弓削元宝

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弓削元実児
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
別名 元実児
主君 斉明天皇
氏族 弓削
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弓削 元宝児(ゆげ の がんほうじ)は、飛鳥時代の人物。名は元実児[1]ともする。

概要[編集]

日本書紀』巻第二十五に引く、『伊吉博得が言はく』とある文章に現れる「趙元宝」と同一人物であるとする説がある。この記述によると、韓智興(かんちこう)同様、「倭種(やまとのうじ、混血児)」であったようである[2]

日本書紀』の持統天皇4年(690年)10月22日条に、弓削連元実子は、百済救援戦争(白村江の戦い)に従軍して唐の捕虜になったとある。天智天皇2年(663年)、大伴部博麻が身を売って得た衣糧を得て、土師富杼氷老筑紫薩夜麻と共に帰国し、の計略を本国に知らせた。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本書紀』北野本、内閣文庫本
  2. ^ 『日本書紀』孝徳天皇 白雉5年2月条、『伊吉博徳書』

出典[編集]

関連項目[編集]