川島信二

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川島信二
2012年兵庫CS表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都練馬区
生年月日 (1982-11-24) 1982年11月24日(41歳)
身長 159cm
体重 49kg
血液型 B型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 栗東・安藤正敏(2001.3.1 - 2007.5.31)
栗東・フリー(2007.6.1 - 2020.8.20)
栗東・新谷功一(2020.8.21 - 2023.8.20)
栗東・フリー(2023.8.21 - 2024.2.29)
初免許年 2001年
免許区分 平地・障害[1]
騎手引退日 2024年2月29日
重賞勝利 中央5勝
地方5勝(うちダートグレード4勝、その他1勝)
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川島 信二(かわしま しんじ、1982年11月24日 - )は日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンター所属の調教助手、元騎手田島良保は義父(妻の父)にあたる。

来歴[編集]

東京都練馬区出身。3歳上の兄と3歳下の双子の妹がいる。小学2年から始めた野球は中学を卒業するまで続けたが、小学校高学年の頃からは競馬にも興味を持ち始めた[2]。中学校の担任の先生に紹介してもらった千葉県にある宝馬乗馬学校(アニマル・ベジテイション・カレッジの前身)にて[3]兄弟で練習を積む。同時期にナリタブライアンマヤノトップガンが壮絶な叩き合いを演じた阪神大賞典をテレビ観戦し感動して本気で騎手を目指すようになった[2]。中学3年の時に競馬学校に受験し見事合格。競馬学校第17期生の同期には難波剛健田中亮大庭和弥小坂忠士平沢健治らがいる。2001年に騎手免許を取得、関東の所属を希望している同期の多くが関係者の二世であることを知ると、あえて関西を希望し、栗東・安藤正敏厩舎へ所属[2]

初騎乗は3月3日中京競馬第1競走のイスズペルルで、10頭立ての10着だった[4]。初勝利は同年3月4日の中京競馬第5競走で、オースミダイモンに騎乗してのものであった。

2003年小倉大賞典にて重賞初勝利[4]。また、オースミハルカとのコンビで3勝を挙げている。同馬では2003年のクイーンステークスファインモーションを破り、2004年に同レースを連覇。また2004年、2005年エリザベス女王杯で2年連続2着するなどの成績を挙げている。

2004年に田島良保調教師の三女と結婚[5]

2006年1月7日京都競馬第4競走をマイネルオレア号に騎乗して勝利し、JRA通算100勝を達成した[6]

2011年7月9日、函館競馬第4競走をアイムヒアー号に騎乗して勝利し、JRA通算200勝を達成した。

2017年10月5日、栗東でのゲート練習の際に落馬し、胸椎2か所を圧迫骨折して1か月半の戦線離脱。11月7日に栗東トレセンでの調教には復帰した。

2018年3月3日、阪神競馬第3競走をヒロノライデン号に騎乗して勝利し、JRA通算300勝を達成した。2017年9月17日に299勝目を挙げてから82戦とけが5か月半を要した。

2020年8月21日より栗東・新谷功一厩舎所属となったが、2023年8月21日付で新谷功一厩舎を離れフリーになる[7]

2024年2月25日、JRA騎手最終日は阪神競馬場で4鞍に騎乗し、最後の騎乗は8Rのピジョンブラッドの9着[8]。2月27日には名古屋競馬8RのJRA交流競走の名古屋CCストロベリー賞でミエノソニックに騎乗し12頭立ての12着でラスト騎乗を終えた[9]

2024年2月29日付で騎手を引退し、引退後は庄野靖志厩舎で調教助手に転業する[10][11]

主な騎乗馬[編集]

エピソード[編集]

