恋愛

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愛の神クピードー(キューピッド)

恋愛(れんあい)は、人間が他人に対して抱く情緒的で親密な関係を希求する感情で、また、その感情に基づいた一連の恋慕に満ちた態度や行動を伴うものである。フランス語のamour、英語のlove, falling in loveの翻訳語。とも。

概要

辞典による記述

恋愛の定義のしかたは、国語辞典によってさまざまな個性が見られる。

広辞苑』第6版では「男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい」と簡潔に記されている。

三省堂国語辞典』第6版の「恋愛」は「恋」および「愛」を総合した定義である。同書では、まず「恋」は「〔男女の間で〕好きで、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ち(を持つこと)」、「愛」は「1.損得ぬきで 相手につくそうとする気持ち」「2.〔男女の間で〕好きで、たいせつに思う気持ち」と定義する。そして、「恋愛」は両者を合同した形で、「〔男女の間で〕恋(コイ)をして、相手をたいせつに思う気持ち(をもつこと)」としている。

また独自の記述で知られる『新明解国語辞典』第5版では、「特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、できるなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。」と表現した。この記述では性愛の側面を重視しており、また一方的な片思いでも恋愛は成り立つと解釈できる。第6版では、「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。」と改訂され、性愛についての記述は削除された。 このほか、『新潮現代国語辞典』などの辞典も異性間、男女間の関係や感情を恋愛と定義づけており、総じて国語辞典では異性愛を前提とした記述がされている。同性愛を「恋愛」と定義づけた記述は見られない。

歴史

恋愛については、古来より多くの文学や哲学の主題となり、論じられてきた歴史があり、芸術作品で扱われる主題である。

古代

古代ギリシャにおいては、プラトンは、まず一つの肉体(恋人のそれ)に美を認め、それを備えた人を愛し、次に一個の固体の美は他の肉体の美とは似たり寄ったりであることを知って一切の肉体の美に対する愛へと向かい、その次に魂への愛へと向かい、その美を肉体の美より尊いものとして美しい魂を備えた人を愛し、次に知識の美、そして最後に永遠不変の美そのもの(美のイデア)へと向かうべきであると述べた。また、究極的な愛の対象である美のイデアは不死であることから、永遠不変の美のイデアへの愛と認識は神的であり、最も優れた愛であるとプラトンは考えた[1]。恋愛をプラトン的愛(プラトニック・ラブ)として要約した[要出典][誰?]エラー: 「2011年08月」は認識しません。「yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

中世〜近代

薔薇物語』写本 (1420-30) 、愛の神のロンド

中世フランスに起源が見られる騎士道物語においてはロマンス的愛(=ローマ風の愛。「ローマ風」とは「ラテン風」が正式なものとされるに対して「民衆的・世俗的な」という語感をもつ)が生まれ、キリスト教的愛(=アガペー。神が示す無償の愛)とは異なるもの、異風なものとして叙述されはじめた。

13世紀、中世フランスにおいてギヨーム・ド・ロリスとジャン・ド・マンによって書かれた『薔薇物語』は恋愛作法の書として多数の写本が作られ、当時大きな影響力を持っていた。

中世ドイツでは、今日一般的な恋愛関係による婚姻(恋愛婚)は9世紀に教会により非合法とされたので婚姻において氏や家が重要であった(ジッペムント参照)。

命を絶つことになったロミオとジュリエット

シェイクスピア(1564 - 1616)は『ロミオとジュリエット』において、家同士の争いに引き裂かれる恋人たち、悲劇的な恋愛を描いてみせた(1595年前後初演)。不朽の名作として、バレエミュージカル映画など様々なジャンルにリメイクされている。

恋愛はデカルト(1596年 - 1650年)の二元論により漸く哲学的な地位を占めるに到った[要出典]17世紀後半のイギリス、すなわちシェイクスピア直後の時代には、現代用いられる「身体を否定する精神だけの愛」という意味でのプラトニックラブという表現が現れたらしい[2]

エドモン・ロスタンは戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』において、ロクサーヌに恋心を抱きつつも気持ちを面と向かって伝えることができず、かわりに若い美男子クリスチャンの恋をとりもってやるシラノという男の「忍ぶ恋」「切ない恋」を描いてみせた(1897年初演)。この戯曲はパリの人々を大熱狂させたといい、1897年の初演から500日間400回連続上演され、その後も今日にいたるまで世界中で上演されつづけており、映画やミュージカルに幾度もリメイクされ見続けられている。

