平尾聚泉

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平尾聚泉
二代目平尾賛平
生誕 1874年
日本の旗 日本 東京市深川
(現在の東京都江東区深川)
死没 1943年2月14日
不詳
出身校 慶應義塾正科 卒業
職業 実業家
子供 平尾貴四男 四男
平尾はるな
辻功 曾孫
平尾昌晃
平尾勇気 曾孫
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平尾 聚泉(ひらお しゅうせん、1874年 - 1943年2月14日)は、日本の実業家である。「レート化粧料」で知られる大正時代から昭和初年にかけて名を馳せた化粧品メーカー「平尾賛平商店」の二代目社主であり、二代目平尾賛平(-さんぺい)を襲名、出生名は-太郎(-たろう)、「聚泉」は古銭蒐集家としての雅号である。紺綬褒章を受章した。

人物・来歴

1874年(明治7年)東京市深川区(現在の東京都江東区深川)に生まれる。父は静岡出身で、1878年(明治11年)、東京市日本橋区馬喰町1丁目6番地(現東京都中央区日本橋馬喰町1丁目)で化粧品店を開業、「小町水」で知られる「平尾賛平商店」の創立者・初代平尾賛平である[1][2]

1891年(明治24年)、慶應義塾在学中に、父の新製品「ダイヤモンド歯磨」の命名をし、ヒット商品となる[2]。同年、慶應義塾正科を卒業した[2]

1898年(明治31年)1月、初代平尾賛平が死去、社長に就任、二代目平尾賛平を襲名する[2]、同年6月、東京市日本橋区の明治座での新狂言公演『児雷也豪傑譚語』で、児雷也役の九代目市川團十郎の背景に、商品名「日本美人」の看板のある錦絵広告を出した[3]。平尾は、広告が重要、広告に工夫が必要と考え、積極的に展開した。

クレームレート夏の広告 (『アサヒグラフ』、1924年)

1908年(明治41年)には大阪に平尾賛平商店の支店を出して関西に進出した。同年、「ダイヤモンド歯磨」を「金剛石牙粉」と中国語で表記し、中国大陸にも進出、北京天津香港にも多数の幟旗を携えた「広告隊」を出した[4]。1918年(大正7年)、クリームと白粉をセットした画期的商品「レートメリー」を発売、明治末年から大正期にかけて、同社の「レート化粧料」(LAIT TOILET)は、大阪中山太陽堂の「クラブ化粧品」と人気を競い、「東のレート、西のクラブ」と称された[3]。昭和初年には、朝鮮半島の京城(現在のソウル特別市)にも進出、現地紙『東亜日報』にハングル交じりの広告を打ち、京城三越百貨店(現新世界百貨店)のある中心街の忠武路に「レートクレーム」(クレーム = Crème、フランス語)と大書した巨大な広告塔を建てた。

平尾は古銭蒐集家「平尾聚泉」としても知られ、自らの財力で新聞に広告を打って募集し古銭を買い集めた。1932年(昭和7年)、聚泉は『昭和泉譜』を著し、同書は、42年を経たのちの1974年(昭和49年)に『古貨幣図録・昭和泉譜』(歴史図書社)として復刊した。1938年(昭和13年)、平尾賛平商店の創業60周年を記念し、古銭を模した記念メダルを発行する。聚泉の古銭を所蔵する邸宅は「平尾麗悳莊」として知られ、多くの和綴の古銭拓本を制作した。

第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)、平尾は「平尾賛平商店」を「レート」に商号変更したが、5年後の1954年(昭和29年)、会社更生法の申請が認められず、廃業に追い込まれた。

現代音楽の作曲家・平尾貴四男は二代目平尾賛平の四男、作曲家・歌手の平尾昌晃(出生名・勇)は二代目平尾賛平の孫、ともに慶應義塾出身である。

おもなビブリオグラフィ

  • 『平尾賛平商店五十年史』 (平尾賛平商店、1929年3月) - 「平尾太郎」名義
  • 昭和泉譜』 (1932年) - 「平野聚泉」名義
    復刊 『古貨幣図録・昭和泉譜』(歴史図書社、1974年)
  • 『初代平尾賛平小伝』 (1937年) - 「平尾賛平」名義

関連事項

参考書籍

  • 村田孝子『近代の女性美 - ハイカラモダン・化粧・髪型』、ポーラ文化研究所、2003年12月 ISBN 4938547716

  1. ^ #参考書籍欄の『近代の女性美 - ハイカラモダン・化粧・髪型』の記述を参照。
  2. ^ a b c d 三田商業研究会編『慶應義塾出身名流列傳』(実業之世界社、1909年6月15日)所収の「ダイヤモンド歯磨製造本舗主 平尾賛平氏」の項の記述を参照。
  3. ^ a b #外部リンクにあるアド・ミュージアム東京公式サイトリンク先内の記事「01 看板」「02 錦絵」等の記述を参照。二重リンクを省く。同サイトはトップページ以外のリンクを禁じている。
  4. ^ 平尾太郎『平尾賛平商店五十年史』(平尾賛平商店、1929年3月)の記述を参照。

外部リンク