成田屋

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成田屋(なりたや)は、歌舞伎役者の屋号。歌舞伎における屋号の始まりといわれる。

解説

初代市川團十郎の父・堀越重蔵は成田山新勝寺にほど近い地の出身で、新勝寺とは少なからず縁があった。子に恵まれなかった初代團十郎が、この父由縁の成田山に子宝祈願をしたところ、見事翌元禄元年 (1688) に二代目團十郎を授かった。この子は健常ですくすくと成長したので、初代團十郎はこれに報謝して元禄八年 (1695) 山村座で『成田不動明王山』を上演。これが大当で、舞台には銭10もの賽銭が投げこまれ、大向うからは「成田屋っ!」という掛け声が掛かったという。これが「成田屋」の屋号の由来である。

元禄十六年四月廿一日 (1703年6月5日) は成田山の出開帳に当たったが、このときも初代團十郎は御開帳に合わせて森田座で『成田分身不動』を初演した。これがまた大当たりとなり、以後初代團十郎と成田山の提携が続く。成田屋に宣伝された成田山は一躍江戸っ子に人気の参拝地となり、地元経済はおおいに潤った。成田山詣での参拝者であふれる「佐倉街道」の名が「成田街道」に変わってしまったのもこの頃からである。

こうして、成田山新勝寺の御利益が成田屋市川團十郎家の成功を導き、その成田屋の繁栄が成田山の霊験をますます灼かにしている、という持ちつ持たれつの関係が築かれ、これが300年を経た今日にまで引き継がれているのである。

成田屋の代表的な名跡には以下のものがある。かつては限られた高弟が成田屋を名乗ることも度々あったが、近年ではそうした例も稀になり、今日では専ら市川宗家が占有するような屋号になっている。なお参考までに定紋も併せて記した。

成田屋

宗家

屋号 名跡 定紋 備考
なりたや
成田屋
いちかわ だんじゅうろう
市川團十郎
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三升
              
なりたや
成田屋
いちかわ えびぞう
市川海老蔵
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三升
なりたや
成田屋
いちかわ しんのすけ
市川新之助
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三升
なりたや
成田屋
いちかわ さんしょう
市川三升
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三升

門弟筋

屋号 名跡 定紋 備考
なりたや
成田屋
いちかわ しんぞう
市川新蔵
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三升
なりたや
成田屋
いちかわ こだんじ   
市川小團次
みます            
三升
四代目まで。
以後は「高島屋」。
なりたや
成田屋
いちかわ すみぞう
市川壽美蔵
ふじどもえの なかに ききょう
藤巴の中に桔梗
三代目〜五代目まで。
以後は「升田屋」。
なりたや
成田屋
いちかわ じゅかい
市川壽海
ことぶき えび
壽海老
なりたや
成田屋
あらし ひなすけ
嵐雛助
(不詳) 二代目・五代目・六代目のみ。
それ以外は「吉田屋」。

関連項目

外部リンク