隊、その他は1個中隊)
- 特科教育中隊:野戦特科の陸曹候補生課程及び初級陸曹特技課程を担当(1曹教・2曹教[2]・5曹教)
- 通信教育中隊:戦闘職種(普・野特・機・施)本管中隊等に編成される通信小隊・班要員に対する教育(部隊通信)を担当(2曹教のみ)
- 上級陸曹教育中隊:陸曹上級課程を担当
その他の教育隊
陸上自衛隊には、ほかにも次のような教育隊がある。
- 冬季戦技教育隊
- 空挺教育隊(第1空挺団に設置。)
- 女性自衛官教育隊(朝霞駐屯地。1968年12月に婦人自衛官教育隊として創隊され、2003年4月に女性自衛官教育隊と改称された。)
- 第1機甲教育隊
- 国際活動教育隊
また、「教育隊」の名称は持たないが部隊への練度向上・教育訓練目的に以下の部隊も存在する。
- 部隊訓練評価隊:1個増強普通科中隊へ対抗方式による訓練を行うことで部隊の練度向上及び各種指導教育等を行う。
海上自衛隊
海上自衛隊の教育隊は自衛官候補生、一般海曹候補生及び初任海曹(陸自の陸曹候補生課程相当、公募技術海曹採用者を含む)に対し海曹及び海士として必要な共通的知識・技能を修得させることを任務とする部隊である。大湊地方隊を除く4つの地方隊に置かれており、司令は1等海佐、副長は2等海佐をもって充てられる。4つの教育隊のうち、女性隊員の教育を行っているのは横須賀教育隊のみである。なお、航空学生の教育は小月航空基地の「小月航空教育群」が担当している。
- 横須賀教育隊 - 横須賀地方隊(武山基地:神奈川県横須賀市)
- 舞鶴教育隊 - 舞鶴地方隊(舞鶴基地:京都府舞鶴市)
- 佐世保教育隊 - 佐世保地方隊(佐世保基地(崎辺地区):長崎県佐世保市)
- 呉教育隊 - 呉地方隊(呉基地:広島県呉市)
教育隊の組織
- 総務科
- 厚生科
- 補給科
- 教育部 - 男性隊員の教育を担当。
- 横須賀教育隊のみ2個教育部編制をとっており教育第1部が男性隊員、教育第2部が女性隊員の教育を担当。
航空自衛隊
航空自衛隊には、防府南基地に航空教育隊(こうくうきょういくたい、Air Basic Training Wing)が置かれている。第1・第2教育群、生徒隊及び基地業務群からなる。第1教育群(防府南)では、自衛官候補生、一般空曹候補生及び初任空曹に対しての教育訓練を行うほか、隷下に女性自衛官教育大隊が設置されており、女性自衛官に対する教育訓練も行っている。第2教育群(熊谷基地)では、自衛官候補生、一般空曹候補生、初任空曹の教育訓練に加えて上級空曹(主に昇任1年前後の1等空曹に対する管理職教育)に対する集合教育も行っている。
このほか、航空自衛隊生徒として採用された者に対し4年間の教育を実施する生徒隊(熊谷基地)を編成していた。
沿革
- 1982年(昭和57年)12月:航空教育隊が防府南基地にて新編
- 1989年(平成元年)3月:航空教育隊が航空教育集団隷下に編入、航空自衛隊生徒隊が編入
- 2011年(平成23年)3月19日:空自生徒第53期の教育終了に伴い、生徒隊を廃止[3]
組織
- 司令部(防府南)
- 第1教育群
- 第1教育大隊
- 第2教育大隊
- 基地業務群(防府南)
- 第2教育群(熊谷)
- 第1教育大隊
- 第2教育大隊
- 第3教育大隊
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 高橋義永 (空将補) |
1982年12月21日 - 1984年 | 7月15日第1航空教育隊司令 兼 防府南基地司令 |
航空幕僚監部付 |
2 | 田中稔 (空将補) |
