岡本直也 (1983年生の投手)
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 岡山県倉敷市 |
生年月日 | 1983年7月28日(40歳) |
身長 体重 |
178 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2001年 ドラフト4巡目 |
初出場 | 2002年10月14日 |
最終出場 | 2011年10月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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岡本 直也(おかもと なおや、1983年7月28日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
アマチュア時代
上成小学校4年生の時に野球を始めた[1]。中学生時代はリトルシニアの倉敷ロイヤルズで投手を務め、3年生の時に中四国大会で優勝している[1]。 岡山理大附高1年の時に夏の甲子園に出場し、1年生ながらベンチ入りを果たす[2]。チームは同大会で準優勝し、自身は決勝戦で登板している[3]。
持ち味の速球に加えて制球力が向上し翌2000年はチームのダブルエースの一方となり[4]、県大会では32回を投げて34奪三振を記録し[5]、チームも2年連続で夏の甲子園に出場した。東海大菅生との初戦に先発して勝利を収めた[6]が、続く2回戦で瀬戸内高校に敗退。2001年は同年のAAAアジア選手権代表に推薦され[7]、夏の県大会では決勝戦で玉野光南に敗れて3年連続の本大会出場はならなかった。同年のドラフト会議で横浜ベイスターズに4巡目指名され、契約金と年俸それぞれ5,500万円、540万円(いずれも推定)で入団契約を結んでいる[8]。
プロ野球選手時代
2002年10月14日の広島戦で一軍初登板を果たす。以後一軍で10試合登板するが結果を残すことができず、2009年10月に戦力外通告を受ける。その後12球団合同トライアウトに参加。
2010年、メキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズのスプリングキャンプに参加し、オアハカ・ゲレローズと契約し15試合に出場。その後カンペチェ・ピラタスへ移籍したが、6試合出場後に4月末に自由契約となった。その後、メキシコのマイナーリーグであるエンセナーダ・マリネロスに所属し、抑えとして2勝0敗20セーブと活躍。球速も自己最速の151km/hを計測し、プレーオフ優勝にも貢献した。この実績が評価され、ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[9]。
2011年はAAトレントン・サンダーで21試合に登板したが、7月5日に解雇された。7月23日から東京ヤクルトスワローズの入団テストを受け[10]、7月26日に合格発表とともに支配下登録された[11][12]。背番号は46となった[13]。入団後の一軍登板は3試合にとどまり、10月9日に球団から戦力外通告を受け[14]、12月2日に自由契約公示された[15]。
現役引退後
2012年3月、横浜時代のチームメイトであった橋本太郎と共同で、東京・六本木に但馬牛専門の焼肉店「BEEF MAN 六本木本店」をオープン[16]。2014年1月からは、同店の人気メニューを盛り込んだ「牛ホホ肉の赤ワイン煮弁当」を、「ごちクル」(スターフェスティバル株式会社が運営する全国規模の宅配弁当・配達サービス)向けに提供している[17]。弁当開発の模様を取材した同年1月14日放送の『日経スペシャル ガイアの夜明け』(テレビ東京)では、「元プロ野球選手の店主」として岡本が紹介された[18]。
プレースタイル
140km/h台のストレートに加え、カーブに定評がある[8]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2002 | 横浜 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 3 | 0.2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.50 |
2003 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 29 | 6.0 | 7 | 0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 4 | 6.00 | 1.83 | |
2004 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 4 | 1.0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 9.00 | 2.00 | |
2006 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 3 | 0.1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 54.00 | 6.00 | |
2007 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 13 | 1.2 | 5 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 5 | 27.00 | 4.80 | |
2011 | ヤクルト | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 8 | 1.0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 27.00 | 5.00 |
通算:6年 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 60 | 10.2 | 19 | 2 | 10 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 15 | 15 | 12.66 | 2.72 |
記録
- 初登板:2002年10月14日、対広島東洋カープ28回戦(広島市民球場)、7回裏1死に3番手で救援登板、2/3回無失点
- 初奪三振:2003年6月22日、対ヤクルトスワローズ14回戦(明治神宮野球場)、8回裏に鎌田祐哉から
背番号
- 13 (2002年 - 2004年)
- 37 (2005年 - 2009年)
- 46 (2011年)
脚注
- ^ a b 読売新聞、2001年11月20日付朝刊、岡山地方面
- ^ 朝日新聞、1999年8月6日付朝刊、岡山地方面
- ^ asahi.com 第81回全国高校野球選手権大会 桐生第一 対 岡山理大付
- ^ 朝日新聞、2000年7月13日付朝刊、岡山地方面
- ^ 朝日新聞、2000年8月3日付朝刊、岡山地方面
- ^ asahi.com 第82回全国高校野球選手権大会 岡山理大付 対 東海大菅生
- ^ 朝日新聞、2001年6月16日付朝刊、岡山地方面
- ^ a b 朝日新聞、2001年12月5日付朝刊、岡山地方面
- ^ 元横浜・岡本、ヤンキースとマイナー契約 デイリースポーツ、2010年9月17日。
- ^ ヤクルト 元横浜左腕をテスト 小川監督「まず投球を見て」 スポニチ Sponichi Annex、2011年7月21日
- ^ 【ヤクルト】元横浜の岡本しばらく2軍で nikkansports.com 2011年7月26日
- ^ 【セ・リーグ公示】7月27日 SANSPO.COM 2011年7月27日
- ^ 燕テスト入団の岡本「早く神宮のマウンドに」 SANSPO.COM 2011年7月27日
- ^ “来季の契約について”. 東京ヤクルトスワローズ (2011年10月9日). 2011年10月21日閲覧。
- ^ 2011年度 自由契約選手
- ^ “BEEF MAN”. 森岡良介(ヤクルト時代のチームメイト)Official Blog (2013年3月18日). 2014年1月14日閲覧。
- ^ “ごちクルが「日経スペシャル ガイアの夜明け」で紹介されました”. ごちクル(スターフェスティバル株式会社) (2014年1月14日). 2014年1月14日閲覧。
- ^ “『日経スペシャル ガイアの夜明け』2014年1月14日放送 第598回「ここまで来た"宅配"! 年末年始の陣」”. テレビ東京 (2014年1月14日). 2014年1月14日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 岡本直也 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference
- 岡本直也 - オフィシャル・ブログ(2011年3月12日まで)
- 岡本直也オフィシャルブログ - 世界パトロール
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