島田紳助・松本竜介
島田紳助・松本竜介 | |
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メンバー |
島田紳助 松本竜介 |
別名 | 紳助・竜介、紳竜 |
結成年 | 1977年 |
解散年 | 1985年 |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 1977年7月15日 - 1985年5月17日 |
師匠 | 島田洋之介・今喜多代 |
出会い | 明石家さんまの紹介 |
芸種 | 漫才 |
ネタ作成者 | 島田紳助 |
過去の代表番組 |
オレたちひょうきん族 笑ってる場合ですよ! など |
受賞歴 | |
1978年NHK上方漫才コンテスト 優秀敢闘賞 1980年上方お笑い大賞 銀賞 1980年上方漫才大賞 新人賞 1981年第1回 花王名人大賞 新人賞 1981年第18回 ゴールデン・アロー賞 芸能新人賞 |
島田紳助・松本竜介(しまだしんすけ・まつもとりゅうすけ)は、1970年代後半から1980年代前半にかけて活動した、吉本興業に所属していたお笑いコンビ。略称「紳助・竜介」(しんすけ・りゅうすけ)、「紳竜」(しんりゅう)。当時の漫才ではスタンダードとされた背広のスタイルを廃して、リーゼントヘアにつなぎ作業着という不良スタイルの「ツッパリ漫才」で、漫才ブームを牽引するコンビとなる。
メンバー
略歴
- 同期の明石家さんまから花月の進行係であった竜介を紹介されて「島田紳助・松本竜介」を結成。
- 7月15日、京都花月の5日間に出演・デビューを果たす。
- 11月4日、コンビ結成4ヶ月で第8回NHK上方漫才コンテストの予選会に参加し、決勝まで勝ち残る。
- 3月4日、「第8回NHK上方漫才コンテスト」決勝で、優秀敢闘賞を受賞する。
- 12月4日、阪急ファイブ・オレンジルームで、松みのる・杉ゆたかと共に「新手漫才を楽しむ会 漫才なんかやめたるわい!ホナ誰が笑わせてくれんねん!」を開催する(当時の入場料は500円だった。)
- 4月15日、オレンジルームで2回目となる「新手漫才を楽しむ会 漫才なんかやめたるわい!2回目じゃ」を開催する。
- 7月16日、天王寺アポロホールで、ABCラジオ公開録音イベント「東西お笑い劇場 跳べ若手の会」に出演。出演漫才師は、紳助・竜介、ジョージ・シロー(後の太平シローが組んでいたコンビ)、オール阪神・巨人、のりお・よしお、青芝金太・紋太という半年後に一大ムーブメントとなる「漫才ブーム」の一員達が出演していた。
- 10月5日、関西テレビで、明石家さんまと共に「誰がカバやねんロックンロールショー」の放送開始。
- 10月8日、大阪サンケイホールで明石家さんまと共に「さんま・紳竜マジカルミステリーツアー 拍手を求めて三千里」を開催。
- 1月9日、天王寺アポロホールで、「東西お笑い劇場 跳べ若手の会PART2」に出演。紳助・竜介、松みのる・杉ゆたか、浮世亭ジョージ・ケンジ、オール阪神・巨人、のりお・よしお、青芝金太・紋太、ザ・ぼんちが出演。
- 4月1日、フジテレビの火曜ワイドスペシャル枠で「THE MANZAI」の第1回目がスタートし、初回番組視聴率は15.3%を記録した。当番組では唯一、全11回に出演している。
- 井筒和幸監督の映画「ガキ帝国」にコンビ揃って主演。
- 5月16日、フジテレビで特番として「オレたちひょうきん族」が放送開始(同年10月10日からレギュラー化する)。