1984年 | 7月16日 - 1987年 2月 2日第2航空団司令 兼 千歳基地司令 |
退職 |
3 | 藤岡禧與 (空将補) |
1987年 | 2月 2日 - 1989年 6月30日飛行教育集団司令部幕僚長 | 退職 |
4 | 古井徳松 (空将補) |
1989年 | 6月30日 - 1990年 3月15日北部航空警戒管制団司令 | 航空自衛隊第4術科学校長 兼 熊谷基地司令 |
5 | 高瀬谷欣也 | 1990年 | 3月16日 - 1991年 3月16日航空中央業務隊司令 兼 檜町基地司令 |
退職(空将補昇任) |
6 | 谷十三生 | 1991年 | 3月16日 - 1992年 3月15日航空幕僚監部防衛部施設課長 | 西部航空方面隊司令部幕僚長 |
7 | 諸石直樹 | 1992年 | 3月16日 - 1994年 8月 1日西部航空警戒管制団副司令 | 退職(空将補昇任) |
8 | 堤幹夫 | 1994年 | 8月 1日 - 1996年 3月31日航空自衛隊第3補給処副処長 | 退職(空将補昇任) |
9 | 木田龍男 | 1996年 | 3月31日 - 1997年12月 1日航空自衛隊幹部候補生学校副校長 | 退職(空将補昇任) |
10 | 鹿毛健稔 | 1997年12月 | 1日 - 1999年 4月 1日防衛研究所第1研究部第4研究室長 | 退職(空将補昇任) |
11 | 森永吉彦 | 1999年 | 4月 1日 - 2000年 8月 1日第4航空団副司令 | 退職(空将補昇任) |
12 | 井上敏和 | 2000年 | 8月 1日 - 2001年12月 1日航空自衛隊幹部学校主任教官 | 退職(空将補昇任) |
13 | 石黒正昭 | 2001年12月 | 1日 - 2003年12月 1日統合幕僚会議事務局第3幕僚室 中央指揮所管理運営室長 |
退職(空将補昇任) |
14 | 牧之瀬裕二 | 2003年12月 | 1日 - 年 月 日契約本部東京支部 府中契約管理事務所長 |
|
15 | 尾崎久信 | 年 月 日 - 年 月 日 | ||
16 | 福井孝 | 年 月 日 - 2009年 4月 1日 | 退職(空将補昇任) | |
17 | 山本康正 | 2009年 | 4月 1日 - 2010年 4月 1日北部航空方面隊司令部幕僚長 | 退職(空将補昇任) |
18 | 柏原敬子 | 2010年 | 4月 1日 - 2011年 8月 4日航空総隊司令部総務部長 | 航空自衛隊第3術科学校長 兼 芦屋基地司令 (空将補昇任) |
19 | 高橋芳彦 | 2011年 | 8月 5日 - 2013年 8月 1日航空幕僚監部防衛部施設課長 | 退職(空将補昇任) |
20 | 宇都定史 | 2013年 | 8月 1日 - 年 月 日北部航空方面隊司令部装備部長 | |
21 | 田中耕太 | 2015年 | 3月25日 -第1高射群司令 |
脚注
- ^ 部隊に臨時に置かれる部隊である事から隊長職は基本的に定年ポストの一つであり、第一線を退き定年まであと僅かの年数を残した幹部で特に連隊教養幹部等が兼務する場合がある。普通科連隊においては人事発令上の隊長職であるものの厳密には臨時部隊を指揮する指揮官(基本的に指揮権は無い)の関係から装備火器も拳銃では無く小銃の貸与が基本となる。下番後は上番時に指定されていた役職等へ復帰する他定年に合わせて「付配置」扱いになる例もある
- ^ 観測班(通称:FO)等砲班以外の各種支援部隊の教育を特科教育中隊として唯一実施している
- ^ 空自生徒最後の53期生51人が卒業、半世紀余の歴史閉じる