想田和弘

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そうだ かずひろ
想田 和弘
想田 和弘
生年月日 (1970-06-12) 1970年6月12日(53歳)
出生地 日本の旗 日本 栃木県足利市
職業 映画監督脚本家演出家ジャーナリスト
ジャンル 映画
主な作品
選挙』/『精神
 
受賞
ベルリン国際映画祭
エキュメニカル審査員賞
2020年精神0
その他の賞
東京フィルメックス
観客賞
2010年PEACE
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想田 和弘(そうだ かずひろ、1970年6月12日 - )は、日本映画監督脚本家演出家ジャーナリスト栃木県足利市出身、岡山県在住[1]

経歴[編集]

栃木県立足利高等学校卒業。東京大学文学部宗教学科卒業。宗教学科では島薗進に師事。また在学中に、東京大学新聞編集長を務める。だが、編集長としての激務とプレッシャーのため、燃え尽き症候群を患い、それが後にドキュメンタリー映画『精神』を撮る原点となった。アメリカのドキュメンタリー映画監督フレデリック・ワイズマンの影響を受けた[2]

卒業後の1993年ニューヨークへ渡り、スクール・オブ・ビジュアル・アーツ映画学科へ入学。在学中に制作した1995年の短編『花と女』がカナダ国際映画祭で特別賞を受賞。1996年の長編『フリージング・サンライト』はサン・パウロ国際映画祭「新進映画作家賞」にノミネート。卒業制作である1997年の『ザ・フリッカー』は、ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞にノミネートされる。

だが、劇映画のオファーは来ず、アルバイト感覚ではじめたテレビの仕事でドキュメンタリー映像の魅力に目覚める。日米を往復しながらドキュメンタリー映像を取り続け、NHKではドキュメンタリー番組を40本以上演出。2001年、養子縁組み問題を扱った『母のいない風景』はテリー賞を受賞。また、ジャーナリストとしての活動には、映画監督の大島渚や、チベット仏教法王ダライ・ラマ14世へのインタビューなどがある。

だが、「あらかじめ台本が存在しており、そのとおりの映像を撮っていく」テレビ・ドキュメンタリーのあり方に疑問を感じ、敬愛する監督フレデリック・ワイズマンのような「台本のない」ドキュメンタリー映画を自主制作で作ることを考えるようになる。

2005年に、妻の母親が関わっている精神科外来を舞台にしたドキュメンタリー映画を構想し、その撮影のため来日。だが、大学の同級生・山内和彦川崎市議会の補欠選挙に自由民主党公認で出馬すると知り、急遽企画を変更してドキュメンタリー映画(観察映画)第1弾となる『選挙』を制作。ベルリン国際映画祭、シドニー映画祭、シネマ・ドゥ・レエル映画祭、サウス・バイ・サウス・ウエスト映画祭、ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭、香港国際映画祭、バルセロナ・アジア映画祭、フリブール映画祭、Hot Docs カナダ国際ドキュメンタリー映画祭などに正式招待され、ベオグラード・ドキュメンタリー映画祭ではグランプリを受賞する。また、60分の短縮版がBBCPBS、ARTE、NHKなど200カ国近くでテレビ放映される。2008年には米国放送界最高の名誉とされるピーボディ賞を受賞する。

続くドキュメンタリー映画(観察映画)第2弾の『精神』は、2008年10月に開かれたアジア最大規模の釜山国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞 (PIFF Mecenat Award) を受賞、12月にはドバイ国際映画祭にて同じく最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。更にマイアミ国際映画祭で審査員特別賞、香港国際映画祭で優秀ドキュメンタリー賞、ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭で宗教を越えた審査員賞を受賞した。

『精神』は2009年6月から日本国内各地で上映された。同6月には『精神』の制作過程の葛藤や苦心、出演者たちとの対談などを記した初の著書『精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける』(中央法規出版)を刊行した。