- 当時ほとんど無名に近かったダウンタウンのスローテンポな舞台を見た紳助が「もう俺らの時代は終わった」と解散を決意。その後竜介の理解を得て、その数日後の5月16日午後に大阪の吉本総合芸能学院にて解散を発表。5月20日のなんば花月の舞台が最後となった。その後、紳助は司会者へ転向し、成功を収めたほか、実業家としても成功を収める。竜介は新たなコンビを組むが、解散。実業家に転進するも自己破産するなどした。
- 4月、竜介が49歳で急死。
- なお、2人が50歳になったときに記念として一度限りの復活漫才が企画され衣装のつなぎも用意されていたものの、竜介の突然の死により幻となった。
- 8月23日、紳助は自らの不祥事の責任をとり、突然の芸能界引退を発表した。
受賞歴
- 1978年 第8回NHK上方漫才コンテスト 優秀敢闘賞
- 1980年 第9回上方お笑い大賞 銀賞
- 1980年 第15回上方漫才大賞 新人賞
- 1981年 第1回花王名人大賞 新人賞
- 1981年 第18回ゴールデン・アロー賞 芸能新人賞
出演
テレビ
- ナイトパンチ(関西テレビ)
- 東西若手漫才競演(1978年3月21日、NHK総合)
- 誰がカバやねんロックンロールショー(1979年 - 1980年、関西テレビ)
- 笑ってる場合ですよ!(1980年 - 1982年、フジテレビ)
- THE MANZAI(1980年 - 1982年、フジテレビ)
- 輝け!!“特別生放送”笑いは日本を救う!?(1980年12月31日、日本テレビ)
- ナマ放送で大爆笑!激突!!全日本漫才グランプリ(1981年1月1日、日本テレビ)
- オレたちひょうきん族(1981年 - 1989年、フジテレビ)※コンビとしては1981年~1985年頃まで。
- 紳竜のコケてたまるか(1981年、テレビ東京)
- 日曜ビッグスペシャル '81漫才ベストテン(1981年12月27日、テレビ東京)
- 輝け!!特別生放送・'81マンザイオールスター 大晦日も笑っちゃえ!!(1981年12月31日、日本テレビ)
- 大爆笑!!年忘れ!お笑いグランプリ(1982年12月31日、TBSテレビ)
- 紳竜・さんまのスクープ一直線(1983年、関西テレビ)
- ヤングプラザ(1978年 - 1986年、朝日放送/関西ローカル)
- キダ・タロー(1978年~1980年)まで司会を務めていたが1980年から司会を担当していた。
- 花王名人劇場(関西テレビ)
- お笑いネットワーク(読売テレビ)
- 連続ドラマおまかせください(1982年、フジテレビ)
- 人形劇 三国志(NHK)
ドラマ
- 恋のかけら-大阪物語-(1980年3月9日、関西テレビ)
- 影の軍団II(1981年10月6日 - 1982年3月30日、関西テレビ)
- 幕末青春グラフィティ 坂本竜馬(1982年11月16日、日本テレビ)
- おまかせください(1982年10月 - 1983年3月、フジテレビ)
ラジオ
- 8時だがっぽり!ザ・マンザイクイズ(文化放送)
- MBSヤングタウン(MBSラジオ)
- 紳助竜介の東大一直線(文化放送)
CM
- ホテル 新東洋(1979年/関西ローカル)
- 三益建設(1979年/関西ローカル)
- 日清食品 日清焼そば
- 黒龍堂 アクネトリオ
- 小林製薬 ブルーレット
- 花王 キスカ蚊取りマット
- 政府広報 あきかんリサイクル推進
- りょうゆうニューキリンカップ ミルクセーキ(九州ローカル)
映画
- ガキ帝国(1981年)
- じゃりン子チエ 劇場版(1981年)
DVD・VHS
- お笑いネットワーク発 漫才の殿堂(1996年3月21日発売)VHS版
- お笑いネットワーク発 漫才の殿堂(2003年6月18日発売)
- 紳竜の研究(2007年5月30日発売)
書籍
- 『紳助・竜介のツッパリ魔:反抗の悪知恵』(1981年5月 ワニブックス ISBN 978-4-584-20021-6)