幕下

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。221.119.132.169 (会話) による 2016年3月13日 (日) 08:11個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎通算在位)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

幕下(まくした)は、大相撲番付における階級のひとつ。十両の下で三段目の上。十両のなかった時代には幕内のすぐ下の階級であったためにこの名がある。番付では上から二段目に記載されるため、正式名称は「幕下二段目」。江戸時代には十両の地位が存在しなかったことから、幕下に位置していても、幕内力士との対戦が組まれていた。

概要

  • 全勝もしくはそれに近い優れた成績を挙げ続ければ、前相撲から最速4場所で昇進することが可能である。現行の制度では東西60人ずつ、合計120人が定員であるが、アマチュア相撲で実績があり、幕下10枚目格または幕下15枚目格付出の力士についてはそれに含めない。
  • 関取を窺う地位であり、十両への昇進を目指す者と十両から陥落した者との間で、最も競争の厳しい地位でもある。関取として一人前に扱われる十両と、力士養成員扱いの幕下までとでは、その待遇に雲泥の差があるため、俗に「十両と幕下は天国と地獄」とまで言われる。幕下に昇進すると博多帯(博多織の帯)と冬場のコートを着用でき、中でも将来有望と見込まれた力士は稽古に専念させるため、多くの部屋ちゃんこ番などの雑用が免除されるなど、三段目との待遇差も一目瞭然である。
  • 幕下25枚目以上に昇進すると、本場所の場内で入場者に配付される当日の取組表の裏に印刷される星取表に掲載される。さらに幕下15枚目以内の地位は俗に幕下上位(後述)と呼ばれ、16枚目以下の幕下力士よりも格上に扱われている。主に幕下上位の力士が取ることが多い十両土俵入りから幕下最後の取組までの5番は特に幕下上位五番(後述)と呼ばれる。
  • 1960年7月場所より、現行の幕下7番取組制が導入される。それまでは幕下以下は8番取組制であった(4勝4敗では番付は上がらない)。ただし、現行の制度の中でも取組編成の都合により、幕下上位の力士で、主に既に5敗以上している力士の場合八番相撲を取ることがある。

幕下上位

幕下の中で次の本場所での成績次第で十両に昇進できる地位を幕下上位と呼ぶ。ちなみに幕下上位が幕下15枚目以内と定められているのは1977年に改正された「幕下15枚目以内で全勝で十両昇進」という原則があるためである。

十両への昇進要件

  • 1960年代半ばから、幕下20枚目以内で7戦全勝すれば無条件に十両昇進する内規が設けられ、後に1977年から幕下15枚目以内に改められた。これは、優勝決定戦で優勝を逃した場合にも適用される。
  • 若圭翔(当時「下田」)は2006年5月場所に幕下15枚目格付出で7戦全勝優勝したが、「幕下15枚目格付出は幕下15枚目以内ではない」との見解がなされ十両昇進を見送られた。現行内規で十両昇進を見送られた唯一の力士である。一方で大真鶴は、2003年11月場所において西幕下16枚目の位置で7戦全勝の成績で優勝を果たし、本来ならば内規には該当せずに十両昇進は見送られる地位であったが、翌2004年1月場所からの幕内十両定員増加の恩恵を受けて十両に昇進した。さらに琉鵬は2010年7月場所に西幕下11枚目で6勝1敗と勝ち越し、本来ならば十両へは上がれない成績のはずだったが、大相撲野球賭博問題の影響などで大勢の幕下への降格者が出ることにより、1960年(昭和35年)7月場所からの幕下7番制導入以降で、最も下位の番付から全勝せずに翌9月場所において十両入りを果たした。その後2011年7月場所で飛翔富士も同じく西幕下11枚目で6勝1敗と勝ち越し、こちらも本来ならば内規には該当せずに十両昇進は見送られる地位であったが、大相撲八百長問題の影響で減らされていた関取の定員が同年9月場所から元に戻されることもあって、翌場所新十両への昇進を果たしている。
  • 十両昇進の目安は、十両からの陥落者・十両以上の引退者の数などによって昇進できる人数に差が生じるため一概に言えないが、5枚目以内で6勝1敗・2枚目以内で5勝2敗の成績で十両昇進を見送られた例は平成初期まではほぼ皆無であった[1]。しかし、琴岩国(当時「琴藤本」)は1996年3月場所に西幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越しながら十両昇進を見送られ、2007年3月場所では西筆頭で4勝3敗の成績を挙げた千代白鵬は十両へ昇進し、西幕下2枚目で5勝2敗の成績を挙げた境澤の十両昇進は見送られた。それ以降も、十両からの陥落者が少ないという理由で、2007年9月場所では西幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越した市原が、2008年11月場所では西幕下筆頭で5勝2敗の成績を挙げた隠岐の海(当時「福岡」)など、西筆頭の位置で勝ち越しを決めても十両昇進を見送られる事例が見られるようになった。
  • ただし、審判部は「番付は生き物」という見解を示しており、今後も場所によって基準が変動することも考えられる。

幕下上位五番

十両土俵入り後に行われる幕下の残りの取組5番(幕下上位の取組)を幕下上位五番という。土俵が佩き清められて拍子木が入り、対戦する力士の四股名に続いて「幕下上位の取組であります」とアナウンスされる。

十両との取組がある場合

  • 幕下上位の力士が十両の土俵において十両力士と対戦する場合は、幕下力士は大銀杏を結って土俵に上がることを義務付けられている。取組の性格としては、終盤戦に十両昇進の可能性が残されている力士を十両下位の幕下陥落の可能性がある力士と対戦させる場合、幕下陥落が確定的な十両下位の成績不振者と昇進の可能性が望めない幕下上位力士を対戦させる場合、あるいは序盤で十両以上に休場者が出て幕下上位の力士が繰り上がり対戦する場合がある。

その他

  • かつては、幕下上位五番に限り、館内の電光掲示板でも勝敗を表示していたが、十両以上の定員増加に伴い、現在は行われていない(1991年1月場所より)。ただし、NHKの大相撲中継の中での発表は現在も行われている(決まり手はアナウンサーによる口頭発表のみでテレビ画面には表示されない)。
  • NHKの大相撲中継では幕下上位五番までは力士名・番付地位・出身地・所属部屋・勝敗数を横文字で紹介されるが、幕下上位五番からは縦文字で紹介される。但し、力士名は明朝体である。

記録

幕下優勝

平成以降では幕下優勝の回数は3回が最多であり、和歌乃山大輝煌若孜の3人が達成している。

通算在位

順位 幕下在位 四股名 最高位
1位 120場所 栃天晃正嵩 十両4
2位 114場所 牧本英輔 前頭12
3位 102場所 琴冠佑源正 十両6
4位 94場所 輝面龍政樹 幕下4
5位 91場所 大雷童太郎 十両2

脚注

  1. ^ 番付運の悪い例としては青葉山などの例はあった。

関連項目