また、韓国の国境の町・坡州市で開かれる「非武装地帯ドキュメンタリー映画祭」から短編ドキュメンタリー映画の制作依頼を受け、『精神』と同じく岡山県を舞台に義父母や野良猫たちが登場する観察映画・番外編『PEACE』を制作。2010年9月の同映画祭でオープニング作品として世界初公開された。本作はバンクーバー国際映画祭やドバイ国際映画祭へ正式招待され、第11回東京フィルメックスでは観客賞を受賞した。香港国際映画祭では最優秀ドキュメンタリー賞を、ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭ではブイエン&シャゴール賞を受賞した。

劇作家で演出家の平田オリザ青年団を被写体にした観察映画第3弾『演劇1』(2012年)、同第4弾『演劇2』(2012年)は、2部作合計5時間42分の大作。釜山国際映画祭でワールドプレミアされ、日本では2012年10月20日から劇場公開された。2012年のナント三大陸映画祭では、「若い審査員」賞を受賞した。

2013年夏、東日本大震災直後の統一地方選挙に山内和彦が再出馬した様子を描いた『選挙2』(2013年)が日本で劇場公開された。

2018年6月18日、妻とともに、国に対し、夫婦別姓確認訴訟を起こした。1997年にニューヨーク市で別姓のまま結婚し、日本の法律上も婚姻関係は成立したにもかかわらず別姓のままでは戸籍が作れないことに関するもの[3][4][5]

妻の柏木規与子はコンテンポラリー・ダンサー、振付師、太極拳師範で、『選挙』から『選挙2』までは製作補佐を、『牡蠣工場』からは製作を担っている。

作風[編集]

主にドキュメンタリー映画を制作しており、その監督・製作・撮影・録音・編集を基本的に一人で担っている。一人で撮る理由は経済的理由もあるが、それ以外にも映画作りに存分に時間をかけたいという想田の考えがあるからでもある[6][7]。想田は自身の撮るドキュメンタリー映画を「観察映画」と称して撮影している。それは、なるべく予断と先入観を排除して対象をよく観察し、その観察で発見したことを映画にするという方法論である、と語っている[8]

主張・発言[編集]

  • 選択的夫婦別姓制度について、「僕も含め別姓を望む人たちが求めているのはあくまで「選択的別姓」であって、望まない人まで夫婦別姓にしろとは言っていない。同姓を望む人はどうぞ同じ名字を名乗ってくださいと言っているのに、どうして嫌だと言っている人にまで同姓を強要したがるのかがよく分からない」としている[9]
  • 2018年のオウム幹部死刑執行に「まともなプロセスを踏んでない」と反対表明した。オウム事件を追ってきた江川紹子に「控訴審がああいう形で終わったのは、司法が『まともなプロセスを踏んで』いなかったためではありません。」「控訴趣意書を出さない戦術にこだわった(麻原の)弁護人の問題です。ご自身の主張こそ、法治国家の否定であることに、気づくべき」と批判されている[10]
  • 2023年に開催されたWBCについて、「野球チームを”侍”などと自称するのは、恥ずかしいからやめてほしい。アメリカ代表チームが”騎士USA”とか自称してたらドン引きするだろ?」とコメントし、批判される。[11]

作品[編集]

劇映画[編集]

  • ア・ナイト・イン・ニューヨーク(1995年、脚本・監督)
  • 花と女(1995年、脚本・監督)
  • フリージング・サンライト(1996年、脚本・監督)
  • ザ・フリッカー(1997年、脚本・監督)

ドキュメンタリー映画[編集]

  • 選挙(2007年、監督・撮影・編集・製作)
  • 精神(2008年、監督・撮影・編集・製作)
  • PEACE(2010年、監督・撮影・編集・製作)
  • 演劇1・2(2012年、監督・撮影・編集・製作)
  • 選挙2(2013年、監督・撮影・編集・製作)
  • 牡蠣工場(2016年、監督・撮影・編集・製作)
  • 港町(2018年、監督・撮影・編集・製作)
  • The Big House(2018年、監督・撮影・編集・製作)
  • 精神0(2020年、監督・撮影・編集・製作)

映画(出演)[編集]

著書[編集]

単著[編集]

共著[編集]

受賞歴[編集]

2001年[編集]

  • テリー賞 - 『母のいない風景』

2008年[編集]

2009年[編集]

2010年[編集]

2011年[編集]

2012年[編集]

2017年[編集]

2020年[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]