スタンダールの『恋愛論』

スタンダール(1783年 - 1842年)は『恋愛論』において、恋愛には4種類ある、とした。情熱的恋愛、趣味恋愛、肉体的恋愛、虚栄恋愛である[3]。どんなに干からびた不幸な性格の男でも、十六歳にもなれば(肉体的恋愛から)恋愛を始める。また恋は心のなかで、感嘆、自問、希望、恋の発生、第一の結晶作用、疑惑、第二の結晶作用という7階梯をたどる、とした[4]。あらゆる恋愛は6つの気質に起因し、多血質(フランス人)、胆汁質(スペイン人)、憂鬱質(ドイツ人)、粘液質(オランダ人)、神経質、力士質の、それぞれの影響が恋愛の諸相に関与する、とした。[5]

現代の各国の恋愛

キス」(グスタフ・クリムト作)

現代では西洋諸国でも日本でも、文学演劇絵画ドラマ歌謡曲漫画などさまざまなジャンルで恋愛が扱われている。 西洋諸国では大抵の国では恋愛は自由で素晴らしいものと考えられている。お互い惹かれあっても日本のように彼氏、彼女という風な関係になることはなく、ボーイフレンド、ガールフレンドという友達の関係に留まる。ただしどこの国でも交際は男女の2者間の関係が基本で、ポリアモリーは少数派である。両者が親しくなると同棲により生活を共にし、問題がなかった場合婚約するのが一般的(例えばスウェーデンでは結婚したカップルの99%が同棲を経験している。これは事実婚に寛容な文化を背景にしている)なので、日本のように告白を経て彼氏彼女の関係になるが、生活は別々な上たまに遊園地レストランデートに出かける程度で再び告白を経て婚約するということはない[6]

イスラム諸国や一部アフリカ諸国では、現在も恋愛は不道徳なものとされている。ユダヤ人の間では、恋愛は行ってもよいが恋人同士で積極的に意見を交換することを教え、恋愛にのめり込み過ぎることは破滅を意味するとタルムードで教えている[7]

また、中華人民共和国では18歳未満の低年齢者が恋愛をすることを「早恋」と呼び、学業成績の低下だけでなく生活の乱れや家出、同棲などの非行につながると考える有識者が多く、黒竜江省では2009年8月末に未成年者の恋愛に対して「父母や監督責任者は批判、教育、制止、矯正を行わなければならない」と定めた条例が制定された[8]

日本

日本語の「恋愛」

日本語で「恋愛」という表現は、1847-48年のメドハーストによる『英華辞典』にみられるのが最古である。ただし定着は遅れ、北村門太郎(後の北村透谷)も明治20年(1887年)では「ラブ」と表記している。

日本の恋愛の歴史

日本では、古くから恋は和歌や文学の主要な題材であり、『万葉集』の「相聞歌」や『古今和歌集』の恋歌を見出すことができ、物語文学においても『伊勢物語』や『源氏物語』など、貴族の恋模様を描いた作品が多く見られる。古代から鎌倉時代までは、男が女の元へと通う「通い婚」が通例であり、男女は時間を作って愛を育んだ後、女側の親が結婚を承諾して夫婦となった。北条政子のように、親の決めた相手を拒否して、自分の想う相手と添い遂げた事例もある。

中世頃には、仏教の戒律のひとつの女犯に関するもの(不淫戒)の影響が見受けられ[9]、とくに男性社会の側から恋愛を危険視する(あるいは距離を置くべき対象としてとらえる)傾向が生じた。権門体制を維持する手段として男性が賦役・租税の対象とされる一方、女性を財産ととらえ、交換や贈与の対象とする傾向が確認され、恋愛を社会秩序を破綻させる可能性のあるものとして否定的にとらえる傾向が生じた。この傾向は江戸時代の儒教文化にも受け継がれ、女大学にみられる恋愛を限定的にとらえる倫理観や、家族制度・社会規範に対する献身を称揚する文化に継承された。

浮世絵に描かれた接吻の図

一方で近松門左衛門世話物にみられる義理、信義、家督の継承や世間の風評、金銭の圧力などに抵抗する情念としての恋愛を称揚する文化は民衆に広く受け入れられ続けていた[要出典]

明治時代には中流階級では家制度による親が結婚相手を決めるお見合い結婚が多かった。男性にとっては結婚は少なくとも法律上は結婚後の自由な恋愛・性愛を禁ずるものではなく、地位ある男性が配偶者以外に愛人を持つことはしばしば見られた。社会も既婚男性が未婚女性と交際することには寛容であったが、既婚女性が愛人を持つことは法律上許されなかった(姦通罪)。