騎乗成績[編集]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2001年3月3日 1回中京1日1R 3歳未勝利 イスズペルル 10頭 10 10着
初勝利 2001年3月4日 1回中京2日5R 4歳上500万円下 オースミダイモン 16頭 3 1着
重賞初騎乗 2002年2月3日 2回京都4日11R シルクロードステークス スニーカー 16頭 12 13着
重賞初勝利 2003年2月9日 1回小倉8日11R 小倉大賞典 マイネルブラウ 16頭 11 1着
GI初騎乗 2003年3月30日 1回中京8日11R 高松宮記念 シベリアンメドウ 18頭 15 10着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2001年 10 16 14 208 .048 .125 .192
2002年 32 35 33 447 .072 .150 .224
2003年 22 21 28 409 .054 .105 .174
2004年 13 20 28 344 .038 .096 .177
2005年 22 22 35 399 .055 .110 .198
2006年 20 27 31 429 .047 .110 .182
2007年 18 15 31 395 .046 .084 .162
2008年 13 16 21 322 .040 .090 .155
2009年 25 28 19 340 .074 .156 .212
2010年 14 20 28 371 .038 .092 .167
2011年 18 18 18 340 .053 .106 .159
2012年 25 23 17 417 .060 .115 .156
2013年 11 14 10 350 .031 .071 .100
2014年 21 12 26 345 .061 .096 .171
2015年 11 14 12 300 .037 .083 .123
2016年 16 15 19 240 .067 .129 .208
2017年 8 16 13 221 .036 .109 .167
2018年 8 7 8 211 .038 .071 .109
2019年 10 12 6 193 .052 .114 .145
2020年 10 9 13 201 .050 .095 .159
2021年 5 8 7 140 .036 .093 .143
2022年 2 1 2 85 .024 .035 .059
2023年 4 5 2 75 .053 .120 .147
2024年 3 0 1 31 .097 .097 .129
中央 341 374 422 6813 .050 .105 .167
地方 14 15 10 130 .108 .223 .300

(2024年2月29日現在 JRA騎手名鑑より)

脚注[編集]

  1. ^ 平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月6日閲覧。
  2. ^ a b c ヴィクトリアマイルと川島信二騎手。他界した先輩、叔父の思いを胸に。(平松さとし)”. Number Web - ナンバー. 2024年2月8日閲覧。
  3. ^ 「岡潤のムチを託され、走り続けるオトコがいる JRA・川島信二騎手」『競馬業界就職読本2』(第1刷)流星社、2005年5月、136頁。ISBN 978-4947770370 
  4. ^ a b c d e f 「岡潤のムチを託され、走り続けるオトコがいる JRA・川島信二騎手」『競馬業界就職読本2』(第1刷)流星社、2005年5月、139-140頁。ISBN 978-4947770370 
  5. ^ 【エリザベス女王杯】ハルカ鞍上・川島信の挙式に花添える
  6. ^ 川島信二騎手、JRA通算100勝達成”. netkeiba.com (2006年1月7日). 2012年3月20日閲覧。
  7. ^ 川島 信二騎手が所属変更日本中央競馬会、2023年8月17日配信・閲覧
  8. ^ 川島 最後まで勝負師魂貫いた!4鞍騎乗も結果出せず「乗る以上は…」 - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年2月27日閲覧。
  9. '^ 川島信二騎手、現役ラスト騎乗は12着 名古屋競馬のJRA交流競走”. UMATOKU | 馬トク - スポーツ報知 (2024-02-27JST19:29:00+0900). 2024年2月27日閲覧。
  10. ^ 川島 信二騎手が引退 - JRAニュース(日本中央競馬会)2024年2月8日
  11. ^ 川島信二騎手、2月末で引退 庄野靖志厩舎で調教助手に - 競馬実況web(ラジオNIKKEI)2024年2月8日
  12. ^ a b c d 騎手重賞勝利歴”. nankankeiba.com. 2024年2月8日閲覧。
  13. ^ 榊原洋一 (2009年8月7日). “ジャンパーまで”. 2012年3月20日閲覧。
  14. ^ JRAの川島騎手が観戦に来訪
  15. ^ 通算300勝達成 川島信二騎手の背中を押した2人の“レジェンド””. スポーツ報知 (2018年3月10日). 2024年2月8日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]