広野耕一

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広野 耕一
名前
愛称 ヒロ
カタカナ ヒロノ コウイチ
ラテン文字 HIRONO Koichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-04-16) 1980年4月16日(44歳)
出身地 奈良県北葛城郡
身長 181cm
体重 76kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

広野 耕一(ひろの こういち、1980年4月16日 - )は、奈良県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはGK

経歴[編集]

奈良育英高校の2、3年次に全国高校選手権に出場。特に3年の時には大会No.1GKの評価を受けるほど注目を集めた。

愛知学院大学卒業後、地元・奈良のスポーツジムでアルバイトをしながら、関西リーグ所属・アマチュアチームの高田FCでプレー。 2003年4月に大学関係者の紹介で名古屋グランパスエイトのテストを受けて合格し、プロ入りした苦労人である。

名古屋入団後、高校の先輩である日本代表楢﨑正剛をはじめとした他のGKの厚い壁を越えられず、長年第3GKにとどまる。

2009年開幕時点で唯一出場したJ公式戦は、2004年9月4日ナビスコカップ準々決勝(vs鹿島アントラーズ)。 後半44分にGK川島永嗣の退場処分に伴い公式戦初出場を果たす。 直後、フェルナンドPKを止め、2-1の勝利に貢献した。

2006年には横浜FCに期限付き移籍し、試合出場はなかったが、チームのJ1昇格を味わった。 2007年からは名古屋に復帰。

2009年7月29日ナビスコカップ準々決勝第2戦のFC東京戦(瑞穂)で、日本代表として招集されていた楢﨑と、第1戦で5失点を許し、不調に陥っていた西村弘司に代わって公式戦初先発。第1戦の5失点が響いて準決勝進出はならなかったが、この試合としては、1失点に抑える2-1で勝利に貢献した。リーグ戦でも、怪我で離脱した楢﨑に代わり、8月30日アルビレックス新潟戦(瑞穂)でリーグ戦初出場し、最後までゴールを許さず1-0で完封勝利を収めるなど貢献した。AFCチャンピオンズリーグ2009ではノックアウトステージの3試合に出場。しかし準決勝第1戦のアル・イテハド戦で6失点を喫して以降、楢﨑の復帰もあり、出場機会が再びなくなり、同年シーズンをもって現役を引退。2010年からは名古屋の下部組織でコーチを務めている。

所属クラブ[編集]

ユース経歴

シニア経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 高田 21 関西 - -
2003 名古屋 36 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2004 0 0 1 0 0 0 1 0
2005 0 0 0 0 0 0 0 0
2006 横浜FC 12 J2 0 0 - 0 0 0 0
2007 名古屋 36 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2008 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 30 6 0 1 0 1 0 8 0
通算 日本 J1 6 0 2 0 1 0 9 0
日本 J2 0 0 - 0 0 0 0
日本 関西 - -
総通算 6 0 2 0 1 0 9 0
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2009 名古屋 30 3 0
通算 AFC 3 0

代表・選抜歴[編集]

  • U-15関西選抜
  • U-22東海学生選抜

指導歴[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]