川並秀雄

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川並 秀雄(かわなみ ひでお、1901年明治34年〉4月9日[1] - 1984年昭和59年〉1月24日[2])は、日本文学研究家愛知県出身、関西大学卒業。

関西大学大学院でアメリカイギリス文学研究を納めた後、1959年(昭和34年)から1961年(昭和36年)にかけてアメリカ合衆国ロチェスター大学ケンブリッジ大学比較文学研究を納めた[1][3]

1964年(昭和39年)から1965年(昭和40年)まで、アメリカの大学で客員教授として教壇に立った。帰国後は関西大学、大阪商業大学関西学院大学の講師を歴任。日本国内外で日本文学、特に石川啄木の生涯と文学についての講義を行なった[3][4]。一方で啄木や有島武郎の研究家としても知られ、資料の発掘に貢献[5]、啄木研究の最長老ともいわれた[2]

1984年、満82歳で死去[2]。没後の1990年平成2年)、約半世紀にわたって収集された啄木、有島、小林多喜二などの約4千点の研究資料が、夫人の希望により東京都目黒区日本近代文学館に寄贈され、同館120番目のコレクション「川並秀雄文庫」として一括保存された[5]。啄木の全集にも収録されていない資料、多喜二の未公開の小説などもあり、当時の同館館長であった小田切進は「超一級のコレクション」と評価した[6]

主な著書に『啄木晩年の社会思想』、『啄木の作品と女性』、『石川啄木新研究』、『埴生の宿物語 漂泊の詩人ジョン・ハワード・ペインの生涯』などがある[1][2]

脚注

  1. ^ a b c 佃實夫他編 編『現代日本執筆者大事典』 第2巻、日外アソシエーツ、1978年9月1日、160頁。 NCID BN00878859 
  2. ^ a b c d 「訃報」『日本古書通信』第656号、日本古書通信社、1984年3月15日、34頁、NCID AN00189593 
  3. ^ a b 川並秀雄『石川啄木新研究』冬樹社、1972年4月30日、奥付頁。 NCID BN06618690 
  4. ^ 川並秀雄『啄木覚書』洋々社、1982年1月5日、奥付頁。 NCID BN0351923X 
  5. ^ a b “啄木らの資料4000余点寄贈”. 朝日新聞 東京夕刊 (朝日新聞社): p. 7. (1990年5月8日) 
  6. ^ “超一級資料、未発表含む4千点 啄木研究家の遺族が近代文学館に寄贈。東京”. 北海道新聞 朝刊 (北海道新聞社): p. 30. (1990年4月8日)