市川町 (千葉県)

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市川町
廃止日 1934年11月3日
廃止理由 新設合併
市川町八幡町中山町国分村市川市
現在の自治体 市川市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
東葛飾郡
市町村コード 当時存在せず
面積 3.3 km2.
総人口 21,865
(1931年12月)
隣接自治体 東葛飾郡八幡町
中山町
国分村
行徳町
東京府東京市江戸川区
市川町役場
所在地 千葉県東葛飾郡市川町大字市川字上出口
外部リンク 当時存在せず
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市川町(いちかわまち)は、1889年明治22年)4月1日から1934年昭和9年)11月3日まで存在した千葉県東葛飾郡。現在の千葉県市川市中西部に当たる地域。同郡域で最初に市制を敷いた。

地理

千葉県東葛飾郡南西部にあった町である。現在では全域が市川市となっており、現在の地名では、市川市川南国府台新田平田真間の全域及び、大洲三・四丁目、菅野三丁目、南八幡五丁目、八幡五丁目の各一部に相当する。また、八幡町の町域内(現在の八幡三丁目、南八幡五丁目の一部)に飛び地があった。

地域

  • 大字市川
    • (字)圦下、上出口、国府台、小向、笹塚、寒室出口、下出口、砂河原、堰向、大門向、第六天前、荷積、根本、真間下、見附田、宮田、柳下、八幡前、四ツ割
  • 大字市川新田
    • (字)市川境、石代(飛地)、溜上、溜下、宮脇、八幡下(東葛飾郡八幡町内にあった飛地)
  • 大字国府台
    • (字)明戸、カケ上、川通、西桜陣、東桜陣、谷津
  • 大字平田
    • (字)太子前、田上、前耕地、宮前
  • 大字真間
    • (字)新田場、大門、本寺際、本田、諭田及び小砂原、大砂原、鎗田(3字の飛地)

歴史

町名の由来

旧市川村の名前を継承。また、「市川」の名称については、由来ははっきりしていないが、有力説として地域の西を流れる江戸川(太日川)が当時東国一の川であったことから一の川が訛ったとする説、江戸川の河岸に定期的に川舟が集まり、市が開かれていたことに由来するという説がある。

沿革・年表

交通

鉄道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

関連項目

参考文献

  • 市川市史 第三巻