明治から大正にかけて、文化人を中心としてロマン主義の影響もあって、恋愛結婚が理想的なものとの認識が広まり、大正時代には恋愛結婚に憧れる女性と、保守的な親との間で葛藤がおこることもあった[10]

高度経済成長期以降は、恋愛結婚の大衆化により、恋愛は普通の男女であれば誰でもできる・すべきものだという風潮が広がった。また、1980年代後半から1990年代初頭のバブル景気の日本では恋愛で消費行動が重視される傾向があったとされ、「この時(イベント)にデートするならばここ(流行の店など)」「何度目のデートならどこにいく」というようなマニュアル的な恋愛が女性誌や男性向け情報誌、トレンディドラマなどで盛んにもてはやされた。

現代では、親の意向にのみ基づいたお見合い結婚の割合はかなり少なく、夫婦の間の愛情を重視する恋愛結婚が大多数となり、お見合い結婚であっても本人の意向を尊重するものが多くなった[11]

いっぽう恋愛の世界で格差社会化が進んでいるとし、「恋愛資本主義」、恋愛資本による「魅力格差」、「恋愛格差」などという言葉も用いられている。このような情勢のなかで恋愛や性交渉を経験したことがない中年層が増加しつつあると分析する者もいる[12]。また、世の中に「モノ」が大量に溢れる中で、カップルの低俗化が指摘されることも少なくない。

現代でも、神社において、縁結びのご利益は重視されるところであり、恋愛成就のお守りや恋愛運の書かれたお神籤は定番とも言える。

キリスト教

アブラハム・カイパーは『カルヴィニズム』で「自由恋愛が結婚の神聖を乱そうとし」[13]ていると述べるように、恋愛について否定的な見解がある。恋愛が「ある種の威厳を持ち、恋人に対する全面的献身・・を要求して、神のように語る」ので「神に従わせなければ、それ自体が絶対的な服従を求めてきて、悪魔化し、偶像化」する危険があるとキリスト者学生会の高木実主事は指摘し、C.S.ルイスの『四つの愛』を引用している[14]。またC.S.ルイスは『悪魔の手紙』で恋愛は悪魔が広めた思想であるとしている[15]。恋愛に伴うことのある問題として、福音派婚前交渉を禁じている[16][17][18]カトリック教会は婚前交渉を禁じており、避妊は大罪である[19][20]

著名な恋愛論

恋愛の形態

現代ではしばしば恋愛のシンボルマークとして用いられるハートマーク

出典・脚注

  1. ^ 森進一訳, 『饗宴』, 新潮文庫, 1968
  2. ^ 永嶋哲也「愛の発明と個の誕生──思想史的な観点から──」比較思想論輯2004.6[1][2]
  3. ^ 『恋愛論』大岡昇平 訳
  4. ^ 『恋愛論』
  5. ^ (注) なお、スタンダール自身は『恋愛論』の序文(1826年)において、「この本は成功しなかった」と述べており、論の展開は「必ずしも理由がなくはかない」と告白している。
  6. ^ 世界SEX百科―肉体と意識、そして各国の性風俗 由良橋 勢 著
  7. ^ ユダヤの力(パワー)―ユダヤ人はなぜ頭がいいのか、なぜ成功するのか! (知的生きかた文庫) 加瀬 英明 著
  8. ^ “早すぎる恋愛”はダメ!高校の規則に「男子と女子は44cm以上離れよ」―中国
  9. ^ 宇治拾遺物語』、『道成寺
  10. ^ 加藤秀一『恋愛結婚は何をもたらしたか』ちくま書房
  11. ^ リクルート「結婚トレンド調査2006」
  12. ^ 渡部伸『中年童貞』扶桑社新書など
  13. ^ アブラハム・カイパー著『カルヴィニズム』聖山社 p.96
  14. ^ 高木実著『生と性-創世記1-3章にみる「男と女」』いのちのことば社 p.67
  15. ^ C.S.ルイス『悪魔の手紙』中村妙子訳、平凡社
  16. ^ 高校生聖書伝道協会『クリスチャン・ライフQ&A』いのちのことば社
  17. ^ 尾山令仁『結婚の備え』いのちのことば社
  18. ^ チャールズ・スウィンドル『性といのちの問題』いのちのことば社
  19. ^ カトリック・プロライフ
  20. ^ 公教要理

関連論文

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関連項目